法的・倫理的に許容され、社会的に受容される情報利用に基づく感染症対策の在り方を検討する

  • ELSIプログラム

2023年1月24日

  • プロフィール (2022年12月)
    東京大学大学院法学政治学研究科教授。同大医学部在学中に司法試験に合格。同大大学院法学政治学研究課修士課程修了。東北大学大学院法学研究科准教授を経て、2017年より現職。法学の教育・研究を行う傍ら、東京都健康長寿医療センターに循環器内科医としても勤務。専門は民法、医事法。

研究開発の概要

COVID-19感染拡大に有効な対策が必要とされる一方、人々の行動制限や営業制限は、対策として持続的実施が困難です。そのような中、携帯電話を用いた位置情報や行動履歴、接触情報などのデータを収集・解析する対策が国際的にも注目されています。しかし、これら個人情報の利用に関してはプライバシー上の懸念を指摘する見解も多く、各国においても明確なルールは確立されていません。
本プロジェクトは、COVID-19と将来の新興感染症対策に向けて、携帯電話関連技術の望ましいデータ利用とプライバシーや人権保護のあり方について、情報工学や倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)の観点から多角的・学際的に検討します。立法も含め、適切な技術活用や政策形成の提案を目標として、エビデンスに基づくガイドラインの作成や、国際的なルール形成への貢献を目指します。

インタビュー(2022年8月)

いまだ世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。米村滋人教授(東京大学 大学院法学政治学研究科)率いる、RISTEX「科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム」の「携帯電話関連技術を用いた感染症対策に関する包括的検討」プロジェクトでは、40名を超える各分野の専門家が集い、ELSIや情報工学など多角的な観点から「技術的可能性と社会的受容可能性、そして法的、倫理的、社会的な妥当性を全て兼ね備えている携帯電話を用いた感染症対策について検討」(米村教授)している。

プロジェクトは大きく3つのグループに分かれ、それぞれ検討を行っている。米村教授は統括・ELSI検討グループに所属し、プロジェクトの全体統括を行いながら、ELSIに関する検討を行っている。


(イメージ画像)
  • 統括・ELSI検討グループ
    全体の研究統括を行うとともに、倫理的・法制度的・社会的課題に関する検討を行う。
  • 技術検討グループ
    携帯電話関連技術の利用に関する技術的な観点を中心に、実施可能な感染症対策の実証的検討や評価を行う。
  • 社会対話グループ
    社会的対話の実施に向けた実態調査を行いながら、各グループの検討結果を踏まえた社会的対話の実践とフィードバックを行う。

検討の末、浮かび上がってきたプライバシーにまつわる意外な事実

本プロジェクトでは「携帯電話関連技術を用いた感染症対策に関する包括的検討」をテーマにさまざまな検討を行ってきたが、中でも個人情報の適正な利活用については大きな検討課題になっていた。
「COCOAをはじめとする従来のソリューションは、プライバシーに対して、必ずしも法的な、正確な理解に基づかないイメージによって、こういうことはできない、してはいけない、受け入れてもらえないという前提で作られていた部分があります。本プロジェクトではそれをより厳密に分析し、法的・倫理的に許容される水準はどこか、社会的に受容される情報利用はどういうものか、具体的な調査、研究、整理を行ってきました」(米村教授)
この検討の結果、世界的にも個人データの取り扱いの厳正化が求められている中で、プライバシーについて、意外な事実が浮かび上がってきたと米村教授と同じ統括・ELSI検討グループメンバーであり、COCOAの実装に向けた検討にも有識者として参加していた藤田卓仙特任准教授(慶應義塾大学医学部/世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターヘルスケア・データ政策プロジェクト長)は説明する。
「COCOAはプライバシーへの配慮を最優先に設計した結果、公衆衛生対策としては不十分なものになってしまいました。ところが、この失敗を受けて行動履歴などといった個人情報の利活用について東京医療センターの尾藤誠司医師が率いる社会対話グループが調査を行ったところ、公衆衛生という“大義”のためであれば個人情報を使っても構わないと考える人が一定数以上いるのではないかと推察される結果が出たのです」
藤田特任准教授は、既存の配慮が「悪いことばかりではなかった」と認めつつも、この成果をより深掘りしていき、実態に沿ったプライバシー配慮を適用するかたちでアプリなどのソリューション開発をしていければ、より実効性を高めていけるのではないかと語る。そして、すでにいくつかの進行中プロジェクトなどに対し、知見の提供を進めていると言う。
「具体的にはデジタル庁が開発した新型コロナワクチン接種証明書アプリに提案内容を盛り込んでいただきました。そのほか、米村教授が感染症法改正時に参考人として呼ばれて意見を述べるなど、携帯電話を用いた感染症対策以外の部分でも、本プロジェクトで得た知見が国策の策定に貢献していると考えています」(藤田特任准教授)
なお、国内発の携帯電話関連技術を用いた感染症対策の多くがつまずいてしまった原因について、本プロジェクトで台湾を中心に海外事例の研究をしている千葉大学医学部附属病院 次世代医療構想センターの緒方健特任研究員は次のように説明する。
「日本ではこれまで感染症対策として携帯電話関連技術を活用するということがほぼありませんでした。そうした中、パンデミック時に備えたそれまでの検討成果も生かされず、明確な利活用戦略もないまま開発が始まり、途中で携帯電話プラットフォームの縛りなども発生して思い通りに行かなかったという背景があるのではないでしょうか。私が担当している台湾は成功例として挙げられることの多い国ですが、2002年からのSARS大流行時には最も感染被害の大きな国のひとつと報じられ、WHOからの終息宣言も最も後回しとなりました。台湾の成功にはそうした苦い経験から10年以上準備をしてきたという背景があります。ただ、それでもデータの目的外利用などいくつかの課題が出てきているので、日本としてはそうした課題先進国の事例をきちんと収集し、今後のリスクに備えていくという姿勢が重要。本プロジェクトでの取り組みからそういったかたちに繋げていければ良いと考えています」
米村教授も本プロジェクトが「未来志向」であることを強調する。
「既存の取り組みの何が悪かったのかを細かく挙げ連ね、批判することが目的ではありません。それらは中立的な記述に留め、次の大規模感染症においてきちんとした対策を取れるようにする道筋を示すことが本プロジェクトのあるべき姿だと考えています」

既存の枠組みに囚われない新たな次世代接触アプリも提案

本プロジェクトでは、前段で解説したプライバシーにまつわる提案のほか、技術面においても画期的な提案を行っている。
「検討の成果として、もうひとつ分かってきたのが、従来の携帯電話を用いた感染症対策には、携帯電話プラットフォームの提示する仕様に基づいた開発を行なわねばならないという“思い込み”があったのではないかということです。現在、我々はそこをゼロベースで考えていくべきではないかと提案しています。具体的には、技術検討グループのリーダーである奥村貴史教授(北見工業大学 大学院地域未来デザイン工学科)が提案された次世代接触確認アプリがそれです。奥村教授の提案する仕組みは既存のやり方とは大きく異なっていますが、感染症対策として明らかに有用なものになっています」(米村教授)
携帯電話プラットフォームが提供し、COCOAも利用しているBluetooth通信を利用した接触確認は、患者と接触者の双方がアプリを正しく運用する必要があり、しかも普及率が充分に高くないと効果を発揮できない。また、「1.5m以内の接触が15分間以上継続する状態」のみを濃厚接触として検知することから、重要な感染経路のひとつであるエアロゾル感染を検知できなかったり、満員電車などでの誤検知が発生しやすくなったりという問題もあった。
これに対し、奥村教授の提案する方式では、各ユーザーがどの基地局に接続しているかという、携帯電話キャリアの保有する在圏情報を利用することで接触リスクを計算。保健師への聞き取り調査で得られた感染者の位置情報データを携帯電話キャリアに提供し、感染者と同じエリアに滞在した端末(ユーザー)を抽出する。この方式ではCOCOAのような個別のアプリインストールが不要で、位置情報を行政へ提出する必要もないため、住民側、患者側双方のプライバシーが守られる。また、従来の方式では検出できなかった「エアロゾル感染」なども検知可能で、接触リスク通知によって増大する保健所の負担も軽減できるメリットがある。

※奥村貴史教授の研究内容の詳細:
国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED) 令和 2 年度 ウイルス等感染症対策技術開発事業『携帯電話を用いた次世代接触確認アプリの研究開発』

「既存の方式は、個々のユーザーのための感染症対策という側面が強かったと思うのですが、率直に言って、全ての個人に自発的に使ってもらえる仕組みを作るのは不可能に近いのです。対して、奥村教授の方式はどちらかというと行政サイドに役立つ情報利活用を目指しており実現可能性が高い。そして行政が助かれば、国民全体も助かり、世界中の感染者全体も助かるという方向に行くと考えています」(米村教授)

研究成果がさまざまなかたちで活用されていくことに期待

2020年9月からスタートした本プロジェクトも今年9月で3年目。前述の奥村教授の発表を筆頭にすでにいくつかの成果が表出しており、米村教授も研究誌「法と哲学」第8号に『感染症対策と権利制約 --プライバシー制限の問題を中心に』と題した論文を掲載している。今後は長らく制限されてきた海外調査なども再開し、来年度早々には最終的な成果報告(ガイドライン)を取りまとめる予定とのこと。
「我々の研究成果が日本や海外の感染症対策に役立てていただけることを期待しています。なお、今回の研究は自らアプリなどを開発することのない、より小さな自治体レベルでも役立つものだと考えており、例えば陽性者が出てしまった学校や職場などでどういった感染症対応をしていくのが望ましいかというような、一般社会に向けたメッセージとしても受け取ってもらえるようなものになることを願っています」(米村教授)
「私はそうした拡張に加え、感染症とは異なるものの同じく緊急性の高い、災害時の健康医療情報の共有などにもこの研究成果が活かせるのではないかと思っています。さらにそうした緊急時対応を支える平時の情報共有の仕組みにおいても今回の研究成果の反映が期待できるので、そのための後押しをしていきたいと考えています」(藤田特任准教授) 「従来の緊急対策では、法的、倫理的な適切性が考慮されることなく政策が語られることが多かったのですが、今回の取り組みを通じて存在感を示していくことで、事前検討の段階から法と倫理が重要な検討要素であると認識されていくことに期待しています」(緒方特任研究員)

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  • 科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム

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