コロナ禍での社会活動と感染症対策の両立に有効と目されている、携帯電話の位置情報や接触確認アプリなどのテクノロジー。しかし、個人データの利活用には、プライバシー上の懸念が指摘される。この問題をどのように考えるべきか ── 法学者であり医師でもある、米村氏と対話する。

  • 米村 滋人
    東京大学 大学院法学政治学研究科 教授。RInCA研究開発プロジェクト(2020-)「携帯電話関連技術を用いた感染症対策に関する包括的検討」代表。専門は民法、医事法。内科医。

技術的可能性とELSIを一体的に検討した感染症対策を

プロジェクトの根底にある問題意識と、ELSIの観点のポイントを教えてください。

COVID-19に関する感染症対策として多様な取り組みがなされていますが、とくに国レベルの政策の決め方については、さまざまな論議を呼んでいます。たとえば、基本的な感染症対策の決定に関する透明性の問題や、実際に採りうる選択肢の比較検討が十分にできていないのではないか、といった意見があります。そのうちのひとつが、携帯電話技術を使った情報利活用による感染症対策の問題です。まさに少し前に、新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)が機能していなかったという報道が出ましたが(2021年2月インタビュー時点)、やむを得ない緊急事態における応急的な措置だったとは言え、本来できるはずのことが十分にできていないのではないか、ごく一部の人たちによる意思決定の弊害が表れているのではないか、という指摘が多くありました。
私たちのプロジェクトの基本的な問題意識は、「技術的な可能性と社会の受容可能性を最大化しながら、プライバシー概念をどう扱っていくのか」というところにあります。プライバシーは法的な概念でありながら、しかし一般にもかなり認知され浸透したものでもあって、人々が考えるさまざまなプライバシー概念というものがあります。人々が大切だと考えるプライバシー、あるいはプライバシー情報とはどのようなものなのかをしっかりと把握して、リスクとベネフィットのバランスにも配慮しながら、どういった仕組みであれば社会に受け入れられる技術活用・情報利用の仕組みになりうるのかを探求していく。そうしたことの一体的な取り組みが重要だと考えています。

生命・健康を守るために、プライバシーをどの程度制約してよいのか

ワクチン接種や接触確認アプリのインストールは義務化できるのでしょうか。

日本における予防接種に対する考え方は、歴史の中で義務接種から勧奨接種になったという大きな流れがあります。つまり、現代の日本では基本的にそれぞれの人の自由な意志に基づいて、予防接種を受けるかどうかを決めているという状況になっています。しかし、全世界的に見ると少数派であり、一般的には義務接種の方が多いのです。日本では、予防接種によって副反応が起こったとして訴訟を起こし、勝訴したケースが多くあります。そういった歴史と経験があって、予防接種を義務化することに対しては、かなり抵抗が根強いのです。
いくらCOVID-19が重大な感染症であり、社会全体としての対応が必要だとしても、たった数例でも重大な副反応が疑われるような症状の人が出てくると、途端に全部がひっくり返るということは十分にありえます。やはり慎重に進めなくてはいけない。ですから、単純な義務化も難しいし、行政による単純な勧奨というのもまた難しい。情報の発信の仕方も含め、上手な仕組みづくりを考えていかなければならないでしょう。
コンタクトトレーシング(接触確認)アプリに関しても、日本では義務化は難しいのではないでしょうか。やはり、各人にメリットがある形でインストールしてもらう方がよい。利用者にとってプラスになる仕組みにすることが重要です。もちろん個人情報を提供してもらわなければならないので、メリットではない部分もあります。そういった側面も、最初から包み隠さずに表明することが大切でしょう。後からデメリットが露見するようなやり方では、途端に信用を失ってしまう。最初からきちんと仕組みを考え、メリットもデメリットも全部言ってしまう。その中で賛同してもらえた人にはインストールしてもらう。
また、技術的にどのようなものが可能なのかということをしっかり突き詰めていくことも必要です。それと同時に、社会の判断としてどのような方向性が望ましいのかということも、併せて検討する必要があります。それらが一体的に機能し、多くの人々に利用されることがさらに利便性や有用性を高める好循環ができることで、はじめて意味のある感染症対策として、社会に受け入れられるものになっていくと考えます。

ワクチン接種が始まった今、日本社会が議論しておくべきことは何でしょうか。

感染症対策は、災害対策と同じで、平時からしっかりと行っていくことが重要だと考えます。感染者数が増えてから右往左往しても間に合わないのです。医療体制の問題、基本的な感染症対策の立法、感染症法や特措法の問題もそうです。あるいは、具体的にどのような人たちの行動制約をかけるのかという議論もそうです。感染症対策の柱になる重要部分というのは、平時のうちからきちんと決めておかないと、いざ感染者数が増えてからでは手遅れになります。そういった「平時からやっておくべき対応と、採り得る選択肢」を提案するのが、我々のひとつの仕事だと考えています。とくに、プライバシー情報をどこまで感染症対策に活用できるのか、という議論は重要なテーマです。プライバシーと感染症対策の調整点をいったいどこに置くのかという問題は、我々のプロジェクトの重要な基本命題でもあります。
プライバシーは、憲法の立場からも民法の立場からも当然問題になるものですが、今までは表現の自由との関係で議論されてきました。たとえば、特定の人のプライバシー情報を盛り込んだ小説を出すような場合に、それがどの程度許されるのかという議論がなされてきましたが、それはプライバシーの一側面しか反映していない。今回の感染症対策で明らかになったように、「国民の生命・健康との関係で、プライバシーをどれだけ制約してもよいのか」という議論は今までほとんどなされていないのではないでしょうか。
既存の法学でも、プライバシー概念がどういうものなのかということは今まで多く議論されてきました。しかし、今の日本社会の中で「現にプライバシーがどう捉えられているのか」や「どのような仕組みが社会に受容されるのか」ということの検討は、ほとんどなされてきませんでした。そうした議論を理論的に整理し、社会としての受容可能性も含めて冷静に議論した上で、調整点を見出していくことが必要だと思います。

今後の展望や挑戦したいことを教えてください。

COCOAに不備があり、感染症対策として機能していなかったということが知れ渡り、大きな議論となりました。携帯電話関連技術を感染症対策に使うなら、しっかりやっていかなければダメだ、という社会全体の関心事になってきたと感じています。つまり、技術に対する一定の信頼があるからこその議論ではないでしょうか。
そうした情勢の中で、技術的な可能性と、社会における受容可能性、そして法的な正当化可能性、それらを一体的に検討していくことの重要性を再確認し、我々の責任は重大だと改めて身が引き締まる思いです。プロジェクトの取り組みや成果が今の感染症対策にも参照されていくよう、これから、国内複数地域の協力自治体と実証実験に取り組んでいきます。
今、そして少し先の生きた社会の中で、実証主義的なアプローチでELSIを捉えることが、私たちのプロジェクトの大きなチャレンジだと考えています。


*本稿は2021年2月10日に行ったインタビューに基づいています。

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