脱炭素化技術のELSI評価枠組の確立

  • ELSIプログラム

2022年3月7日

  • プロフィール (2021年11月)
    1970年神奈川県生まれ。
    1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。2021年より地球システム領域 副領域長。社会対話・協働推進室長(Twitter @taiwa_kankyo)。東京大学 総合文化研究科 客員教授。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」「温暖化論のホンネ」等。

研究開発の概要

気候変動問題に対応するため、国際社会はパリ協定に合意し、人間活動によるCO2排出を実質ゼロにする「脱炭素化」を目指しています。
本プロジェクトは、日本の研究開発戦略・気候変動対応戦略において開発・普及が推進されている脱炭素化技術ならびにその開発・普及戦略を対象として、ELSIを含む多面的な観点からの評価枠組の構築を目標としています。脱炭素化技術についての幅広い関係者の参加を含むテクノロジーアセスメントを設計・実施するとともに、日本における過去の気候変動対応戦略の政策過程を定性的・定量的に分析します。これらの結果に基づき、技術的・経済的観点を主とする従来型の評価を、ELSIを含む観点から見直した「脱炭素化技術の多面的な評価枠組」を構築し、政策議論の現場に提案します。

研究開発課題と社会との関係

気候危機が間近に! 止まらない気温上昇

世界の平均気温は2020年時点で、工業化以前(1850~1900年)と比べ、既に約1.1℃上昇しており、このままの状況が続けば、更なる気温上昇が予測されています。また、近年、国内外で様々な気象災害が発生。気候変動に伴い、今後、豪雨や猛暑のリスクが更に高まることが予想されています。日本においても、農林水産業、水資源、自然生態系、自然災害、健康、産業・経済活動等への影響が出ることが指摘され、もはや単なる「気候変動」ではなく、私たち人類や全ての生き物にとっての生存基盤を揺るがす「気候危機」といわれ、状況の改善が急務となっています。
気候変動の原因となっている温室効果ガスは、国や自治体、事業者だけの問題ではなく、国民一人ひとりの衣食住や移動といったライフスタイルに起因する温室効果ガスが日本全体の排出量の約6割を占めるなど個人の対策も不可欠です。持続可能な経済社会をつくるため、脱炭素社会の実現に向けて、様々な取り組みを行う必要があります。

日本の年平均気温偏差
出典:気象庁ホームページ 日本の年平均気温偏差


日本の年平均気温偏差
出典:環境省ホームページ IPCC 第5次評価報告書の概要 -WG1(自然科学的根拠)-

2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロとすることを宣言 具体的な戦略とは?

2021年10月22日、「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」が閣議決定され、2020年10月に宣言した2050年カーボンニュートラル化(2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロとすること)を目指し、日本政府として取り組むべき具体策を発表しました。
一部例を挙げると、①2050年における主力電源として再生可能エネルギー最優先の原則の下、最大限の導入を進めること、②2035年までに、乗用車新車販売で電動車100%を実現すること、③脱炭素と地方創生を同時に達成すること、④イノベーション、グリーンファイナンス、成長に資するカーボンプライシング等に取り組むことなどがあります。

パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略 概要①
出典:環境省ホームページ パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略 概要①

2050年カーボンニュートラルという目標の実現を目指し、あらゆる可能性を排除せず、使える技術は全て使うという発想が重要といわれている中、その技術をスピーディーに実装していくためにも、倫理や法律、社会的な側面でどのような影響があるかという観点での検証も同時に必要になってきます。

脱炭素化技術の日本での開発/普及推進戦略におけるELSIの確立

2021年8月に国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が公表した地球温暖化に関する報告書(第6次評価報告書)の執筆に携わった江守正多・国立環境研究所地球システム領域副領域長は、脱炭素化技術の選択に関わる開発・普及推進戦略を、倫理的・法的・社会的な観点から評価するプロジェクトを打ち立てています。二酸化炭素の排出を実質ゼロにするために、すでにある太陽光や風力、原子力等の技術から新技術の開発まで、さまざまな技術開発・導入が期待されているところもあり、そのメリット、デメリットをどう論じていくか、幅広く検討してみるのにELSIが必要であると考えているといいます。

ELSIとは、”Ethical, Legal and Social Implications/ Issues”の略称で、直訳すれば「倫理的・法制度的・社会的な課題」となります。新しい科学技術が出てきたときに、倫理や法律的なことや社会的な側面でどのような影響があるか検討し評価することが必要です。
すぐにでも様々な技術を活用し、問題解決のために動き出さなければならない脱炭素化において、ELSIの確立は急務です。

インタビュー(2021年8月)

「グラフで見る世界のエネルギーと「3E+S」安定供給① ~各国の自給率のいま」の図を基に作成
出典:資源エネルギー庁 「グラフで見る世界のエネルギーと「3E+S」安定供給① ~各国の自給率のいま」の図を基に作成

2021年8月、世界各国の科学者で組織する国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は、地球温暖化に関する「第6次評価報告書」第I作業部会報告書(自然科学的根拠)を8年ぶりに公表した。この報告書でIPCCとしては初めて地球温暖化の原因が人間活動によるものと断じ、今後起こりうる危機について強く警告を発している。

この報告書の執筆に携わった日本人の一人が、江守正多・国立環境研究所地球システム領域副領域長だ。江守氏の専門は地球温暖化の将来予測だが、RISTEXでは専門分野から一歩踏み出したチーム研究に取り組んでいる。それが「脱炭素化技術の日本での開発/普及推進戦略におけるELSIの確立」だ。

脱炭素化技術を倫理的・法制度的・社会的な観点から評価する

ELSIとは、”Ethical, Legal and Social Implications/Issues”の略称で、「エルシー」と読む。直訳すれば「倫理的・法制度的・社会的な課題」ということになるが、まだ馴染みのない言葉かもしれない。

新しい科学技術が社会に出てくるときには、それがどのような便益をもたらすか、ということで価値を測られがちだが、倫理や法制度や社会的な側面でどのような影響があるか、ということが見落とされることによって、のちのち問題が生じてしまうこともある。ELSIとは、科学技術のもたらす人や社会への正負両面のさまざまな影響について、研究・技術開発の段階から前もって検討しておこう、という考え方だという。

RISTEXでは、2020年度から新規に「科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム」を設定し、主に新興科学技術を対象としたELSIの研究開発を推進している。

もともとELSIの研究は、ヒトゲノム計画など先端科学技術の分野で先行して行われてきたというが、江守氏は気候変動問題の分野で、どのように取り組もうとしているのだろうか。

脱炭素化技術にELSIを

江守氏の研究がRISTEXの研究開発プロジェクトとして採択されたのは2020年9月、菅総理が所信表明演説で『2050年までに脱炭素社会を実現する』と宣言するほんの少し前のこと。気候変動問題がさほど大きく取り上げられている時期ではなかった。
「このプログラムは、新興科学技術のELSIが主な研究対象です。たとえば気候変動の分野では、大気にチリを蒔いて、太陽の光を少し減らして地球を冷やすというジオエンジニアリングと呼ばれるような技術が例示されていました。私たちはそこを拡大解釈して、技術単体のELSIだけでなく、脱炭素化関連技術の選択や普及戦略までELSIの視点を取り入れるようにしてみては、と考えました」

二酸化炭素の排出を実質ゼロにするために、すでにある太陽光や風力、原子力等の技術から、新技術の開発まで、さまざまな技術に期待されている中で、そのメリット、デメリットをどう論じていくか、幅広く検討し選択するところにこそELSIの視点が重要だと思ったという。その後、菅総理の脱炭素宣言もあり社会の関心は急速に高まっている。

研究を進める3つのグループ

このプロジェクトでは、ELSIを含む観点から地球温暖化の問題に対処するための科学技術の評価法を設計するとともに、日本における過去の気候変動政策の議論過程を定性的・定量的に分析し、「脱炭素化技術の多角的な評価枠組」を構築し、研究・技術開発現場や政策議論の現場に提案することを目指している。研究は「評価枠組グループ」「TA(テクノロジーアセスメント)グループ」「政策過程グループ」の3つのグループに分かれて進められている。

脱炭素化評価枠組の構築

評価枠組グループは、脱炭素化技術の多面的な評価枠組の構築をめざす。気候変動対策の中心はエネルギー政策といって過言ではないが、その議論で必ず出てくるのが、3E+Sと呼ばれる評価軸である。3Eというのは安定供給(Energy Security)、経済性(Economic Efficiency)、環境(Environment)で、Sは安全性(Safety)。エネルギーの政策議論をする際、国際的にも類似の概念は用いられるが、経済や技術の側面に重点が置かれていること、それを無批判に使い続けていることに問題意識を感じていたという。たとえば原子力発電所の放射性廃棄物の管理は何世代にも及ぶ厄介な問題だが、その世代間の公平性の問題などは、3E+Sのどこで評価できるだろうか。
そこでこのプロジェクトでは、3E+Sをいちどバラバラにして、規範倫理学の基礎的な考え方などを軸に、再構築を試みているという。その完成が、いわばこの枠組みグループのひとつのゴールとなる。気候変動対応の論点を、倫理的な軸―たとえば社会的平等や幸福(ウェルビーイング)など―も含むさまざまな視点からみたときに、そのうちのどれが大事かというのは、人によって重みが違う。その違いや重みをどのようにバランスするのかは社会で議論して判断することで、研究者や技術者が勝手に決めてよいことではない。
「社会として議論すべき重要な論点の見落としなく議論ができるための前提、これを我々は枠組(フレームワーク)と呼んでいますが、ELSIの視点を取り入れた新しい評価枠組を提供したいと考えています」

フロントランナーによる、新しい視点の導入

評価枠組を完成させるにあたっては、TAグループが参加型のテクノロジーアセスメント(技術の社会的影響評価)を実践しながら枠組の改善に取り組む。具体的には、何人かの人に集まってもらって一連のワークショップを開催し、枠組のプロトタイプを参照しながら脱炭素化技術の評価を実際に行い、それをふまえて枠組を改良して、ということを何回か繰り返すという。

そのときに重要なのが、気候変動やエネルギー政策のステークホルダー(利害関係者)を議論の中心メンバーに「入れないこと」だという。現時点の利害関係者が議論することももちろん大事だが、それでは、これまでの政策議論に強く影響された利害調整になってしまう。新しいものをみつけよう、という今回の研究にふさわしいテクノロジーアセスメントの設計をやってみようということで、フロントランナーに加わってもらうことを考えているという。
「脱炭素社会、持続可能な社会の実現には、社会の抜本的な変化がないと進まないという、そういう仮説が我々の中であるのです。そのためには、今の日本社会の中で、必ずしも気候変動やエネルギーの政策・技術に明るくなくてもいい、何か新しい社会変革のビジョンや未来像をもって実践しているフロントランナーの人たちに集まってもらう。社会の抜本的な変革を促す方法論にトランジション・マネジメントという考え方があるのですが、私たちはそれを応用し、フロントランナーたちの新奇な発想や経験から脱炭素化技術について議論してもらったら何が出てくるか、またそれを通じて枠組を改良するということをこれから始めます」

政策文書を分析し、温暖化対策の議論に斬りこむ

環境省の中央環境審議会に代表されるように、気候変動に関連してさまざまな政策議論が行われており、その資料や議事録は多くがウェブサイト上に公開されている。政策過程グループでは、特に国の審議会に注目して、これらの政策文書の分析を行う。
「これは私が前からやりたかったことで、過去の政策議論で、何が語られてきて何が語られていなかったのか、議事録から分析してみたかったのです。そして、われわれがつくる枠組での議論が、これまでの議論とどのように違うのか、検証してみたいと思っています。これからの新しい政策議論に向けてどういうやり方がいいのか、明らかにしていきたいと考えています」

2021年の夏、資源エネルギー庁の「第6次エネルギー基本計画」や環境省の「地球温暖化対策計画」といった重要な国の指針が決まりつつある。しかし今は雌伏して、もう少し先のラウンドでの議論の場にこの枠組を提示していく。
「今までの審議会ではどのような議論が足りていないか、私たちの方法論ではどのような観点がありうるか、どんな結果が得られるのか、そういうエビデンスを積み重ねて、少し未来の脱炭素化技術選択の議論に提案したいと思っています」

日本への着目から、国際展開にも取り組む

2021年11月には、国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)が開かれた。脱炭素化社会の実現は、まさにグローバルな課題だ。
「私たちの研究は、日本国内の議論、日本の文脈に特有の論点に着目しながら、他国に一般的に適用できる要素の区別を意識して進めています。たとえばドイツでは原発をやめる決定をした際、倫理委員会をつくって議論していたのに、日本ではそういう議論の経験はない、といった国際比較なども行っています。国際的に普遍的な枠組みを出していけるかはわかりませんが、まずは日本を対象に分析したらこうでした、という成果を国際的にも発表し、ゆくゆくは他国、特に発展途上国への展開を目指していきたいと思っています」

誰もが共有して議論できる、「価値の見取り図」をつくる

地球温暖化問題にとどまらず、科学技術が深く関わるさまざまな問題について、ELSIの観点で評価し議論することはますます重要になってゆくのではないだろうか。私たちの社会にその基盤があれば、たとえば猛威を振るうコロナ禍にも、もっとうまく対処できたかもしれない。

「自分にとって価値があるもの」と、「相手にとって価値があるもの」は、一般には異なりうる。特にある職能集団や、あるいはSNS上でフォローしあうような特定のグループなどで話をしていると、同じような価値観の人たちの意見ばかり見聞きしてその意見や思想が増幅したり(エコーチェンバー現象)、無意識に自分と似た意見や情報ばかりに囲まれてしまう(フィルターバブル)ということが起こりがちだ。脱炭素化社会の問題に限らず、コロナ禍での経済優先か生命優先かといった議論も然り、違う意見、違う価値観のグループとぶつかったときに調停できなくなっている側面が加速しているのではないかという。

そのときに羅針盤となる「価値の見取り図」をつくることを江守氏は目指している。
「脱炭素化技術評価の枠組も、価値の見取り図です。自分はいつもここを注目しているけれども、別のあの部分が大事だと思っている人も当然いる、という見通しを持てる枠組があれば、そこに歩み寄れる可能性が出てくるはずです。そういうものを多くの人が共有して議論できるようにしたい。そうすれば、地球温暖化・脱炭素化社会の議論のモードも変わってくるだろうと感じています」

この成果をご活用ください !

この成果に対するご相談・お問い合わせは、下記フォームよりお送りください。

関連情報

  • 科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム

同じニーズの最新成果

TOPへ