開催日:2025年(令和7年)2月28日(金)
会場:一関工業高等専門学校 メディアセンター2階会議室
最先端研究のELSIを市民と共に考える ~対話の継続と深化~
今年度の市民ワークショップ(WS)は、一関工業高等専門学校(以下、一関高専)の協力を得て実施しています。1回目は、一関高専の化学・バイオ系、機械・知能系、情報・ソフトウェア系を専攻する計12名の学生と社会人5名の総計17名が参加し、一関高専の学生スタッフ3名の協力により10月に実施しました。2回目は、1回目の参加者及びスタッフから6名の学生・社会人が集まり、JST「ゲノム倫理」研究会メンバーも加わり議論しました。今年度の最終回となる3回目の今回は、これまでの市民WSへの参加者、「ゲノム倫理」研究会の研究者、そして今年度のケーススタディの山西プロジェクトの研究者、山西プロジェクトが属するCRESTの研究総括などが一関高専に一堂に会し、3時間にわたって活発な議論を交わしました。
次表に示す通り、当日のプログラムは、過去2回の市民WSで交わした議論を踏まえて、市民から見たELSIの議論、研究当事者から市民に対する研究内容の改めてのプレゼンテーション、「ゲノム倫理」研究会が考えるELSI論点の順番の構成といたしました(応当1~3)。その後、SFプロトタイピング手法(SF的な思考やSF作品の創作を通じて、未来の社会や産業、技術を描き出す)を用いて制作した「未来小説」の動画を視聴しました。最後に、研究者と市民が改めて山西プロジェクトのELSI論点、先端研究に市民が関与することの意義などについて様々な角度から議論を重ねることができました。
表:当日のプログラム
【応答1】 | 市民が感じた先端技術開発に関するELSIの議論(進行:一関高専専攻科 上野裕太郎)
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【応答2】 | 山西教授からのプレゼンテーション(説明:九州大学教授 山西陽子)
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【応答3】 | 「ゲノム倫理」研究会が考える「山西プロジェクトのELSI論点」(説明:防衛医科大学校 前学校長/国立感染症研究所 客員研究員 四ノ宮成祥)
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【4】意見交換 | 進行:東京大学名誉教授 信原幸弘 (論点1)山西プロジェクトのELSI論点をどう考えるか? (論点2)最先端研究のELSIの議論を市民と共に進めていくためには? 前半:グループディスカッション 後半:全体ディスカッション |
応答1の概要
市民WSの第1、2回に参加した市民から、これまでの議論を踏まえつつ、最先端研究のELSIの議論に市民が参画することの意義や課題に関するプレゼンテーションがありました。オンゴーイングの研究のELSIの議論に市民が参画することで、市民においては科学に対するリテラシーが向上し、研究側にとっては多様な視点、幅広い意見が得られることで社会ニーズも考慮する形で研究の方向性を探っていくことが可能になるのはないか、とするポジティブな意見が多く出されました。
一方で、最先端研究を市民に説明していくことの難しさも確認されました。市民といっても様々だが、特に研究を行っていない人たちにとっては、最先端研究の概要を説明されてもただちに理解できないことが想定される。その際は、研究内容を詳細に説明するよりも、そもそもなぜその研究を行っているのか、何に対して情熱をもって研究に取り組んでいるのかといった側面を丁寧に伝えていくことが大事になるのではないかとの提案がありました。
応答2の概要

山西プロジェクトのリーダーである山西教授から市民への「研究の説明」は、市民WSの第1回で動画放映(山西教授がパワーポイント資料で説明するもの)により行いましたが、その際、市民から「分かりにくい」との意見が出され、それを踏まえて数か月間にわたり、「ゲノム倫理」研究会メンバーと山西教授が資料のブラッシュアップを図ってきました。今回は、最新版の市民向け説明資料を用いて、山西教授が直接市民にご自身の研究を熱く語りかけました。
その結果、第1回WSでの動画とはまったく異なる反応が得られました。市民からは「第1回目と本当に同じ内容かと思うぐらい理解しやすくなった。」、「1回目と全く理解度が異なった。直接話を聞くことが重要であると思った」といった意見がその場でありました。
応答3の概要
四ノ宮氏より、山西プロジェクトのELSIを市民と共に考えるために制作した「SFプロトタイピング手法を用いた未来小説」の説明がありました。長鎖DNAを細胞に入れられるようになることで生き物の在り方・概念自体が変わるのではないかという問題意識のもとで、人々はゲノム編集製品をプラットフォームで購入し、自分の身体を自由に操作・強化できる「40年後の世界」を描いている、との解説が市民になされました。そのうえで、実際にSFプロトタイピングを用いて制作した動画の放映(12分程度)を行いました。
市民からは、SFプロトタイピング手法は1つの極端なシナリオを示すことで、それが未来を考えるきっかけになることは間違いないという意見がありました。
意見交換の概要
信原氏より、意見交換の主な論点が説明されました。この論点を基に、市民と研究者の混成チームを2つ作り、先ずはチーム毎に議論しました。その後、全体で各チームでの議論を共有しつつ、全員で議論を重ねていきました。
論点1. 山西プロジェクトのELSI論点をどう考えるか?
論点2. 最先端研究のELSIの議論を市民と共に進めていくためには?
チーム毎の議論では主に以下のような意見がありました。
第一に、山西プロジェクトに関するELSIの議論をどのタイミングで行うべきかという観点からの意見がありました。山西プロジェクトが開発している「細胞に長鎖DNAを入れる技術」自体に倫理的問題があるのではなく、その技術が社会で活用されていくその後の過程に倫理的問題が生まれると見るべきであり、どう活用されるのかが見えない段階の技術について市民が参画して倫理的問題を考えることは必要ないのではないか、という意見がありました。それに対して、最先端技術が社会でどう使われるのかは、その技術を開発した研究者ではなく、社会の側が決めていくこととなるので、そのプロセスに市民の多様な視点が反映されていくことは基本的に良いことではないか、との意見がありました。
第二に、SFプロトタイピング手法で制作し動画が描いたような未来、すなわち人々はゲノム編集製品をプラットフォームで購入し、自分の身体を自由に操作・強化できるようになると、努力と言う概念がなくなってしまうのではないかとの意見が出されました。人類がこれまで行ってきたように自分自身で努力して勝ち取るものと、容易にゲノム編集技術で変えられるもの、それぞれの価値がどうなっていくのか、そのようなELSI論点があり得るとの認識が共有されました。

第三に、ゲノム編集技術が容易に使えるようになると、みんなが高望みするようになり、結果的に全員の能力が上限まで上がり、個人ごとの差が無くなっていく可能性があるが、そのような「差のない未来」は本当に良いことなのかとの懸念が示されました。自分を変え得る技術が発展していく未来においては、「自分らしさなどをどう選択するか」という問題に直面していくことになり、そもそも自分らしさとはどういうことで、それは自分で選択すべきこと/できることなのかどうかも含めて、よく考えていくべきELSI論点の一つになってくるとの認識に至りました。
第四に、ゲノム編集技術の活用を社会はどこまで認めるべきかという観点からの議論がありました。マイナスをゼロに戻すこと、例えば障害を取り除くためであれば技術を使うことが許容されてよく、ゼロからプラスにもっていこうとするとなるとそこは議論になるとの認識が多数を占めましたが、そもそも、その「ゼロ」をどう設定するのかといった疑問も出てきました。つまり、我々は「病気」をどう捉えるのか、ゲノム編集技術が普及した未来においては、いま我々が考える「病気」という概念はそのままなのか、それとも変質していくものなのか、よく考えていく必要があることで全員一致しました。
第五に、最先端研究を市民に伝えていく方法について、アニメやSFプロトタイピング手法は1つの有力なやり方なのではないかとする意見がありました。ただし、場合によっては1つの見方を押し付けられているように感じてしまう市民もいるかもしれず、よく説明していく必要があるといった意見もありました。市民に伝えるべき情報量という点では、市民にはポイントを絞って説明すべきであり、すべてを説明する必要はないとの意見がありました。また情報量もさることながら、研究当事者の研究に対する情熱や、楽しそうに話す姿そのものが市民を議論に誘う効果があるといった市民ならではの意見もありました。
最後に、ゲノム編集技術が一般化・普遍化されていくとすれば、社会が適切にコントロールできるのかといった疑問が出されました。法律でコントロールしていく必要があることを皆が認めつつも、法律によるコントロールという行為にも実は危険な側面が含まれる可能性があることが示唆されました。法律を用意すればそれで一件落着とはならないのが最先端技術に関するELSIの議論であることを共有しました。
チーム毎の議論を踏まえて、最後に全員で議論しました。以下のような意見がありました。
先ず、今回のような場を作るうえで、ゲノム倫理研究者に期待される役割が大きいとの意見がありました。ゲノム倫理研究者は研究者、市民の両方の立場で何を話しているかを理解することができること、だからこそ見つけられる論点があるのではないか、それを発信していくことがゲノム倫理研究者に期待される役割ではないかとの指摘がありました。
次に、これからのサイエンスの在り方について議論が及びました。善悪や可否などの二項対立ではなく間を取っていく日本特有の考え方がこれからのサイエンスで重要になってくるとの意見がありました。従来は簡単にできるところばかりやっていたが、今までできなかった間を見ていくことが必要であり、そうなるとサイエンスと社会の対話が益々重要になっていくとの見解でした。
最後に、市民と研究者の対話を振り返り、その意義を再確認する意見が研究者から出されました。主な意見は次の通りです。
- 学生たちの話を聞いて、こういう方々にELSIの議論に加わってもらえると未来が明るくなると感じた。色んな論点を出して頂いた。コミュニケーションに関しては、一回のイベントですべて解決することは難しく、先ほどのアニメで理解を深められる人もいれば、逆にアニメを受け入れない人もいる。結局、色々なチャンネルで分散的に投げて、どれかが刺さって、重層的に連なっていくことが重要であると思う。そのためには、絵で言うパレットの種類を増やす。アニメが得意な人はアニメで、音楽が得意な人は音楽で、小説が得意な人は小説で、バラエティを増やして敷居を低くしていくのが良い。そのような文化を醸成していくということが大事だと考えている。
- 市民WSの1回目を現場で視察した際、市民が「本当に分からない」と素直に言ってくれたことがうれしかった。あれがあったから「ゲノム倫理」研究会の方でも山西先生の研究やELSI論点を市民の視点も入れて考えていくことができた。
- 今回参加してみて、こういう議論は繰り返さないとダメだというのがよくわかった。山西先生の研究については今までも分かっていたつもりだが、今回はじめて良く理解できた部分もあった。WSに参加した市民から、率直に「分からない」という意見をいただいたからこそ、今日の山西先生のプレゼンテーションが生まれたし、その結果自分も新たな発見があった。やはり、我々研究者はあまりそうした機会がないのだが、何がわからないかを率直に言ってもらうことが大事であると改めて感じた。
- 最後に、このような企画を繰り返し行っていくことに意義があることを改めて強調しておきたい。市民と向き合うことで、研究者も何が分からないかが分かる。どのように話せば理解できるかを伝えてもらうことが非常に重要で、その相互作用の積み重ねが社会を変えていくことになるのではないか。ある人が良いことだと思っていても全員が良いことだと思っているとは限らない。極めて強硬に反対する人は信念を持っており、論理だけで説明することは難しい。したがってこのような機会を作り、何度も何度も対話を繰り返すことで、お互いがハッピーになるような社会を皆で作っていくことが重要なのだと思う。
以上の通り、市民と「ゲノム倫理」研究会メンバーの間で活発な意見交換が行われました。市民は最先端研究が持つ可能性やリスク、研究の最先端で奮闘する研究者の情熱などを感じ取ることができたようです。また、一関高専の学生・教員・社会人の協力を得て開催した計3回のワークショップを通じて、CREST研究総括、山西プロジェクトの研究者、「ゲノム倫理」研究会メンバーは、市民が持つ力を肌で感じ取る貴重な機会となりました。
WS参加者
<一関工業高等専門学校>
学生10名、教員1名、社会人3名
<山西チーム>
山西 陽子 九州大学大学院工学研究院 教授
坪内 知美 自然科学研究機構基礎生物学研究所 幹細胞生物学研究室 准教授
<CREST「ゲノムスケールのDNA設計・合成による細胞制御技術の創出」研究総括>
塩見 春彦 慶応義塾大学医学部 教授
<「ゲノム倫理」研究会>
信原 幸弘 東京大学 大学院総合文化研究科 名誉教授 (研究会代表)
岩崎 秀雄 早稲田大学 理工学術院 教授(オンライン参加)
四ノ宮 成祥 防衛医科大学校 前学校長/国立感染症研究所 客員研究員
三成 寿作 京都大学 iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門 特定准教授
<JST>
RISTEX「ゲノム倫理」研究会事務局
戦略研究推進部
<株式会社日本総合研究所>