JST-RISTEX「ゲノム倫理」研究会 ケーススタディ2024 山西プロジェクト第3回ワークショップ(WS)開催レポート

2025年(令和7年)1月27日(月)
形式:オンライン

RISTEXでは、2019年に「ゲノム倫理」研究会を設置し、ゲノム関連技術と社会のための倫理の考察や、調査研究を行っています。その一環として、今年度は、JST戦略的創造研究推進事業(CREST)の「電界誘起気泡及びDNA ナノ粒子結晶による長鎖 DNA の導入・操作技術の研究」プロジェクトを対象に、プロジェクト代表者である山西陽子教授と、「ゲノム倫理」研究会メンバーで当該プロジェクトにかかわるELSIの論点を議論しとりまとめる試みを実施しています。今回は、第3回目のワークショップ(WS)の様子をお届けします。

山西プロジェクトELSI論点の深堀り

先ずは、山西プロジェクトのメンバーや「ゲノム倫理」研究会メンバーに対して、12月中旬に実施した第2回市民WSを通じて得られた示唆や、2月末開催予定の第3回市民WSの企画案を共有した上で、「ゲノム倫理」研究会メンバーが山西先生と共に修正作業を行った「山西プロジェクトの市民向け説明資料」を確認しました。
さらに、過去2回の研究会で議論を重ねてきた「山西プロジェクトのELSI論点案」のなかから2つの重要と思われる論点を絞り、山西プロジェクトのメンバーおよび「ゲノム倫理」研究会メンバーが2グループに分かれて議論し、その上で全体での議論を行いました。取り上げた論点は次の2つです。

【論点1】長鎖DNAを細胞に入れられるようになると、生き物の在り方・概念自体が変わるのではないか?
【論点2】長鎖DNA・染色体導入が許される病気の範囲とは?

論点1に関する主な議論

  • 長鎖DNAをはじめ、様々な機能を持つ物質を細胞に容易に入れられるようになると、我々の想定を超えて、細胞の機能が置き換わっていく可能性がある。そうなると、生き物の概念が人工物とのハイブリッドまで含むようになるのではないか。
  • 自然物と人工物との境界が曖昧になっていくことになると思うが、ELSIの議論を市民と進める際、「あなたは普段、生き物と物をどのように区別しているか」、「生き物の概念が変わっていくとすれば、それはあなた自身にとって重要なことなのか」という点を議論していく方向はあり得る。
  • その議論は、その人が生き物の概念を日々どう認識しているかに拠るし、あるいはその認識を改めて自覚し直す機会になるのではないか。例えば、「この小麦は遺伝子組換えの小麦ではない」といった説明をよく見かけるが、遺伝子組換えしていないものだけを本来の生物の姿だと認識するのか、しないのか、といった議論になってくる。
  • 過去に異種生物を配合して新生物が誕生したときに何が変わるかという議論があったが、それが繰り返されるだけで終わるのは避けたい。したがって、山西プロジェクト独自の技術である「長鎖DNAの導入により、どこまで今と異なる細胞になり得るのか」のイメージをどのように持って議論するのがよいかを検討しておくことが大事だろう。
  • すでにCRISPR-Cas9を使えばかなりのことができる時代になっており、それをいわば長鎖DNAでも行うということになるが、どこまでCRISPR-Cas9に対抗できるのか、差別化できるのかという点は気になる。ELSI論点について言えば、CRISPR-Cas9で議論されてきたことがあるので、それと重なる部分も当然あるし、技術的に異なるところはELSI論点でも違う議論になってくると思う。
  • 山西プロジェクトではメガベースのDNAの挿入を目標としており、現時点では10キロベースのものはできるようになっており、本方法の利用が可能になれば、従前の方法よりも大規模な生物の改変が可能になる。分子生物学の発展によって系統樹が刷新されたように、生物の見た目ではなく、遺伝子を基準とした分類が可能になるかもしれない。見た目として「近い」が、DNAとしては「遠い」といった区分けが出てくるかもしれない。ヒトのゲノムは 約30億塩基対だが、それがどこまで同じであれば「同じ」と見るのか、といった議論はあり得る。たとえば、ゲノムが99.99%までは「同じ」生物だが、99.98%以下は「違う」のか、どこまでが「同じ」でどこからが「違う」のか、などといった問いかけは市民にもできるかもしれない。
  • 市民と共にELSIを議論していくには、ロジカルにメリット・デメリットをきちんと考えることも重要だが、加えて当該技術の研究当事者(山西プロジェクトの研究者)がその研究のどこに面白みを感じて取り組んでいるのかといったエモーショナルな部分が議論を膨らませていくキッカケになったりする。
  • 山西プロジェクトの技術が持つ社会的なインパクト・価値について、我々研究者側が伝えるのではなく、市民に考えてもらうことが重要なのではないか。色々な状況に置かれた人たちがこの技術を見たときに、どのような価値を見出すか、ビジネスだけでなく、倫理的な価値でも良いが、広がりのある議論を進めていく際の契機として「市民の意見」が重要な意味を持つのだと理解している。
  • 山西プロジェクトの技術が、遺伝子に限らない物体を丸ごと入れるアプリケーションになり得るというのは、将来的な到達点としてあり得る。それは新しい細胞共生が実現し得る可能性を示唆している。
  • 微生物や人工物を導入すること自体、出来たとしても、市民としては何が嬉しいのかということが提示されないと、想像することが難しいだろう。細胞共生が技術的にできるようになったとして、それによってどのような未来が期待されるのか、を提示できれば良いと思う。
  • ELSI論点を段階的なものとして考えていくことが大事だと思う。いきなり、「長鎖 DNAを入れる」といった議論になれば多くの人は怖がり、拒否反応が強く出てくるだろう。入れるかどうか、という議論の前段階の議論、つまり長鎖DNAを挿入したあとに追跡できるかどうか、長鎖DNAを入れていることを皆が認識できる「標識」のような仕組みは作れるか、挿入したものを元に戻せるか・取り出せるか等などの論点を設定していくことが良いのではないか。その議論をしていくと、他の動物の臓器を人に入れるべきかどうかといった決定をする前に、自分たち自身も含めて現在の生き物の在り方を振り返ることになるだろう。そこを経た後に大胆な議論に進んでいくようなデザインを考えていくべきだろう。
  • 植物の世界では、細胞融合という方法がある。白菜とキャベツをくっ付けて種間雑種を作ったり、イチゴとイチゴをくっ付けて大きなイチゴを作ったりするなど、取組が(普通に)進んでいて、我々もあまり気にせずに食べている。植物で既にやられていることを哺乳類ではどこまでやるのか、という議論の立て方があり得る。社会がどこまで許容するのか。(種の境界を越えた新たな生物を)ペットとして飼いたい人が出てきたらどうするのか?それを作りたい人がどんどん出てくる可能性もある。
  • 種の境界が曖昧な方向へ進むという観点では、日本では、魚類への遺伝子改変がなされていて我々はそれを普通に受け入れている。日本人はそのあたりの認識は緩いように感じる。日本には輪廻転生という見方がある。例えば、「次はカメに生まれるかもしれない」といったような認識を持っている。その点で、種の境界は神が作ったとするキリスト教社会と日本社会はかなり異なるのではないか。
  • 例えば、大動脈弁置換術に関して生体弁(ウシ・ブタ)が保険収載されているように、「種の境界」の越境は医療応用という場面では社会に受け入れられているのではないか。
  • 生物の遺伝子は数百万年スケールで見れば、自然のなかで大きく変化してきている。その変化を加速させる技術として山西プロジェクトを捉えるならば、ここでの論点である「生き物の在り方・概念自体が変わるのではないか」といったELSIの議論に繋がる。これは、先端技術の開発スピードをどれくらいの速度にすべきなのか、それをどう調整できるのかという重要な論点であるように思う。

画面キャプチャ:ワークショップの様子

論点2に関する主な議論

  • 「どのような病気であれば許されるのか」という点では、命にかかわること、(病気で)他に打つ手がないと言われれば考えるということだろう。出生前診断で染色体が1本足りない、あるいは1本余計だと言われ、どうするかと親が言われれば悩む。その際にDNAの修正という選択肢があるのであれば検討するだろう。他方で、命にかかわらない部分では選択肢として社会から許容され難いのではないか。「命へのかかわり」の線引きは難しいが、例えば、24時間の付きっ切りのサポートを受けてはじめて生きていくことができる人もいるわけで、その状態が改善できるとなれば介入は許される、と考えることもできるのではないか。
  • 長鎖DNAの挿入先が生殖細胞なのか体細胞なのか、という点をおさえておくことが必要なのではないか。おそらく、そのテクノロジーが評価されやすいところ(=体細胞への長鎖DNAの挿入)から試みられ、社会に許容されていくという流れになるのではないか。なお、受精卵向けのDNAの挿入は個人的には少なくとも現時点では反対の立場である。
  • 大きなDNAを挿入するという意味では、デュシェンヌ型筋ジストロフィーやミトコンドリア病等の人も候補になる。2~3メガスケールの遺伝子になるので既存の方法(補充療法)では対応できていない。そこに山西プロジェクトの技術が選択肢として出てくるのであれば喜ぶ人も多いだろう。パーキンソン病の遺伝子も大きいので候補になる。山西プロジェクトの技術はそうした病気を治せる可能性がある、という言い方が市民にはわかりやすいのではないか。また、エンハンスメントの議論だが、これだけ長いDNAを入れると違うことができるかもしれない。これまでの短いDNAの挿入の際、植物の品種保護の分野で使うことが想定されていたはずだが、追跡可能なDNAバーコードを組み入れる技術も開発されていたように思う。
  • 一つの遺伝子によって引き起こされる病気は現状でもCRISPR-Cas9で治すことができると思う。CRISPR-Cas9の使用が進んでいる中で、細胞への長鎖DNAの導入技術だけが貢献できることは何なのかを考えておくことが大事だ。例えばチンパンジーと人はほぼ同じ遺伝子配列だが、生物としては全く違う。ほぼ同じ遺伝子を持っているのに全く違う生物になるのは、遺伝子の発現の違いによるものなのか。そのような根源的なところの基礎研究を積み重ねていくことで最終的に治療に結び付くような技術が生まれる可能性がある。長鎖DNAをまるごと細胞の中に導入する技術は、ゲノム動態に対する人類の知識を増やすことになるはずであり、一連の基礎研究を行う際の強力なツールとして貢献していくことになるのかもしれない。CRISPR-Cas9も20~30年の基礎研究を経て現在の応用研究に結び付いている。そうした位置づけで山西プロジェクトの技術を捉えていく必要があると思う。
  • 植物を研究しているが、植物の掛け合わせには時間がかかる。植物にとって大切な遺伝子領域は分かっておらず、(相関関係であれば類推できるものの)実験的に因果関係に落とし込むためには長鎖DNAが安定的に入る技術が必須であり、その技術開発が必要であるという認識で取り組んでいる。導入した細胞を増やして個体に持っていくスピードを速める技術と、染色体レベルの大きさのものをそのまま入れることができる技術を組み合わせると、新たな発見が生まれる可能性がある。一方で、自身の周辺では微生物共生を行っている人もいるし、スコープが長くなってしまうが、微生物共生を再構成することにも寄与し得る(葉緑体を藻類から盗んで、自身がエネルギーを作るウミウシなどの研究がホット)。山西プロジェクトの技術は、遺伝子導入以上のポテンシャルを持っていて面白いと考えている。

以上のように、2つの論点について、山西プロジェクトが持つ可能性、それに伴って我々が考えていくべきELSIの論点、さらには、そうした議論を研究者コミュニティに閉じず、市民と共に展開していくことの重要性が様々な角度から議論されました。
最後に、市民に対して、(狭義の)ELSIの議論と合わせて、山西プロジェクトの技術が有する基礎科学的な面白さ、その価値を伝えていくことを試みてはどうかといった意見も出ました。技術の使われ方という出口のメリット・デメリットを議論することは大事だが、市民に参加してもらうことを考えると、それだけで終わるのはもったいないとの意見でした。将来明るい未来が訪れるから市民も応援したい、あるいはその逆、といった結論だけでなく、この社会の未来に何らかの形で影響を及ぼすことになる基礎研究の面白さを市民にも感じてもらう(これも広義のELSIからすると一つの重要な出口だ)ことができる機会を作っていきたい、という研究者の率直な想いが発露されました。ELSIの議論を過度に狭く捉えるのではなく、自分たちの未来を形作っていくことになるはずの基礎研究への共感や違和感といった形で重ねていくことの大切さを全員で共有しました。

今回の議論は、2月28日に開催する第3回市民WSの企画に反映していきます。改めて市民の方々と山西プロジェクトのELSI論点を深掘りすることで、最先端研究を対象とするELSIに関する研究者と市民の対話の可能性や課題、さらには基礎研究のおもしろさ等を感じることのできる場になるはずです。

WS参加者

<山西チーム>
山西 陽子 九州大学大学院工学研究院 教授
菅野 茂夫 産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門 主任研究員
坪内 知美 自然科学研究機構基礎生物学研究所 幹細胞生物学研究室 准教授
鈴木 隼人 産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門 研究員
鳥取 直友 九州大学大学院工学研究院 機械工学部門 助教
鶴屋 奈央 九州大学工学研究院 学術研究員

CREST「ゲノムスケールのDNA設計・合成による細胞制御技術の創出」研究総括>
塩見 春彦 慶応義塾大学医学部 教授

<「ゲノム倫理」研究会>
信原 幸弘 東京大学 大学院総合文化研究科 名誉教授
岩崎 秀雄 早稲田大学 理工学術院 教授
岡本 拓司 東京大学 大学院総合文化研究科 教授
四ノ宮成祥 防衛医科大学校 前学校長/国立感染症研究所 客員研究員
志村 彰洋 株式会社電通第7マーケティング局 ゼネラルマネージャー
中村 崇裕 九州大学 大学院農学研究院 教授
三成 寿作 京都大学 iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門 特定准教授

<JST>
RISTEX 「ゲノム倫理」研究会事務局
戦略研究推進部

<株式会社日本総合研究所>

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