社会技術をささえ、未来へつなぐ~研究開発の企画・マネジメントの視点から~

有本建男×小林傳司

〈RISTEX20年ふり返り対談4〉有本建男×小林傳司 2022年1月14日 於・東京

有本建男氏は、科学技術官僚として、国際的な議論の場でも活躍してきたユニークな背景をもつ実務家であり、2006年よりRISTEXのセンター長を7年近くにわたって務め、RISTEXの特徴的な研究開発マネジメントのスタイルを築き上げた人物である。在任時には東日本大震災を経験し、被災地の災害復旧・復興に向けた緊急公募と実施に携わった。現在はJST研究開発戦略センター(CRDS)の上席フェローと政策研究大学院大学(GRIPS)の客員教授を兼任しつつ、科学技術政策に直接つながる国際的な場やアジェンダの設定、トランスディシプリナリー研究や科学的助言などの国際的な議論の促進に尽力している。今回の対談では、長年のご経験をもとに、今後のRISTEXや日本の研究に必要な視点について語っていただく。

有本建男

有本 建男(ありもと たてお)

政策研究大学院大学客員教授、JST研究開発戦略センター上席フェロー。内閣府大臣官房審議官(科学技術政策担当)、文部科学省科学技術・学術政策局長などを歴任。2006~2012年にRISTEXセンター長。著書に「高度情報社会のガバナンス」、「科学的助言: 21世紀の科学技術と政策形成」など。

第2期科学技術基本計画・ブダペスト宣言・そして社会技術

小林:今回は、RISTEXで一番長い期間センター長を務められた有本さんと対談させていただきます。有本さんのような一風変わった高級官僚が、社会技術の推進に実務的に従事されたことが、RISTEXの独自性に少なからずつながっていると思いますが。

有本:(笑)一つ、自分の背景として、お話しますと、1987年に、当時の中曽根康弘首相が提唱した、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)という国際プロジェクトがあって、そこで、ノーベル賞級の科学者や、国の科学技術政策に影響力をもつ人たちが集まって議論しました。私は、まだ若くて、旧科学技術庁の企画室長だったはずですが、ここで彼らに会えたことは、今の自分につながっていると思います。米国科学財団(NSF)の当時の理事長でIBMのチーフサイエンティストだったエリック・ブロック(Erich Bloch)が、世界的な研究支援システムの必要性を、鮮やかに説いておられたのは印象深かったです。他にも、ジョン・ケンドリュー(John Kendrew)やイリヤ・プリゴジン(Ilya Prigogine)など、歴史に残る人びとが、これからの科学とその支援について熱心な議論を繰り広げていました。ケンドリューは、1962年ノーベル化学賞の受賞者でICSUの会長でしたが、彼が日本の、HFSPの提案について、「われわれは、これを共通の問題、すなわちit's our programと位置づけるべき」と言ってくれて実現に向けて大きく前進したときは、感動しましたね。

小林:なるほど。そのようなご経験が、有本さんという希有な官僚をつくりあげているのですね。その有本さんは、20年前には、第2期科学技術基本計画の策定に関わっておられましたよね。1999年に、世界科学会議からブダペスト宣言が出て、少し後には科学技術社会論学会ができて、この時期、科学と社会に関連する大きな動きがいくつもありました。

有本:はい、このブダペスト宣言の中身を、どう日本のファンディング事業として実現していくか、というところで、社会技術の動きが出てきましたね。
2001年3月に、第2期の科学技術基本計画が閣議決定されましたが、その1年以上前に、まず、科学技術庁にタスクフォースができました。当時、私は担当課長(科学技術庁政策課長)でした。2001年1月には、内閣府に総合科学技術会議ができて私はそちらに移り、初仕事として基本計画の内容の検討に参画しましたが、最終段階で、一章立てて、科学と社会の問題を扱うべき、ということになりました。これには、吉川弘之先生や石井紫郎先生たちが尽力されたおかげで実現した側面がありますね。石井先生は、総合科学技術会議の最初の常勤の人文社会科学者でした。ただ、科学と社会の章ができたものの、その表題をどうするかで議論になりました。政治家も行政官も国民もわかるように、と。議論の末、「科学と社会のコミュニケーション」となりましたが、何か違和感が残りました。とはいえ、そこでの議論が、実行組織としての社会技術研究システムの創設につながっています。

小林:最初のものが、社会技術研究システム時代の、「社会システム/社会技術論」という公募領域ですね。

有本:ええ。社会技術については、行政の戦略という観点からは、「産業技術」があるなら「社会技術」もあっていいだろうから、そういう仕組みを導入しよう、という考えでした。それで、社会技術研究システムは、当時の日本原子力研究所(原研)の中にミッション・プログラムを、JSTでは公募型を作って、両者の連携協力体制で始まりましたが、その後、JSTに統合され、2005年に社会技術研究開発センターが設立されました。この頃は、研究プロジェクトの実施にリソースを集中せざるをえなかったですが、事例が積み上がってきた段階で、蓄積された事例をシステマチックにメタレベルで分析し、領域設定やマネジメント方法を改良するしくみを、センター内に作らなかったことがずっと心残りです。20年経ったということをきっかけに、ぜひ具体化していただきたい。実際は、かなりされていると思いますが、仕組みとして入れておかないと持続しない。

小林:小林信一さんも同じことをおっしゃっていました。「センター」であることの意味を再考する時期に来ていますね。

センター長として築き上げてきたこと:企画、運営、理念、決断

小林:有本さんは、2006年にセンター長になられましたよね。

有本:前任のセンター長であった市川惇信先生から引き継ぐとき、次のようなことをおっしゃいました。まず、RISTEXは科学者と議論しなければならず、もう一方で、行政や市民とも議論しなければならないので、センター長は両方の能力を持たないといけない。そのためには、「寛容」であるべきだと。また、受託側である研究者も、RISTEX側の運営スタッフも、従来の近代科学の制度とかなり異なることをしているので苦労している。ディレクターとして、常にそこに配慮するように、とも。さらに、新しい試みであるRISTEXのプレゼンスを高める努力をしてほしい、とも言われました。それから、実務的には、研究総括に誰になっていただくかで、そのプログラムの質と実行性が決まるので、よく見極めて決めてほしい、と。最後に、市川先生は、社会技術は「プロセス」だと考えている、とおっしゃっていました。その「プロセス」の部分に十分配慮してほしい、ということでした。市川先生の想いを引き継ぐことができたのは、実務家である私には、とても良かったと思っています。

小林:今の研究総括を決めるというお話ですが、RISTEXはさまざまなテーマを扱うので、各分野の専門性を持ち、かつ幅広く関連する活動を見渡せるかたに研究総括になっていただいていますが、有本さんがセンター長のときに選んだのは…

有本:「犯罪からの子どもの安全」、「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」、「コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン」、「コミュニティがつなぐ安全・安心な都市・地域の創造」、「問題解決型サービス科学」、「科学技術イノベーションのための科学」ですね。

小林:たくさんありますね。また、一からRISTEXでつくる研究開発領域と、文科省から「重要課題なので対応する公募プログラムをつくってほしい」と、リクエストされるものの両方ありますね。ところで、テーマを決めて領域を設計していくところから、実際に走らせて運営をするところまでの、具体的なhow toは、有本さんがセンター長だった頃にかなりできあがったのですよね。

有本:そうですね。常に実験しているこのセンターは、「前衛」的だと思います。設計、運営、そして社会への成果還元まで一貫してやっていますからね。それも、条件や文化、歴史等が異なる地域の課題解決に、個別のプロジェクト単位ではなく、領域やプログラムのレベルで取り組んでいる。私がセンター長だったとき、日本地図に100以上のプロジェクトのマッピングをして、それらの共通点や特徴などの分析を試みました。今でもパンフレットに掲載されている「三層構造の図」、これは、先ほどお話した石井先生がRISTEXの方法は近代民法の三層構造の循環モデルに類似している、として示されたものです。この「第一層」であるプロジェクトレベルの事例を収集して、幾つかの視点で分類した上で、「第二層」である方法論や類似点の抽出をしたものです。このように一般化した知見は、JSTの他の事業とRISTEXの差別化ポイントだと思います。一方で、方法として他の事業にも適用しやすくなる。看板が「社会技術」であるということは、社会全体を見なければならない。大変ですが、強みですよね。

プロトタイプ展開の概念図

小林:ただ、どうしてもRISTEXの事業だけを考えてしまうのが欠点ですね。もう少しJSTの他の部署、特にシンクタンク機能をもつCRDSなどと連携できるといいなと思います。

有本:はい。始めた頃は、JST内でもRISTEXの方法は理解が深まらなかった。今やRISTEX以外にも、JST、各省を含めて、社会課題解決型のファンディングが沢山進められる時代になっている。「科学と社会」推進部などとも内部連携を進めて、JST全体で効率的に知見や方法を共有していきたいですね。SciREX事業との連携も重要でしょう。今度、30年史をつくるときには必ずできているように、JSTの玄関に穴でも掘って、「社会技術2030とは」を書いておくといいかもしれません(笑)。

小林:タイムカプセルですね(笑)。

日本の研究力を強くするために

有本:第6期科学技術・イノベーション基本計画は、社会の変革、ウェルビーイング等、従来なかった価値観を思い切って入れ込んだ。覚悟をもって取り組まないと、5年後に「何やっていたんだ」、と問われることになるでしょう。

小林:総合知のようなことは、実はRISTEXで長い間取り組んできているのですよね。ただ認知度が低い。行政の中でもRISTEXの存在は大きくない。もっと知ってもらうためにはどうしたら良いでしょうね。

有本:サステナビリティ、レジリエンス、ウェルビーイングを目指す時代を迎えて、行政側の能力向上は強く求められている。OECDでは「dynamic capability(動的能力)」と言っています。例えば、日本人がノーベル賞を受賞したら、日本では、その研究者の家族や弟子などにマスコミの報道が偏りがちです。しかし、その研究がどういうしくみや資金などのシステムによって支えられたのかにも着目してほしい。ニュートリノ振動の発見で受賞された梶田隆章先生の研究にも、背景に巨大な投資があります。宇宙ニュートリノの検出で小柴昌俊先生が受賞されたときには、なぜノーベル賞を受賞できたか、というテーマで「科学新聞」に特集を組んでもらいました。当時、浜松ホトニクスの晝間輝夫社長が、超大型の光電子増倍管を開発され、地下に多数設置することができた。また、当時の旧文部省の審議官が、カミオカンデの重要性をちゃんと認識していた。そして、当時の大型学術プロジェクトの審議決定プロセスでは、大マゼラン星雲の大爆発によるニュートリノが、地球に到達するタイミングに間に合わない、と判断して、審議を加速しています。こういう、多様な関係者の協働、という側面がほとんど語られていないんですが、実はこういう関係者との協働とそのストーリーが大事で、英語の文法でいえば5W1Hを語れること、知識として経験として残して、みんなが共有できることが、日本の研究力を強くするはずなんです。

小林:おっしゃるとおりですね。マネジメント側の工夫という点では、RISTEXにもつながる話だと思います。

有本:そうですね。まず、RISTEXで研究開発領域をつくるとき、初めは、幅広い参加者による大きなワークショップを実施して、重要なテーマが見えてきたら、そのことについて全国100人にインタビューに行こう、と。

小林:その仕組みは、有本さんがおつくりになった。

対談の様子

有本:まあ、そうですね。社会問題を様々な観点から俯瞰的に調査し、その結果をもとに議論をして、注目すべき社会課題テーマを幾つかストックしておく。その中で一つ決めたら、いろいろな価値観や知識や経験をもった地域の人びとにインタビューに行くんです。今、EUのHorizon Europe※1でも、新しいプログラムを立ち上げるときは、ワークショップや説明会をさかんに実施しますが、それと類似したものだと思います。100人インタビューの後は、もう少しテーマを狭めて、小さめのワークショップを開催して、その議論の状況から、領域総括やアドバイザーに適した人物を見つける。

小林:私も、有本さんがセンター長だった頃、そういうワークショップに参加したことがあります。その時の参加者は、応募して研究を実施する側になりそうな人たちが多かったんですが、公募の公平性の点で問題はないのか、という質問が出たとき、有本さんはこうおっしゃった。「厳密には、そうかもしれん。だけど、新しい探索型でファンディングをするときに、良いものをつくるという観点からは許されるはずだし、そこは私が責任を持つ」、と。形式論でいったら、問題ありそうですよね。ワークショップ参加者は、有利な条件で応募することになるかもしれないので。だけど、逆に言うと、こういうテーマで新しいものをつくるときには、そのくらい覚悟がないとできない。そういうメッセージだと受け止めて、なるほど、と思いました。とても感激して、非常に印象に残っています。

有本:ありがとうございます。場合によっては、達成すべき目的のために、形式的なルールの側を調整すべきと思って、押し切ったこともありました。
先ほどの、RISTEXの認知度が低いという話に戻るのですが、今ではJST内でも、社会課題解決に取り組む研究公募をしている他部署に展開可能な知見を、RISTEXは蓄積していると言えるはずです。

小林:おっしゃるとおりですね。とはいえ、人文・社会科学の研究者の多くは、JSPSは知っていても、そもそもJSTを意識しておらず、RISTEXのことも知らないという事情もあります。例えば、片田さんの「釜石の奇跡」や西浦さんの感染症モデルにファンディングしているので、社会的インパクトは大きいはずなんですが。

有本:「釜石の奇跡」のようなアクション・リサーチにおいては、若手研究者が論文化しづらいという悩ましい問題がありました。高齢領域総括の秋山先生は、そのようなアクション・リサーチを方法論化して、論文にすることを可能にしたという点ですばらしいですね。彼女が進めている「リビングラボ」は、今でも重要で、今度開催される関西万博にまでつながっています。
JSPSとJSTの研究コミュニティにおける認知度については、JSPSのほうが採択されやすいし、世界中のファンディングの標準的なやり方をしているので理解されやすいですね。対して、JSTの公募は競争率が高く、労力も必要です。RISTEXなどますます認知度が低い。加えて、試行錯誤しながら、研究開発領域を立ち上げて、運営して、まとめるので、コストも高いです。JSPSのようなボトムアップの研究も重要ですが、RISTEXのような社会課題解決型の研究費も大切で、それにはコストがかかるんです。これはミッション志向型のSTI(科学、技術、イノベーション)政策のためのインベストメントなのだ、ということを、しっかり伝えていかないといけないですね。

小林:EUのHorizon 2020※2では、研究者以外にも、つなぐ役割の人を雇用できるしくみになっています。日本はまだ、研究以外のそういう能力をもつ人を雇用する、という感覚が薄いですが、これも必要なインベストメントだ、と言っていく必要がありますね。飛行機が飛ぶとき、パイロットと燃料と機体だけあればいいわけではなく、地上要員もいて全体的なシステムで動く。科学技術も同じなんです。そのあたり、RISTEXはこれだけの実験をしてきた「前衛」として、もっと発信すべきなのでしょうね。その支援システムの中核となるのが、先ほどお話のあった領域総括なのだと思いますが、選ぶときは何を重視されていましたか?

有本:研究の実績――ただし、狭い意味ではなく、幅広の関心、知識、経験、人脈に基づいた実績ですね。それから、やはり包容力ある「リーダーシップ」。時に、勇気と決断力。そして、われわれ実務側をバカにしない、ということです。

小林:なるほど。役割は違っても対等のパートナー、という、当たり前の感覚を持っている人ですね。

有本:はい。それから、人びとが共感できるストーリーが語れる人ですね。

小林:プログラムを通じて、それが語れるか。

有本:そうですね。あと、募集要領はとても重要です。小林先生が随所で指摘されているとおり、いろいろな研究費がある中で、「この研究費の制度は何を目的としているのか」、ということを、研究者もファンディング側も俯瞰的に認識することが重要です。対話をしながら伴走していく、という作法が日本にはなくて、それが研究力を落としている一つの要因である気がします。だからこそ、募集要領に何をどう書くかが重要で、それを、実際の研究マネジメントで研究者側も納得して実行し継続する必要があります。担当者が変わってもきちんと遂行できるように。そのためには、JST、文科省の理解も欠かせません。


※1 EUの科学技術政策。2021年~2027年を対象とする、研究とイノベーションの促進のための研究推進枠組み。
※2 Horizon Europe(前述)につながった枠組み(2014年~2020年)。

RISTEXと東日本大震災

小林:有本さんがセンター長だった時に起きた東日本大震災についても伺いたいです。

有本:その頃センターには、一般の人びとからの意見を集める仕組みがありまして、たくさん意見をいただきました。「想定外だった」という科学者の言葉に対する批判も多くありましたが、一方で、日頃から科学に関心を寄せていなかったことへの自省や、対話の必要性、落ち着いた情報提供をする科学者の存在を認める意見もありました。とにかく、そうしたものを見ながら、RISTEXのセンター長として、緊急対応が必要と判断しまして、震災が起きた2011年度内に研究を実施するための予算として、急きょ6千万円を確保しました。それで「東日本大震災対応・緊急研究開発成果実装支援プログラム」※3を立ち上げたんです。とにかく早く具体的な課題を設定し、関係者組織の共同研究体制を作って現場で実践すること。その枠組みで、例えば、大船渡湾の漁場環境蘇生プロジェクト※4が実施されました。地元の漁業組合や全国の高専のネットワークと協力して、湾の環境回復とカキ養殖の復興を推進しました。センター長として何度も現地入りもしましたね。

小林:何度も足を運ばれたと聞きました。すばらしい行動力ですね。

有本:1100台あったカキ養殖いかだのうち、津波で生き残った3台に残ったカキの稚貝が、マイクロバブルの効果で、行く度に大きくなり、翌年2月には食べられる程になりました。感激でした。多くの地元の方々、高専の先生、学生さんにはお世話になりました。また、阪神・淡路大震災のとき、仮説住宅の玄関が背中合わせだったため、近所の会話が生まれず、住み心地が悪かった。この経験を踏まえて、玄関が向かい合うように仮設住宅を設置する、さらにベンチも置く、といった実証実験もしました※5。その効果をある病院が測ってくれたところ、住む人の通院回数が減った、という結果が得られました。
さらに、仙台市の海側の地区は津波で全部流されたんですが、東北大学の農学研究科の先生がたがアブラナの実験をしたい、と。塩分濃度が高い等のいろんな状況下でどれくらい育つか、土壌改良ができるか、という研究なのですが、感動したのは、大津波の1年後の春先になると、いまだに荒涼たる、遠くに津波による廃棄物の大型施設が見えるような地に、一斉に黄色の花が咲いたことは、復興の一つのシンボルに思えましたね。※6

「津波塩害農地復旧のための菜の花プロジェクト」

「津波塩害農地復旧のための菜の花プロジェクト」(実装責任者:中井裕)ご提供


※3 東日本大震災におけるRISTEXの取り組み
※4 マイクロバブルを用いて大船渡湾の豊かな海を再生させ、水産業の復興を支援する
※5 旧山古志村で災害復興に貢献した経験を活かし、仮設住宅で暮らす人々の生活の質を向上する
※6 津波塩害農地をエコで復興 菜の花プロジェクト
 塩害に強い「菜の花」を栽培しながら農地を修復し、科学の力で被災地に希望の灯火をともす

トランスディシプリナリー研究と今後のRISTEX

有本:東日本大震災が起きた年の12月に、『Nature』誌が、日本の科学的助言体制の貧弱さを批判した、厳しい社説を出しました。これは、政治側にも大きなインパクトがあり、当時CRDSセンター長だった吉川先生を中心に、日本の科学的助言体制の強化に向けた動きになりました。その結果、海外に日本の経験や事例を多く発信することになり、『Science』誌に論文を掲載することもできました。これがきっかけになって、OECDにあるグローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)という、科学政策を検討する部会で、科学的助言メカニズムの各国比較プロジェクトの議長を務めました。その後、トランスディシプリナリー研究(TDR)の各国比較プロジェクトを議長として報告書をまとめました。そもそも「トランスディシプリナリー」とは何か、というところから、経済学から歴史学から、いろいろな分野の専門家が多様な視点から論じるので始めは収拾がつかなかった。そこで自然科学から社会科学、人文学の分野を越える学際的な科学技術研究と多様な関与者のエンゲージメント(参加・従事)を作業定義として、さまざまな事例を集めました。そのうち28事例を報告書にまとめましたが、そのなかにRISTEXも入れています。日本でもTDRの国際ワークショップを開催しました。OECDと相談して社会技術の国際ワークショップをパリで開催したこともあります。最近では、TDRや社会技術の分野は国際的関心が高まっており、国際的ネットワークも重要ですね。

小林:その「トランスディシプリナリー研究」を「超学際」と訳するのは誤解を招き、よくないですね。有本さんは、「学際共創研究」と訳されていて、これが重要だと思います。

有本:はい。小林先生のご示唆もあって、TDRの日本語訳は「学際共創研究」としました。また、トランスディシプリナリーなアプローチを、自然科学の学問的なフロンティアを見つけるためのものと誤解されることもあるので、留意する必要があります。いわゆるサイエンスの卓越性を追求する基礎研究も重要で、他方、社会課題や災害に対応するための課題解決型の研究も重要ですが、どちらかに偏りすぎないよう、バランスを常に意識しておくことが大切だと思います。

小林:おっしゃるとおりですね。最後に、これからのセンターのあり方について、ご示唆いただけますでしょうか。日常のファンディング業務も重要ながら、やはり成果を把握して、より高次な知識にしていくしくみが重要と感じますが。

有本:これは、能力だけでなく、熱意を要するものかもしれません。そして、やはり事例を集めて、共通点を見つけ出し、メタな知識にして、さらに学理に高めていくしくみが必要ですが、これは日本全体の構造的な欠陥である気がします。個別と総合の往還でしょうか。自分たちの多様な知識開発、経験を蓄積し、事例を集め、高次レベルで分析していく。それらを新しい学問分野の開拓や社会課題解決に向けて、総合しデザインする。いろんな事例を持っているRISTEXさらにJSTが率先して検討するべきでしょう。RISTEXセンター長や東北の復興に携わった経験から、社学連携などは事例をたくさんもっているのだとしみじみ思ったんです。自分たちの事例に基づいた知識を構造化し、世界に堂々と日本の独自性を発信できる。次のステージですべきは、個別課題への伴走的ファンディングの継続と蓄積、メタレベルでの分析とデザインの能力を育むことではないでしょうか。これは個人と集団レベルでの能力強化です。
STI for SDGsでもELSI/RRIでもいい、日本からアジェンダを提案し、抽象論ばかりでなく事例に基づく国際的な議論をオーガナイズすることが重要です。今は遠隔でイベントの開催もしやすいので、国内外のつながりをつくり、拡げるチャンスだと思います。若い人たちに関心を持ってもらうためにも、グローバル・ヤング・アカデミーのような若手ネットワークともつながると良いですね。

小林:ヤングアカデミーの人たちは、センスがあるし、今日の世界の動向を冷静にみていたりもしますね。

有本:例えば、政策関連の議論はなかなか分かり難い。会議の参加者はその会議内の情報を利用してもよいが発言者や他の参加者を明らかにしてはいけない、というチャタムハウスルールで、若い人も巻き込んで議論に入っていけるルール、場を作る。ゆくゆく彼らが世界的な舞台で思い切り活躍できるような学習と訓練の仕組みを作ることが重要と思っています。

小林:おっしゃるとおりですね。非常に明快な示唆を、どうもありがとうございました。

対談を終えて

有本さんはRISTEXセンター長を最も長くお務めになった方です。現在のRISTEXの活動の基本形を生み出してこられたと言っても過言ではありません。しかも高級官僚だった方です。私は有本さんがセンター長だった時期に、RISTEXの研究プロジェクトの一員として、また村上さんが総括されている領域の総括補佐役として、RISTEXに関りました。有本さんの振る舞いを見て、正直、どうすればこんな「変わった官僚」が生まれるのだろうかと思ったものです。そのくらい魅力的でした。今回はその秘密の一端をご理解いただけたのではないでしょうか。
RISTEXが生まれる前後の時期の学術の動向を、吉川さんとは少し違った視点、つまり実務家の視点から語っていただきましたが、有本さんが当時のアカデミアの重鎮と丁々発止のやり取りをされていたさまが目に浮かぶようでした。また、現在、トランスディスシプリナリー(学際共創)型研究と呼ばれるスタイルのものをRISTEXに定着させたのも、社会課題の探索にしっかりと時間をかける手法を開発したのも、実務家としての有本さんの手腕でした。センター長在任時に起こった東日本大震災への対応も忘れることができません。(小林傳司)

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