戦略プロポーザル
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知のコンピューティング ~人と機械の創造的協働を実現するための研究開発~

エグゼクティブサマリー

知のコンピューティングとは、情報科学技術を用いて、知の創造を促進し、科学的発見や社会への適用を加速することを目指した活動全般である。

現代社会は知識と情報であふれており、われわれはこれを活用しきれていない。学術論文や書籍・文献のデジタル化やWikipedia に代表されるインターネットを活用した新たな知識体系の整備、ブログやSNS などの断片的だが大量の発信文書など、膨大な知識の体系や断片がインターネット上に無秩序に増殖している。しかし、活用に関しては、キーワードを主体とした検索エンジンを通した人手による探索が現状の主要な手段であり、それ以上の、知の蓄積や伝播、活用に向けた新たな方法論は出現していない。

一方、情報科学技術の分野では、半導体やハードウェア技術の継続的な進歩により、計算機としての性能と記憶容量は加速度的に向上し、また、ソフトウェアの分野でも、人工知能技術の発展は一時期の幻滅期を越えた新たな領域に踏み出そうとしている。人工知能技術の成果は、たとえば将棋では一流の棋士に匹敵する力量をもち、また難問クイズ番組でも人間の歴代チャンピオンに勝つなど特定分野での成功が目立つ一方、音声認識や機械翻訳においても実用レベルの完成度を我々が享受できるようになってきた。
科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)では、研究開発の俯瞰報告書「電子情報通信分野(2013 年)」にて、今後戦略的に取り組むべき分野の一つとして「知のコンピューティング」を提唱した。世にあふれる情報・知識を有効に活用することで、人々が賢く生きる上での糧(知)とするための仕組み、及び、その研究開発を模索してきた。具体的な活動として、2013 年度には、学際的な有識者・研究者を招いたサミットや複数回のワークショップを通じて、新たな学問分野としての研究開発の方向性と具体的な研究開発テーマの深掘りなど検討を重ねてきた。

知のコンピューティングの目的は、知の創造、蓄積と流通を促進し、人間の科学的発見を加速し、人々が日々賢く生きるための仕組みづくりを行うことである。研究開発を推進する際には、以下に述べる、今の人間にはできないことの追求、従来の科学ではできないことの追求、および、社会適用を意識した研究開発の3 つの視点を重視している。

加速する知の集積・伝播・探索(人間だけではできないことの追及)
世界中のネットワークに繋がった多様なエンティティ(知能や知識)を活用し、ごく簡単なやり取りで、最適な提案を行うことは、人間のキャパシティーを大幅に超えている。ここでは、特に人間と機械の日常の場におけるインタラクションを通して知の集積・伝播・探索のための研究開発を推進する。

予測・発見の促進(従来の科学では難しいことの追及)
科学は、物事を理解することで科学法則を見いだし、それを現実の問題に当てはめて解く。しかし、既知の科学法則だけでは解けない、あまりに複雑な問題や法則自体が複雑になってしまった問題もある。ここでは、科学技術を顕微鏡や望遠鏡のように使って、これまででは見えなかった領域を拡大したり、これまで捉えきれなかった全体像を多面的に俯瞰したりして、人間の科学的発見や知の創造を加速するための研究開発を追求する。

知のアクチュエーション(社会適用を意識した研究開発)
上記の開発成果は、直接的に、または機械や社会システムを通じて間接的に、人間や社会に還元すること(アクチュエーション)で、より納得性のある意思決定やより優れたシステム制御など、人々の賢い暮らしに貢献することができる。さらに、関係するすべての科学者と行動者にアクチュエートした結果をフィードバックすることで、知の創造と還元の循環を効果的に進める方策の検討を行う。

研究開発を社会に実装するためには、成果をプラットフォーム化して、プロジェクト内、プロジェクト間にわたって共有する仕組みを構築することが重要である。同時に、プロジェクトの全期間を通して、新たな科学技術の普及に伴う負のインパクトを含めた社会経済的インパクトの研究などELSI(Ethical, Legal and Social Issues)に係る研究に取り組む。結果として技術の暴走に対する歯止めとなることを期待する。

知のコンピューティングに関わる研究分野は間口が広く、チャレンジングな研究テーマを多く含む。また、知のコンピューティングの扱う問題領域は、個人向けの比較的プリミティブなものから、集団や社会システムを対象とする複雑かつ高度な領域まで広範にわたる。このような研究開発には反復型開発アプローチが有効である。そこで、本プロポーザルでは、人と機械の創造的協働を実現するための研究開発として、主に個人や小集団を対象としたプリミティブな問題領域に向けた、以下のような具体的な研究開発を提言し、知のコンピューティングの実現に向けた第一歩とする。

【1】相互作用による問題定義のための研究開発課題
  【1 ー 1】あいまいな問題を人との相互作用により明確化する技術
  【1 ー 2】人と周囲の状況を把握する技術
  【1 ー 3】定義された問題の小さな問題への分割や変換をする技術
【2】知識ベース構築のための研究開発課題
  【2 ー 1】知の獲得・表現・蓄積技術
  【2 ー 2】意味レベルでの処理技術
  【2 ー 3】プラットフォーム技術
【3】回答・提案・助言・議論のための研究開発課題
  【3 ー 1】推論、仮説生成、シミュレーション技術
  【3 ー 2】協働のためのコミュニティ形成技術
  【3 ー 3】オプションの提示・説明・説得技術


知のコンピューティングの社会経済的効果は、成果が様々な形で社会実装されることで、知の蓄積・伝播・探索が加速されることである。あふれるデータ、情報、知識がネットワーク上に蓄積され、必要に応じて関連付けることで、その伝播・流通が促進され、だれでもが自然なやり取りで欲しいデータを探索・活用できる。その過程で得られた新たな知識は蓄積され、社会全体で再利用される。このようにして、複数のシステムからのエビデンスを統合的に解析したり、様々な視点からの智恵知を集めることにより、人類の意思決定の質が向上し、従来では解けないような課題に対する納得性の高い解決策が導けるなどより高度な知的社会の実現に一歩近づけるものと期待する。

また、科学技術上の効果としては、第一に、知のコンピューティングという新しい研究分野の創出である。従来の人工知能、認知科学、脳神経科学、ロボティクス等の自然科学分野に加え、経済学や心理学等の人文社会系の研究者を巻き込んだ学際的な分野を目指す。第二に、驚異的な力を持ちつつある機械を、脅威や単なる道具として扱うのではなく、知的な情報処理をできるようにすることで、人間と機械の新たな関係を樹立することを目指す。

知のコンピューティングという新しい流れを世界に興すためには、最低でも10 年間にわたる継続的な研究開発が必要である。そのためには、継続的なファンディング、国内外の研究コミュニティの定着、産業界や実社会での価値の認知、および、国際会議での議論や国際共同研究が重要である。これにより研究者の挑戦意欲の醸成と若手の育成を図る。CRDS としても、これらの取り組みに、積極的かつ継続的に関わり続ける所存である。

なお、本プロポーザルの検討段階において、複数回のサミットやワークショップの開催、および、政策担当者との戦略討議の結果、本構想の一部が平成26 年度戦略目標『人間と機械の創造的協働を実現する知的情報処理技術の開発』に反映され、その後、JST のCREST 研究領域「人間と調和した創造的協働を実現する知的情報処理システムの構築」として公募された。本プロポーザルが、応募・参加する研究者にとって、知のコンピューティングの大局観の理解、並びに、そこにおけるCREST 事業の位置づけの把握に資することを願っている。