戦略プロポーザル
  • バイオ・ライフ・ヘルスケア

健康破綻のリスクを予測する基盤技術の開発—わが国の包括的コホート研究のデザインに向けて—

エグゼクティブサマリー

生涯にわたって健康を維持増進するためには、ストレス、遺伝子等の、健康状態を変化させる要因を経時的に把握し、健康の破綻を回避・制御するための技術開発が極めて有効である。そのためには、「個人の遺伝子」、「発達・加齢に伴う変化」や、人が生涯にわたり接触する「環境因子」を定量的かつ経時的に把握し、それらを統合的に解析することが1つの基盤技術となる。この基盤を活用することで、健康破綻に関する重要なリスク因子を事前に把握し、これに基づいた疾患の予防および健康の持続が可能になる。
そこで本戦略イニシアティブでは、国民の健康持続を目的とし、生涯を通じてリスク因子をモニタリングする研究基盤の必要性を提言すると共に、コホート研究などで既に得られている、もしくは今後得られる成果を統合し、活用するために必要な以下の研究開発課題(本文中では「パネル」と称す)の推進を提案する。

課題I 日本人を対象とした出生(生涯)コホート研究
課題II 既存のコホート情報の統合による疑似出生コホート研究
課題III 長期にわたるコホート成果の相関解析に基づく健康リスク因子、疾患バイオマーカー等の探索

現在、我が国では、健康持続を目的に、複数のコホート研究が実施されている。しかし、それらの多くは研究対象とする年齢や対象疾患が限定的である。つまり、多くのプロジェクトは幼少期、青年期、老年期などの限られた期間で、特定の疾患を対象にコホート研究を進めている。一方、健康破綻のリスクを正確に把握するためには、出生から死に至るまでの体内情報や、環境情報が必要と言われている。これは、更年期の疾患の発症に青年期のホルモン異常などが影響している事例などからも明らかである。しかし、上記に示したように現在のわが国のコホート研究は、プロジェクト毎で年齢に偏りがあり、一生涯にわたり健康破綻に関するリスク因子を把握する体制が整備されていない。
他方、海外に目を向けると、先進諸国の中には、ヒトに関するあらゆる情報を国の「資産」と捉え、一生涯にわたり生体情報などを追跡する出生コホート研究が行われている。例えば、英国などでは、60年以上にわたり、生涯を通じて健康破綻に関するリスク因子をモニタリングする仕組みが確立されている。また、バイオ・バンク(血清試料などの長期保存施設)などの設置により10-50万人規模を対象に長期的なコホート研究を実施している国もある。
本提案は、以上のような問題意識や各国の政策動向等から、わが国で実施すべきコホート研究を提案するものである。具体的には、課題Iが日本人の出生から死に至るまでの生体や環境、臨床などに関する情報を追跡するための出生コホート研究、課題IIが分断されている既存のコホート研究の成果を統合、解析するための研究開発、課題IIIが得られた研究成果を活用して、健康持続に繋がる基盤技術の創出を目的とした研究開発である。Iの出生コホート研究の重要性は上に述べた通りであるが、これに加えIIを提案する理由は、Iの生涯コホート研究の実施および成果の解析に長い場合では100年単位の年月が必要になるからである。また、IIIに挙げた健康の破綻に関係する因子の探索はこれまでも様々なプロジェクトで実施されている。しかし、上記の例に示したような幼少期で発現している生体因子と老年期での疾患発症との相関例にあるような長期かつ年代を超えた研究開発はこれまでほとんど行われていない。さらに、以上3課題に加え、本プロポーザルでは、大規模コホートのデザインに関する研究開発、コホート研究の社会的コンセンサスの構築に関する課題、さらにはコホート研究を永続して実施するためのフォーロアップの仕組みに関する課題、を社会科学者との連携による重要研究として提案している。
以上に示した研究開発の推進では健康維持に関する様々な効果が期待されるが、一義的には、わが国独自の健康情報基盤の整備が挙げられる。また、この基盤の活用により予防に関する多様な知見の創出、さらには、健康破綻に関する重要なリスク因子の発見などを通じ、生命現象の解明に繋がる新たな基礎研究の展開なども期待される。
このような国民を対象にした健康情報基盤の構築に関する研究開発は、個々の研究者のボトムアップによる推進だけでは限界がある。実施にあたっては国が主体となり、研究者を束ねる拠点の形成、自治体や医療機関との連携の仕組み、さらには研究開発への国民の理解や参加協力などの体制構築が求められる。