2022年3月29日

第68回 カーボンニュートラル特集Special「カーボンニュートラル社会の実現へ、日本の科学技術に求められる役割(後編)」

(対談)ジャーナリスト国谷裕子氏 × 中村亮二フェロー/ユニットリーダー

ジャーナリストの国谷裕子さんと、環境・エネルギーユニット ユニットリーダーの中村亮二との対談の後編です。脱炭素の技術を社会に実装していくためには何が必要か、どうすれば一般市民が自分事として捉えるようになるかというテーマで語ります。前編はこちら からご覧ください。

社会に実装していくために必要なことは何か?

国谷:実は、日本の自治体で2050年カーボンニュートラルを宣言しているところが524もあるんです。ただ実際に脱炭素に向けて再生エネルギーの導入計画を具体的に打ち出せているところはまだ少ない。やる気はあっても、やり方が分からない。人材や財政の問題があったり、専門性が不足していたりで。ここが加速すると日本のカーボンニュートラルはもっと進むと思うのですが。

中村:それについてはJSTの「共創の場形成支援プログラム」が始まっています。これは最長10年という長いスパンで、大学と企業、地域の方々が一緒になって取り組んでいく研究を支援する事業です。その中で東京大学の菊池康紀准教授が進めておられるのが、まさに地域の脱炭素を進めようというプロジェクトです。今後はこういった研究がもっと主流化していくといいと思っています。

国谷:中村さんは日刊工業新聞の記事の中で、「将来社会に向かうシナリオは複線的に考えておく必要がある」と書かれています。たしかに時間が限られる中で投資の選択と集中が必要だという思いがある一方、もっと幅広く資金を投じていかないとイノベーションの芽を摘んでしまうのではないかという危惧もあります。しかし、「社会の移行(トランジション)」を実現するためには、やはり選択と集中が必要だとも思えるのですが。

中村:そこは難しいところですね。確かに集中投資が必要な分野はあると思います。たとえば日本では蓄電池や、CO2を資源化するCCU(Carbon Dioxide Capture and Utilization)などに力が注がれていて、こういう分野は集中投資でスピードアップすることが大切だと思います。一方で、幅広いポートフォリオを持っておくことも国としては重要だと思っています。

国谷:中村さんはCRDSの役割として、科学技術イノベーション政策に関する調査・分析・提案を中立的な立場で行うシンクタンクであるとおっしゃっていますね。中立的な立場とは具体的にどのような立場ですか?

中村:もし国の政策のみに準じてやるのであれば、たとえば先ほど申し上げた蓄電池やCCUの研究開発だけに我々CRDSも注力していればよいということになります。そこをあえて工学基盤研究が大切だと発信しているのは、見過ごされがちな分野にも重要なものがあると考えているからです。それがすぐ政策に反映されるかというと難しいのですが、国には重要性をきちんと認識しておいていただきたい。全体を俯瞰して必要なことは発信していく、中立的な立場とはそういう意味と考えています。

国谷:二酸化炭素を回収、利用するCCUが実現したとして、それを石炭火力発電所に付けた場合、発電コストは高くなりませんか。また、取り出したCO2を埋めておくところが日本にはあるのかなど、課題がまだありますね。

中村:おっしゃるとおり二酸化炭素の回収、利用、貯留にはまだ色々な課題があると思います。ところでCO2の回収ということでは、工学的なアプローチとは別に、自然資本に頼るというやり方もあると思います。植林や森林管理、ブルーカーボンと呼ばれる海洋生態系に固定化する技術、農地の土壌に貯留するといった技術ですね。今後はそういう方策も重要な選択肢になっていくといいなと思っています。

国谷:実際にEUでは土壌にCO2を閉じこめるのに有機農法がいいということで、これまでの農業政策に付けていた補助金を有機に移行するとしています。日本の農林水産省も2050年までに有機農業を耕地面積の25%まで拡大する戦略を打ち出しました。自然の力もテクノロジーも、ありとあらゆることをやっていかないと間に合わないという危機感が次第に広がっていると感じています。

一般の人が「自分事」として捉えるようになるために

国谷:もう一つの問題は、一般の生活者の意識ですね。国の計画では、家庭部門のCO2排出量を2030年度までに2019年度比で5割程度削減するとなっていますが、一般の市民にそこまでの認識はあるのでしょうか。

中村:そこはまだ一般の方にとっての「自分事」にはなっていないのかもしれません。そこを変えていく可能性の一つに行動変容という研究分野があります。たとえばアメリカのエネルギー省の研究プログラムでは、アプリによって人の行動を変えるという研究プロジェクトに支援がなされていました。移動に伴うCO2排出をどう減らせるかをアプリがナビゲートしてくれるんですね。こういったテクノロジーで人間の行動を変えていくという取り組みも行われています。

国谷:自分がどれだけCO2を出しているかが見えにくいのも、「自分事」にならない理由の一つではないでしょうか。ヨーロッパなどでは商品にカーボンフットプリントが記載され、原料調達から製造までの間でどれくらいのCO2を排出したかが分かります。そうすれば消費者も選択できますよね。

中村:おっしゃる通り、「見える化」は大切です。今、国立環境研究所では衛星などから得た観測データを使ってCO2排出量を高い分解能で推定しようという取り組みが進められています。それができれば日本のどこでCO2が排出されているかが地理的な分布として見えてきます。こうした切り口からもCO2の見える化は進んでくると思います。

国谷:今回の俯瞰報告書の最後の方に、「いろんな意味で生活者の価値観に関わる研究開発が大事だ」というような記述がありますね。「開かれた当事者との対話、価値観を把握することが大事だ」と。産官学ということがよく言われますが、企業、行政、大学の研究者という構図の中に「市民」が入っていくために、中村さんはどのような仕組みが必要だと思われますか?

中村:社会実装にあたっては、それぞれの地域に住んでいる方々の暮らしや土地への思いなども尊重する必要があります。理工系の研究者だけでなく、人文社会科学系の研究者とも協力しながら、人や社会そのものの理解も深めていくことが必要になると思います。また研究開発の設計段階から市民の方を巻き込むような研究のアプローチも今後は必要になってくるでしょう。

国谷:研究開発のあり方で “トランスディシプリン”、分野を横断的、統合的に捉えることが大事だということがよくいわれますが、実際に大学の中などを見ると、まだ研究者が専門分野に閉じこもりがちのようにも思えます。そういう傾向は、中村さんも感じられますか。

中村:確かにご自身の専門分野には詳しくても別の分野や違うグループの研究には関心を持たない研究者が多いという話は以前からよく見聞きします。それもあり、その状況を何とかするために科学技術政策の中でも異分野融合や連携を進める動きが既に始まっています。こうした中から“トランスディシプリナリー研究”を進める流れが今後徐々に広まっていくのではないかと思っています。

国谷:「自分事」ということで私が思いだすのは、2004年にノーベル平和賞を受賞したケニア人のワンガリ・マータイさんのことです。かつてケニアは国土の3分の1が森林だったそうですが、いつのまにか2%にまで減っていました。なぜケニアには貧困があるのか、なぜ子どもは学校に行けないのか、なぜ水汲みが大変なのか。なぜなぜを突き詰めていった結果、彼女が辿り着いたのが「木を植える運動」でした。彼女が残した印象的な言葉があります。「問題の多くが自分自身の行動から来ていると気づいてもらわなければなりません。暮らし方や自然環境との付きあい方をよく考えないと、自分自身が自分の敵になってしまうことだってあるんです」。まさにこの想いが、今の私たちに必要ではないかなと感じています。

中村:そうですね。自分たちが排出したCO2が原因で地球温暖化という状況を招いています。今後は科学技術がいろんなオプションを提供し、それを社会と一緒になって使いこなしていく、そこに私たちも貢献していきたいと願っています。そのためには、今ある技術をどう組み合わせるか、そして新しい技術をどう社会に繋げていくか、どちらの取り組みも必要だと思っています。

国谷:社会の変革へ向け、これからの科学技術のあり方に期待しています。

「カーボンニュートラル社会の実現へ、日本の科学技術に求められる役割(前編)」はこちら からご覧ください。

プロフィール

国谷 裕子(くにや ひろこ)

米ブラウン大学卒。NHK衛星放送「ワールドニュース」のキャスターを経て、1993年から2016年までNHK「クローズアップ現代」キャスター。現在、SDGs(持続可能な開発目標)の取材・啓発を中心に活動を行なっている。
東京藝術大学理事、慶應義塾大学大学院特任教授、自然エネルギー財団理事。
2002年菊池寛賞、11年日本記者クラブ賞など受賞。著書「キャスターという仕事」(岩波新書)

中村 亮二(なかむら りょうじ)

CRDS環境 ・ エネルギーユニット フェロー/ユニットリーダー 。
首都大学東京大学院理学研究科博士課程修了 、 博士(理学)。
JST入構後 、 英国ビジネス ・ イノベーション技能省(当時)政府科学局(3 か月間)や日本の内閣府政策統括官(科学技術 ・ イノベーション担当 )(2 年間)での業務を経験し 、 現職 。 専門分野 は 植物生態学 。