第66回 カーボンニュートラル特集Vol.1「カーボンニュートラル社会の実現とともに創り上げる社会とは」
「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は2021年8月に公表した報告書で、「向こう数十年の間に二酸化炭素及びその他の温室効果ガスの排出が大幅に減少しない限り、21 世紀中に、地球温暖化は 1.5℃及び 2℃を超える」という予測を示しました(第6次評価報告書第1作業部会報告書)。また2022年2月に公表された報告書では「気候にレジリエントな開発のための行動をとること」の緊急性がこれまで以上に増していると警鐘を鳴らしています(第6次評価報告書第2作業部会報告書)。こうしたIPCCの発信と連動するように、世界各国ではCO2排出量を抑制する動きが活発化し、日本においても2020年10月の菅総理(当時)のカーボンニュートラル宣言を受け、官民を挙げた取り組みが進められています。
科学技術振興機構 研究開発戦略センター(以下CRDS)は、カーボンニュートラル社会の実現という不可避の命題のもと、国内外の動きや研究開発の潮流を俯瞰的に捉え、世界ならびに日本はこの命題にどう取り組むべきかを科学技術の視点から検討しています。環境・エネルギーユニット ユニットリーダーの中村亮二が解説します。
なぜカーボンニュートラル社会の実現が必要なのか
近年、カーボンニュートラル社会の実現に向けた研究や、その実装化に向けた機運が急速な高まりを見せてきています。世界を見ると、期限(2050年あるいは2060年)を設けてカーボンニュートラル実現を表明する国・地域が150を超えており、これらの国・地域の国内総生産(GDP)の総計は、世界の9割を占めています。
きっかけの一つになったのが、2018年に公表されたIPCCの1.5℃特別報告書です。人為起源の温暖化が10年につき約0.2℃進んでいて、このペースだと2030年から2050年に平均気温の上昇が1.5℃に達するといわれ、世界中の関心を改めて高めることに繋がりました。
2020年までの直近10年間だけでも、産業革命以前と比べて平均気温が1.09℃上昇したと言われています。すでに世界の多くの地域で極端な高温や、干ばつ、大雨の増加が確認されており、今後温暖化が進めばそのような傾向は世界的により顕在化してくると見られています。日本でも21世紀末までを見通せば、今後同様の状況が起きる可能性があると予想されています。そのため一刻も早くアクションを取っていかなければならないということが、政府はもちろん多くの方々の共通認識になっています。
注目を集める日本の産業界の動向
今後、日本の産業界にとっては、「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」への対応が重要になると思われます。TCFDの提言に基づき、財務に影響のある気候関連情報の開示を義務化するもので、各企業が気候変動リスクにどう対応していくのか、どういうリスクを自分たちが保有しているかを開示する必要がでてきます。もはや世界がやっているから日本もやるという話ではありません。産業界にとってもかなり“自分事”になってくるのではないでしょうか。
「主な公的研究開発投資の位置づけ」
日本では政府が「2030年までにCO2の排出量46%削減、2050年にカーボンニュートラルの実現」という目標を掲げています。その実現のためにグリーン成長戦略に基づく取り組みが進められており、科学技術分野ではグリーンイノベーション基金の創設が大きな話題になりました。これは10年間で2兆円の研究開発投資を行うというもので、民間における研究開発投資の呼び水と位置づけられています。公的な研究資金配分機関の年間予算が1,000億から2,000億円程度ですから、かなり大きな金額がこの分野の研究開発に投入されることになります。
さらに、新たな政権になってクリーンエネルギー戦略の検討が進められています。グリーン成長戦略が革新的な技術の社会実装を見据えた技術戦略であり産業戦略であったのに対して、今度は社会システムを変えていくためにどのような働きかけができるかが検討されています。今はあらゆる手段を使ってカーボンニュートラルに向けた取り組みを進めていこうとしている状況です。TCFDの動きも相まって、産業界もこれまで以上に取り組みを加速していくと私たちは予想しています。
「社会の移行」を見据えたCRDSの視点とは
CRDSでは、カーボンニュートラルに関連した研究開発の今後の方向性として「社会の移行(transition)を促進する研究開発」が重要になってくると考えています。目指すべき社会への移行を進めるためには、これまでの社会を構成していた様々な要素を新たなものに置き換えていく、社会システムそのものを刷新する、あるいは従来あるものに新たな価値を付与したり、見えなかった価値を可視化したりする取り組みを増やしていくことが必要だからです。
「目指すべき社会」
その上で、目指すべき社会への移行を実現するためには、温室効果ガス排出を正味ゼロにするカーボンニュートラルだけではなく、気候変動に適応した社会、自然災害や人為起源の不測の事態等に柔軟に対応できる強靭な社会、循環型の社会への移行も含めた視点が必要になってきます。世界では気候変動の影響はすでに極端現象の増加という形で姿を現しており、そのリスクへの対応が必要になってきています。温室効果ガス排出量の低減や資源循環を進めることも結果として防災・減災対策の強化につながるため、カーボンニュートラルは適応的かつ強靭な社会をつくりあげる道筋の1つになりえます。
社会の移行にあたって、科学技術だけでできることは限られています。しかし科学的な知見や科学に立脚した技術は、社会変革を支える重要な要素となりえます。今現在または将来世代の方々が安心して暮らすことのできる生活環境、持続可能な地球環境や経済社会を維持するためにも、科学技術はこれまで以上に貢献していくべきだと考えています。
すでに製造業や運輸業などいくつかの業界では、カーボンニュートラルの実現に向けた活発な動きが見られています。一方、科学技術の研究トピックスの中では業界の枠を超えた横断的な研究や基盤技術開発の動きも見られます。その中から最近注目されているネガティブエミッション技術、デジタルツイン、近未来の気候予測について、次回以降Vol.2、Vol.3で、それぞれの担当フェローが解説いたします。
プロフィール
中村 亮二(なかむら りょうじ)
CRDS環境 ・ エネルギーユニット フェロー/ユニットリーダー 。
首都大学東京大学院理学研究科博士課程修了 、 博士(理学)。
JST入構後 、 英国ビジネス ・ イノベーション技能省(当時)政府科学局(3 か月間)や日本の内閣府政策統括官(科学技術 ・ イノベーション担当 )(2 年間)での業務を経験し 、 現職 。 専門分野 は 植物生態学 。