第331回「日本発「細胞をつくる科学」」
たんぱく質や核酸、脂質などの物質を組み上げれば、自己増殖可能な人工細胞ができるのだろうか。物質を組み上げて細胞をつくる試みは、物質と生命の境界を探る挑戦でもある。近年、人工細胞をつくる過程で生まれた、細胞機能の一部を人工的に構築する技術が発展し、バイオテクノロジー産業に大変革をもたらしている。
産業に応用
2007年、日本では人工細胞の構築、すなわち物質と生命の境界に挑戦するロマンに魅せられた研究者たちが「『細胞を創る』研究会」を発足させ、分野を横断した研究・調査の情報交換の場としてきた。約20年を経た現在でも、自己増殖可能な人工細胞はまだできていないが、細胞が細胞らしい働きをするための部分機能の再現は、かなりの完成度でできてきた。例えば、核酸やたんぱく質の人工合成や、区画内で適切に物質を輸送し分配する仕組みなどである。
こうした機能を細胞の中ではなく、外で独立して機能させることで、天然の細胞を超える性能を発揮できるようになった例もある。細胞機能の一部を再構築する技術群は、人工細胞実現に向けた基盤となると同時に、応用としてバイオテクノロジー産業においても重要な価値を持つ。例えば、「細胞を創る」研究会のメンバーが設立した、独自の核酸合成技術を持つオリシロジェノミクス社は、RNA(リボ核酸)ワクチンで知られる米モデルナに110億円で買収された。
世界でも活発化
10年以降、人工細胞をつくろうとする試みは世界各国で活発化してきた。近年では、各種のビッグデータや数理モデル、AI(人工知能)を活用することで、細胞の部分機能の再構築はさらに洗練され、そのいくつかを統合していく研究開発も進む。24年には、中国で世界規模の学会が開催され、欧米や中国では巨額の研究開発資金が投入されている。日本でも、政府が掲げる成長戦略分野「合成生物学・バイオ」において、人工細胞研究は重要な位置付けにある。
人工細胞研究とその要素技術は、バイオものづくりやバイオ医薬品生産など、さまざまな産業に革新をもたらすことが期待される一方で、細胞を人工的につくろうとする試みや、人工細胞という言葉に対して、倫理的な懸念を抱く人もいるだろう。この分野の発展には、科学技術の進展とともに、社会との対話を通じた理解と合意形成が不可欠である。

※本記事は 日刊工業新聞2026年3月27日号に掲載されたものです。
<執筆者>
木賀 大介 CRDSフェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)
東京大学大学院理学系研究科博士後期課程修了。各所の研究員、東大助手、東京工業大学(現東京科学大学)助教授、准教授を経て早稲田大学電気・情報生命工学科教授。23年から現職を兼任。
<日刊工業新聞 電子版>
科学技術の潮流(331)日本発「細胞をつくる科学」(外部リンク)