2022年10月28日

第170回「ノーベル物理学賞 「ベルの不等式」破れ実証」

世界観変えた
今年のノーベル物理学賞が量子情報科学の先駆けである3氏に贈られることになった。量子力学が我々に突きつける謎に実験実証で正面から立ち向かった彼らの功績が半世紀の時を経て評価された。私たちの世界観を変えたこの大事件を2回の連載で概観する。

発端はアインシュタインらが抱いていた不満である。量子力学が正しいと仮定すると、それまでの物理学が素朴に仮定していた実在性(物理量は私たちが測定する前から決まっている)と矛盾する。

「物理量は測定するまで決まっていない」という量子力学の考え方は異様であり、直感と鋭く対立する。彼らは過去に相互作用した二つの粒子のどちらか一方の測定が他方の粒子について何か言えるかという巧妙な思考実験を用い、量子力学は正しいかもしれないが不完全だと主張した。これに触発されたシュレーディンガーは、2粒子の間の量子力学的な相関を「もつれ」と呼び、それをマクロな系まで拡張した「シュレーディンガーの猫」の思考実験で奇妙さを強調した。

1964年に理論物理学者ベルがこの哲学的にも見える議論を科学の問題に定式化した。局所性(光速を超える情報伝達は不可能)を仮定すると、実在性に基づくどんな理論でも、二つの物理量のある相関の絶対値が2以下になることを数学的に導いたのだ。これを「ベルの不等式」と呼ぶ(図)。

物理学は自然科学であり、理論の正しさは実験によってのみ検証される。クラウザーらは72年にカルシウム原子から発生する量子もつれ状態の光子を使い、ベルの不等式の破れの実験実証に挑んだ。彼らは相関が2より大きいという結果を得たものの実験には抜け穴が見つかった。82年になりアスペがこの抜け穴をふさいだ別の実験を行い、統計的にはほぼ確実にベルの不等式が破れていることを意味する驚くべき結果を得た。

実在論 放棄
局所性が破れる実験事実は知られていないので、実在性が間違っていることになる。この瞬間に、私たちは実在論を放棄し、新しい世界観を持たなければいけなくなった。それが量子力学である。もちろんベルの不等式の破れは量子力学が正しいことを意味しないが、量子力学が予言する相関の上限値(チレルソンの不等式)を破る実験結果もない。量子力学が正しいと信じるのが合理的だ。

量子力学は半導体や光通信などさまざまな技術に応用されているが、いまのところほころびは見つかっていない。

※本記事は 日刊工業新聞2022年10月28日号に掲載されたものです。

<執筆者>
嶋田 義皓 CRDSフェロー(システム・情報科学技術ユニット)

東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。日本科学未来館で解説・実演・展示制作に、JST戦略研究推進部でIT分野の研究推進業務に従事後、17年より現職。著書に『量子コンピューティング』。博士(工学、公共政策分析)。

<日刊工業新聞 電子版>
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