2021年11月12日

第124回「ノーベル生理学・医学賞 生体感覚システム探究」

2021年のノーベル生理学・医学賞に「温度と触覚の受容体」(TRPチャネルとピエゾチャネル)を発見した2氏の受賞が決まった。触覚は全身の皮膚で、痛覚に至っては内臓を含めさまざまな場所で感知され、個人差も大きいため研究が遅れていた。この発見を機に触覚・痛覚受容体のさらなる探索が進み、クライオ電子顕微鏡によってメカノセンサーチャネルであるピエゾチャネルの立体構造も解明された。刺激による活性化の仕組みなど、創薬につながる知見の獲得が期待されている。

“痛み”の課題
“痛み”は感覚器研究の持つ典型的な社会的課題である。19年に厚生労働省が実施した調査によると、病気やけがなどの自覚症状の中で腰痛と肩こりは男女とも1位または2位であり、慢性の痛みを抱える人口は多い。米国では鎮痛剤オピオイドの過剰摂取による死者が17年には1日当たり約130人に上り、大きな社会問題になっている。

また、衣服が触れただけで針を刺されたかのような痛みに感じるアロディニアは、その発症メカニズムが不明であり、根本的な治療法もない。一方、痛みをコントロールすることで特定のがん患者の生存率が向上するとのデータもある。

感覚以外の影響
ピエゾチャネルは圧力センサーとして、血圧、呼吸、膀胱制御などの生理機能調整にも関与している。感覚受容体から伝えられる信号が感覚だけでなく、精神機能や全身の臓器に影響する臨床的知見は、触覚・痛覚に限らず多数存在する。

ライフサイエンス研究では、個々の分子・細胞や臓器などの要素に限定せず、要素がより複雑に影響し合ったネットワーク全体を解き明かそうとする取り組みが期待されている。五感や痛覚も自律神経ネットワークを含めた生体のシステムとして捉え、そのシステムの動作機構や、生理機能・疾患との関係、異なる感覚間の相互作用など、トータルに見ていく必要があるだろう。

21年3月、科学技術振興機構(JST)と日本医療研究開発機構(AMED)は、生体感覚システムおよび末梢神経ネットワークを包括した「マルチセンシングシステム」の統合的な理解や可視化・制御法の開発を目標として、研究プログラムを立ち上げた。全身の臓器が関わる疾患を標的とした新規治療法の開発や、生活の質(QOL)の向上とともに、感覚代行、シェアといった、医工融合研究による革新的技術への展開も期待される。

※本記事は 日刊工業新聞2021年11月12日号に掲載されたものです。

<執筆者>
山原 恵子 CRDS元フェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)

北海道大学大学院理学研究科化学専攻修了。製薬企業、特許事務所を経て、JST入構。19年から2年間、ライフサイエンス・臨床医学分野の研究開発戦略立案などを担当。現在はイノベーション拠点推進部主査。

<日刊工業新聞 電子版>
科学技術の潮流(124)ノーベル生理学・医学賞 生体感覚システム探究(外部リンク)