2026年10月30日

(73)重点的科学技術分野の人材 〜 何処で育成、確保するのか

個人には卓越した力量が、組織には格別の機能性が求められる。学術であれ科学技術であれ(学術と科学は同義ではない)、意義ある特定分野における国際水準の高度人材を意図的に育成し、先端的研究を行うことは、従来の総花的な大学制度では難しい。独立した「卓越大学院大学」の創設が不可欠と考えている。それは、すでに3校が選ばれた総合的かつ大規模な「国際卓越研究大学」ではない。「国際卓越」の名を冠したから、その全ての研究部局、大多数の教員、多数の学生が文字通りの水準を達成できるわけではない。この「共創」の時代に一人の研究者にできることは限られるが、組織として、集中的かつ規模は小さいほど輝ける存在になりやすい。ここに政府が掲げる「新技術立国」の象徴としての役割を期待している。

特別な独立大学院の設立が不可欠である

もし、科学技術に国運を託すというならば、我が国はいかなる頭脳と技能に賭けるというのか。国家は自らがもつ力量を見定めて、他国の模倣ではなく、自律的かつ責任をもって決断すべきだ。過度に拘束することなく、しかし確固たる目標を定めて、適正規模で尖鋭な大学院大学を設立するべきであろう。組織の志を信頼し、寛容の精神と忍耐力をもって、その自律的な研究教育活動を(民間ならびに国内、国際公的機関の協力も得て)全面的に支援したい。組織の名の通り年限5年程度の博士課程に限り、旧来の学部は無用である。だから全ての学生は国内外の他大学出身者である。

現在の国立大学における大学院と学部との依存関係は、むしろ有能な教員たちの世界に伍すべき研究教育専念を著しく妨げている。同じ観点から、最近の文部科学省・中央教育審議会が「知の総和」向上の手段とする「学部教育と大学院教育の円滑な接続」の方針には強く異を唱えたい。教育的に好ましからざる学部生の引きこもり、教員による囲い込みを促進し、大学院組織内の人材の多様性と水準の低下を招くことが間違いないからである。20歳を過ぎた青年たちの夢ある決断に、分別くさい余計なお節介はさらさら無用である。

いつの時代でも、若者たちは「本物の知性」に憧れを抱くはずである。Excellence favors excellenceともいい、才能ある学生は最も優れた先人に巡り会いたいだろう。一度しかない人生、研究者として自己実現するためには、若い日に自律的に責任を持って将来を切り拓くことを勧めたい。教育の府たる大学が、学生を自組織の価値観、経営面の都合で拘束し、この機会を奪ってはならない。

我が国にも文部科学行政の枠外で、内閣府傘下の沖縄科学技術大学院大学(OIST)がある。学部をもたない5年制の大学院大学で、公用語は英語、教員には重点領域重視というよりは、分野連携活動を求める。毎年、世界中から約2000名が応募し、そのうち3%程度の60名が入学する。全学生の80%は海外からで国籍は52に及ぶという。彼らは博士号取得後、世界の主要機関に羽ばたくため、科学外交面でも大きな役割を果たしている。残念ながら、既存の日本国内の大学改革への触媒効果が不十分である。

諸外国の特別な小規模大学院大学

組織は大規模になるほどに活動が無秩序、散漫になりがちである。重点分野と指定するならば、機能的な集中化が不可欠である。教員数はせいぜい200―300名程度が適切ではないか。米国のカリフォルニア工科大学はあまりに有名であるが、欧米にはさらに少数精鋭の「大学院大学」がたくさんある。例えば、ニューヨークのロックフェラー大学(1901年に研究センター創設、1955年から教育機能をもつ)は、生物学・医学に特化した世界最高峰の大学院大学である。80程度の研究室をもち、学生総数も200名に過ぎないが、過去に20名以上のノーベル賞受賞者を輩出してきた。

2015年に開設した英国のフランシス・クリック研究所は、英国医学研究会議(MRC)、ウェルカムトラスト財団と英国がん研究センター、ロンドンの3大学による共同事業である。ポール・ナース(2001年ノーベル生理学・医学賞受賞者)が率いて、若手を中心として100名のグループリーダーのもとで、毎年50名程度の学生を受け入れており、総勢で200名くらいの大学院生が学ぶ。研究主宰者の任期は6年+6年で終身制ではない。世界から英才が集い、極めて高質の生物医学研究がなされている。日本では話題に上らないが、2006年に創設されたオーストリアの科学技術研究所(ISTA)も公的資金と民間資金で運営される世界最高の基礎科学研究所の一つである。これも研究所の名がつくが、80研究室で高水準の大学院教育がなされている。基礎科学研究のみならず、科学技術と技術移転の支援、科学マネジメントにおける最良の実践方法を導入するという特色をもつ。

我が政府が謳う「重点分野」の名称、重点は「点」だろうが、分野は「面」である。平面であれ曲面であれ、広くなりすぎれば理想的な集中統治は困難になる。

近隣国は重点科学技術分野をいかに振興してきたか

日本の国立大学の多くは総合大学であり、基本的に広範かつ自由闊達な学術の府であり続けるであろう。ソフィア(理論知)であれフロネシス(実践知)であれ、学問は「悠久の知の営み」であるため、時代と共にある「重点的科学技術」とは必ずしも相性はよくない。政策が定める重点分野の振興のために「特区」を設置、優遇すれば、既存の学術組織との軋轢は必然で、全大学の統治は複雑化、不安定化しかねない。いつの時代にも学術は大切である。筆者が、既存の大学とは別立てで、教員、学生ともに世界が認める精鋭を集めた、鮮烈なイメージの特別組織の設立を主張する所以である。

国家戦略上重要な分野では特別な人材育成機関が設けられることが多い。科学技術分野については、覇権を目指す中国は、政府直轄の研究実施機関である中国科学院をもち、ここに自前の強力な研究大学をも備える。1994年には中国工程院も設立、1000名程度の選ばれた院士は最前線の工学研究にも携わる。また、かつて交通部(運輸省に相当)の管轄にあった上海や西安の交通大学は、現在は教育部(教育省)傘下にあるものの、実学重視の伝統を守る。

韓国には、特別法によって定められた「科学技術院」の4大学と製鉄会社POSCOが支援する私立の浦項工科大学校(POSTECH)と合わせて五つの強力な「科学技術特性化大学」が存在する。1971年設立の韓国科学技術院(KAIST)は教員700名程度、もともと大学院大学であったが、現在は学部学生も学ぶという。政府も支援する「KAIST創業院」は、直近5年間で574社のスタートアップを生み、その存続率は92%という。さらにKAIST発の多数のロボットやAI関連の有望な新興企業が生まれて、直近で24社が株式上場し、その時価総額は2兆円を超えたという。筆者は2008年に新興の蔚山国立科学技術院(UNIST)の創立記念行事に参加したことがある。期待感を抱く地元の産業人が集まり極めて意気盛んであったが、その後予期した通りに、次世代エネギー、AI、先端新材料分野で大きな発展が見られる。なお、蔚山広域市は現代自動車、巨大な造船会社の現代重工業、石油化学産業SKの本拠地であり、生徒たちが産業旅行で訪れる。国と地域を挙げての産業技術振興メカニズムといえる。

このように近隣諸国を見ても、我が国は、現在の高等教育制度の抜本的強化・発展を図る必要があると感じる。しかし、文教政策だけでは全く不十分である。国家生存がかかる基盤技術については、所管する省庁や産業界が、ごく小規模の高度専門家養成の大学院を設置するなどして、人材養成、研究推進に積極的に責任を果たすべきではないか。文部科学省と経済産業省は半導体などの「戦略17分野」の推進に資金協力するというが、人材育成、確保についても、実効性ある協業を始めてほしい。さらに、友好国との機敏な国際協力は絶対的に不可欠である。もとより(独立)大学院制度、学位授与資格など、克服すべき基本的な制度問題が絡むが、このまま座して死を待つことがあってはならない。