(62)「日本らしい科学」をつくりたい
志ある若者たちに“Think globally, Act locally”を勧めているが、同時に“Think locally, Act globally”も忘れてはならない。グローバル時代とはいえ、世界は一様ではなくさまざまな文化を持つ地域、国の集まりであるからである。現代文明の礎、そして国家生存の源である科学技術の考え方についてもそれぞれに経緯と特色がある。
「日本人に科学はできるだろうか」
科学者たちは矜持を保ちつつも、謙虚でなければならない。20世紀初頭に日本の原子核物理学分野を開いた長岡半太郎(1865-1950)は若き日に「果たして日本人に科学ができるだろうか」と自らに問いかけ、悩み抜いたという。近代科学がキリスト教の「神の意思を知りたい」との思いから、西洋で始まっているからである。幸いにして明治以来の先達の営々たる努力のお陰で、この懸念は杞憂に終わった。彼が亡くなる直前の1949年には湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受けたが、長岡自身が生前1940年に初めて湯川を候補者推薦していたと習った。いま「科学立国日本」を先導する若い世代は、先駆者たちの深い苦悩と学問への献身に何を想うであろうか。
伝統芸術は西から東に移る
自然界との一体感、完全性、繊細さ、直面する問題の処理の巧みさなどが、日本人の伝統的特質であろう。これらを統合した匠の技が特有の美意識と合わさって、飛鳥・奈良時代から豊穣な造形芸術を生み出してきた。いや、本を正せばさらなる根源は、古くインド、中国あるいは朝鮮半島にあるならば、それらがゆっくりと変容しながら西から東へと伝播して、我が国の伝統と融合した姿である。さらに数々の革新を通して進化、熟成して、この国に深く根を下ろしている。伝統文学や邦楽などもやはり西方から渡来、変遷してきたのであろうか。この本質がさらに海を越え、かなた東方に位置する米大陸へ移って減衰消滅する気配は全くない。継承者たちの矜持、たゆまぬ努力を多とすべきである。
近代科学は東から西へ移る
一方で、科学の中心は、東から西へ移る傾向があるとされたことがある。16世紀のガリレオ・ガリレイの時代以来、近代科学の花を咲かせたのは欧州である。イタリー、フランス、英国など、さらにドイツの躍進もあり欧州全体に広がったが、20世紀の前半には重心は大西洋を渡り、急速に米国へと移った。経済の発展とともに、ナチスの迫害を逃れて大量の科学者がこの新天地へ移住した影響も大きい。良き作品は優れた創造者により、置かれた状況から生まれる。彼ら本来の才能が開放的な異文化に触発されて開花した結果である。第二次世界大戦後には、かなりの数の有力な日本人も移住して活躍した。米国のノーベル賞(自然科学3賞)受賞者の約3割は移民のルーツを持つとされている。
やがて世紀が変わる頃、「社会のための科学、社会の中の科学」(ブダペスト宣言)へとパラダイム転換する中で、日本が著しい発展を遂げて、科学の中心が太平洋を渡る期待感に満ちた雰囲気もあった。実際に、2001年の第二期科学技術基本計画では「今後50年間に、30名程度のノーベル賞受賞者を目指す」とした。筆者は、国家としての品格を欠くものとして疑問を呈したが、実際には23年がたった今年の段階で既に19名が受賞している(※2024年10月1日時点)。この結果は現在の科学力を表す「一致指標」ではなく、1990年代の研究環境を映した「遅行指標」ではあるものの、この政策提言があながち無謀な見通しであったとは言い切れない。
日本を飛び越してさらに西方へ?
近年の巨龍中国、韓国、ASEAN諸国、巨象インドの躍進は著しく、科学の重心の「太平洋横断」は俄然現実味を帯びてきた。いや、正しくは移動ではなく、欧州、北米についで、さらに西方に第三の極ができるということである。科学の普遍性に鑑みて大変望ましい。ただし、人類社会が地球規模のさまざまな深刻な問題に直面する中で、そこには従来の富国強兵、殖産興業など各国それぞれの国益追求とは異なる、全人類共有の知的資産の形成、そして揺るがぬ科学技術の大義の設定が求められよう。
この新たな拠点構築には諸国の連帯感の醸成が必要である。ここには長く欧米と科学技術活動を共にし、また同じアジア圏文化を共有する日本が指導的役割を果たさねばならない。振り返って、我が国が世界の科学先導国として輝いたのは世紀を跨いだ束の間であった。さらに昨今は「失われた30年」とされ、科学技術も停滞気味ではあるが、極東の一国として置き去られ、中心がさらに西の彼方へと移動してしまうことは断固阻止しなければならない。我が国はアジア圏の特質を踏まえてあるべき構図を描き、協調と連帯の実現に向けて努力する必要があろう。
なぜ異質を認めようとしないのか
「伝統と革新」をもとに変容する芸術、「知の集積と人のつながり」によって進歩する科学。我が国はいかなる矜持をもち、世界から信頼される科学技術立国として生き続けようしているのか。成り行きに任せるのではなく覚悟を決めて進まねばなるまい。
科学全体の発展には均質化を避け多様性を確保することが不可欠である。「異との出会い」が個人の独創を触発し、「異質な知の集積」がTeam(同質人の群れ(Group)ではない)における共創を可能にする。この社会全般にわたる無理解と不作為が近年の科学力の劣化の主因の一つである。広いグローバル社会においては日本国自身が「異」であり、多様性を拒むことは自己矛盾で、孤立を深めることになる。
もしも我が国が名誉ある科学国の象徴として、上記のノーベル賞受賞目標の達成を目指すのであれば「国籍を問わず、人類に最も貢献した人たち」に与えられる趣旨を尊重して、あらゆる国籍の才能豊かな科学者を積極的に招いて、最大限に活躍してもらうべきであった。しかし、人材多様性の重要性を理解せず、「国内純粋培養」で十分とする、全く根拠を欠く過信により研究環境転換の機会を失したまま現在がある。
併せて、逆方向に次世代を担う若者を多数、世界最有力の大学、研究所に送り込まずして、科学界は最先端を実感することはできない。我が国の若者は、もはや遅々として進まない条件整備を待つことなく、直ちに世界に雄飛して自ら生きる道を拓くべきである。世界を舞台として鎬を削るスポーツと同様である。いや、科学社会は有力研究者たちの優勝劣敗の競争の場ではない。むしろExcellence favors excellenceであり、優れた研究者同士が互いに認め合い、目的を共有して共同作業してこそ最大効果が生まれる。
なぜ、かつての米英、近年の(日本の11倍以上の人口を抱える)中国や(日本の20分の1以下の人口しかない)シンガポールの明白な成功例に学ばないのか。地域、政治体制の如何にかかわらず、国際水準で有為な人材の確保なくして、科学力水準は到底保ち得ない。まず研究者、大学院学生を問わず、他国の異才に敬意を表して適切に処遇することだ。日本らしい魅力ある研究環境の整備に投資するとともに、国際的に競争力のある給与体系をつくり、将来性のある人材を獲得して最大限にその能力を発揮してもらうことである。どこに不都合があるのか。
開かれた組織であるべき、またあり得る大学がこれほど閉鎖的であれば、当然、公的研究所や企業はさらに頑固に守旧的である。変化を嫌い、さまざまに理屈をつけて責任逃れに終始した結果が、現在の知的ガラパゴス化である。
世界に生きるJ-ブランド科学の育成
このグローバルな知識資本時代に、我が国は変化する外部環境への対応を図りながらも、他国に依存することなく自ら生存の道を選ばねばならない。
まずは、明日を拓く志ある人づくりである。青少年に対して健全なSTEAM(Science, Technology, Engineering, Arts, and Mathematics)教育、ついで教養諸学(Liberal arts)教育を施す。そして意欲と想像力ある若者をさらに伸びやかに育てる。彼らには決して世界の流行分野における競争を強いるのではなく、むしろ独自の道を拓くことを勧めたい。
科学研究においては、量的生産性ではなく、最大限に質的な創造性を評価すべきである。また過度の効率主義、市場経済主義の偏重は、必然的に研究社会の自律性を損ない国全体の科学力の向上を阻害する。国家ないし企業の特別な目標必達の戦略研究の場以外では、むしろ、広範な文化的背景、環境を醸成すべきである。科学外交と外国留学、外国籍研究者の参画の必要性もここにある。
幸いにして、フランスのイプソス社の「国家ブランド指数」(2023年)によると日本は60カ国中総合第一位とのことで、科学技術への貢献、創造性、さらに文化についての外国からの印象、評判が極めて良好という。組織も国民もそうあって欲しく、ぜひ自信をもって協働に向かいたい。
その上で「日本」とは何か。科学に国境はなく、安易に「日本の科学」を唱えることは控えたい。しかしJ-ブランドともいえる主体的特徴、「日本で生まれた科学」「日本らしい科学」「日本人らしい研究者」の尊重は、国家主権の堅持のためにも最有力な選択肢の一つであろう。若者には世界的視野をもって国力の向上に努めてほしいが、逆に自らの特色を見定めた上で積極的に世界に飛躍する気概ある人たちも励ましたい。
自然の原理は一つ、しかし科学の営みは一様ではない
日本の科学者の拠り処は何か。創造とは自由な精神の発露であり、科学の創造性の根源が科学そのものにあるとは限らない。最も信頼できるのは「文化の力」である。日本人にとっての「科学」が意味するところは、英語国民やフランス人によるScienceやドイツ人のWissenschaft(知の幹)とは全く同じではない。研究は人の営みなので日常生活や体験、また社会風土と無関係ではあり得ないからである。
科学の根幹に数があるが、数え方は国、地域によって異なる。長さ、面積、容量、重さなどの度量衡はSI国際単位系(メートル法)を使うようにと定められても、我々の心地いい生活習慣には懐かしい尺貫法が残り、他方英語圏の人たちはインチ、フィート、ヤード、マイル、またオンス、ポンドなどと異なる単位を使う。暑さ、寒さは摂氏でなく華氏で感じる。我々は設計通りに作動する機械ではあり得ない。さまざまな文化圏において研究者が頼りとするところは、世界が共通に理解する「形式知」ではなく、自らの文化的背景や経験を通して獲得した「暗黙知」である。
将来は、さらなる高性能技術の開発とその総合活用、データ駆動型研究の進展による分野融合型のビッグサイエンス形成は必然である。そして形式知の相当部分は人工知能(AI)に取って代わられるかもしれない。しかしそこに生産される知識は有用であっても、果たして「創造」の名に値するだろうか。むしろ多様な文化に基づく暗黙知こそが、非連続的な驚きの大発見、大発明の源泉になるはずと考えている。
英語は道具、日本語は精神
現代は「英語の世紀」であり、日本の知識人はもう少し英語力を磨く必要があろう。あるスイス企業の国際調査(2023)によれば、英語を母国語としない113カ国・地域の中で、日本の「英語能力指数」は87位と低位にあり、特に18-25歳世代の力が欠けるとのことで心配である。しかし、科学に限らずあらゆる分野の知の創造はしばしば母語に基づく思考過程をもとに生まれる。いかなる国も母語に自信をもって教育することなく、知的領域において世界を凌駕することはあり得ない。むしろこれこそが文化国家としての主権の維持に関わる根幹的な問題である。
もちろん、グローバルな科学界では、英語(Broken EnglishやGlobishを含む)が公用語である。しかし私たちにとっては、英語が単なる「道具」である一方で、日本語は「精神」である。外交官のように流暢な英語で話す必要はまったくない。英米の一流大学の教授たちの多くが優秀ではあっても、全てが卓越して創造的かと言えば、必ずしもそうではない。
いかなる事柄であれ、伝えたい事実、主張したい主旨については確信ある表現が求められる。なぜに、我が国の現役の大学人、各界の指導者層が、すでに定着した漢字術語を含む正しい日本語を使わずに、意味不明のカタカナ語(英仏独語ではない)を連ねて論旨曖昧な主張を繰り広げるのか。決して復古的な愛国主義を鼓舞するつもりはない。だが人間の思考や思想の本質にあまりに無理解であることが極めて残念であり、怒りさえ覚えるのである。
科学論文の英語執筆は絶対条件だろうか
もう20年近くも退潮気味とされる日本の科学の復権の鍵は何か。まず、なぜ論文を英語で執筆するのか問いただしたいが、この根源的議論はもはや遥か遠くに置き去られ、科学界では自明のこととして定着している。
端的には科学社会が専門集団迎合主義に陥っているからである。多数の研究者たちが自らの研究課題を欧米の寡占的有力誌の戦略風潮に合わせて設定して、「分別ある」公的研究費配分機関から資金を獲得し、成果の評価も商業的科学情報提供機関が差配する論文被引用数などの数値分析に委ねる。英文論文発表はこの定型化された制度のもとでは明らかに有利に働く。もし日本の科学界や科学行政が思考停止し、疑いなくこの便宜主義に追従すれば、もはや厳しい現状を打開できるわけがないではないか。
近年、我が国社会、特に自信なき指導者層は、科学における日本的素養さえも過小評価しているのではないか。自らの価値観に肯定感を失えば「日本らしい科学」は遠からず滅びゆくことになる。科学知識は人類共通資産であるので、自らの成果が速やかに世界に行き渡るべく英語で伝達することは良い。しかし社会の制度がそれを義務化、強制して、個人の自由な精神の発露を損なってならないはずである。英語圏に居住経験のない日本人の語学力が不十分であることはやむを得ないことであり、過剰な劣等感は無用である。むしろ、実りなきノウハウ的な英語技術の習得に過度に努力することが、本来なすべき知性や感性の研磨を損なうことを恐れている。科学はいかなる言語でもできる。才能豊かな日本人研究者には科学誌掲載のための論文作成ではなく、自らが納得できる研究をしてほしい。
実は、筆者は現在の我が国の科学界の力量をはかりかねている。有力研究者たちは政府の「選択と集中」の方針のもと、巨大な競争的資金獲得して為した大成果を周辺に誇らしく喧伝する。一方で、量子技術、AI研究はじめ最先端科学技術の国際会議における日本人研究者の存在感は先進国や躍進するアジア諸国に比べて相当に乏しいと聞く。研究指向大学を主体とする注目論文発表の状況も芳しくない。もしも現在「日本の科学力」が劣化しているとするならば、それは、本当に研究水準の低下を意味するのか、あるいは成果発表における英語表現の拙さによるものだろうか。スポーツに例えれば、「ホーム」ではなく常に「アウェイ」状態が強いられ、科学精神的に極めて不利である。もし、後者による過小評価であれば、言語バイアスを排除した上で正当に判断されて良い。思いをこめて母語でなされた「良い」科学研究には十分な名誉を与えるべきである。評価は主観であり容易ではないが、まずは上記の不具合の実態を知りたいのである。
独自性のある科学力を維持するために、自国語科学誌を軽視、蔑視してはならない。英語を母国語とする人は世界人口の5%程度に過ぎないが、20世紀後半の英語論文重視の風潮の中で、科学伝統国ドイツ、フランス、オランダにおいてさえ、多くの歴史ある自国語科学誌が統合されて姿を消していった。日本では経営基盤が脆弱な多くの自然科学系学協会が、英語版科学誌を維持するために日本語論文誌の廃刊に踏み切った。たとえば、1880年創刊の東京化学会誌を源とする日本化学会誌の刊行は2002年3月に幕を閉じた。日本語論文が不用意に差別的な評価を受ければ、当然内容は劣化して購読者数は減る。また商業出版社の教科書出版事業も成り立たない。その結果、研究と教育の両面において海外出版社に依存することになった。
科学は自然を対象とするが、科学界は人工空間にある。だが漢字で「日本化学会」を名乗る学会が、日本語学術論文の投稿を許さないのはあまりに不自然でなないか。筆者はこの経緯を観察し、財政的には理解はしつつも学術的には納得できないままできた。各国の研究社会の価値観によるが、学術の画一化に拮抗すべく多様性をいかにして保障するのか。特に社会との関連でさまざまな特定目的を含む工学や医学などの研究において、特色ある成果が日本語論文として国内に埋もれている可能性を感じたからである。誰が読むのか。汎用的でない研究課題はいくら優れていても、当然読者数は少ない。しかし、いつか日の目を見る機会が来ることを願っていた。
翻訳技術は進歩する
ようやく状況を再考すべき時期が到来した。自動機械翻訳技術の著しい発達である。この有力技術はもちろん未熟な研究者の外国誌向けの論文作成を大いに助ける。しかし、より大事なことは、特徴ある日本的な思索に基づき発想、生産され日本語で表現された多様な作品、この「精神」を翻訳して世界の隅々まで直ちにオンラインで紹介できることである。もちろん仮訳ではあるが、様子を見て語学の達人の助けを借り、また知恵とAI技術を駆使すれば、さらに洗練された新たな形の発信が可能になろう。
例えば、現在の(有力にして高価な)科学誌への個人投稿ではなく、目利きによる選りすぐりの「日本科学」を体系的に取りまとめ現代美術の「国際アートフェア」(残念ながら日本は劣勢)のように戦略的に海外発信してはどうか。Think locally, Act globallyの具現化であり、これには世界が驚く、突如として日本の感性が輝くかもしれない。若き科学者たちの自己実現、是非とも望みを叶えたい。我々に不足するのは資金ではなく、既存の価値体系の打破に向かう志と知恵かもしれない。求められるものは日本研究社会の矜持、蔓延する英語有力誌崇拝からの価値観の転換、出版企業の社会責任の認識、そして国益維持に向けた行政の決断であろう。
なお、このようにグローバルに英語化情報が席巻する状況の中でも、長期的に「自立自強」の科学技術立国を目指す中国は、国家としてあえて母国語による科学力の拡張と蓄積に努めている。いずれ新しい大規模な東洋思想の科学や技術が生まれるかもしれない。欧州、北米に続く第三の主要科学技術圏アジアの中で、日本はいかにすれば輝ける存在であり続けるのであろうか。
良き日本精神がこもる作品は世界を魅了する
世界は多様性に満ちている。精神的営みの評価は当然主観的であるので、信念ある創造者たちには、価値観をともにする人びとの共感を得ることが最大の関心事、それで満足する。しかし、真に意義ある文化的活動や成果は、言語、国境を超えて広く人口に膾炙することがある。我が国が誇る美術、工芸、建築、庭園、伝統音楽、郷土芸能、さらに映画、アニメ作品などの多くは全体像から細部に至るまで、大和言葉をも含む日本語を駆使してつくられた技量、いわば匠の技のなせるものである。
今年の米国のエミー賞(ドラマ部門)は、真田広之の製作・主演による戦国時代の日本を舞台にした時代劇「SHOGUN 将軍」(モデルは徳川家康)に与えられた。本物の日本文化の発信を意図し正統な日本語を尊重したため、台詞の7割が日本語(英語字幕)という。演技の所作、小道具、衣装などに特に配慮がなされたようだが、真田が受賞会見において、あえて日本語を選択した徹底ぶりに感激した。「情熱と夢が海を渡り、国境を越えた」としたが、彼の世界を見渡しながらも飽くなき「日本へのこだわり」がハリウッドの伝統に大きな衝撃を与えたようだ。
日本人でなければ見えないもの、気が付かないことがあるだろう。1968年に川端康成に、1994年には大江健三郎にノーベル賞文学賞が授与された。もとより「雪国」、「伊豆の踊り子」や「ヒロシマ・ノート」、「万延元年のフットボール」などの優れた作品の深い思索に対する評価である。しかし欧州におけるこの著名な賞が与えられたことを「日本語で書かれたものだからこそ」と考えるべきなのか、あるいは「たとえ日本語で書かれたものであっても」とするのであろうか。外国語に翻訳されていても、その真髄は世界が共感する日本の精神であろう。文化の主要な要素である科学においてもこれが例外であるわけがない。
価値の認識は必ずしも容易ではない。たとえ読める人が少ない日本語の論文であっても、国際会議発表の機会に恵まれなくても、本当に優れた「日本らしい」成果が評価されることが望ましい。文学者であれ科学者であれ、過去の日本人ノーベル賞受賞者たちは必ずしも英語の達人でも雄弁家でもない。だが日本語による講話には十分な説得力があることが多い。このグローバル社会における様々な分野での日本に対する注目度を見るにつけ、あえて日本発の科学の振興と成果の発信の意義を再認識すべきであると考えている。
日本人の豊かな科学創造力
我が国は1945年の第2次世界大戦の敗戦後、懸命な自助努力と世界の地政学的な流れが呼応して国力を回復することができた。1960年代には科学界もまた極端な貧困から脱して国際化に向かった。だが全体的には依然として辺境にあり、研究資金、情報、国際人事交流は不十分で「日本語による研究」にとどまっていた。当然、国際競争の枠外にあり欧米的視点からの水準は高くないが、自学自習、自問自答ゆえに独自性ある萌芽的な研究成果が生まれつつあった。正統な流れにあるとは言えないが、その一部がやがて新分野の開拓につながり高い国際的評価を受けることになった。
ちなみに筆者のごく些細な、しかし生涯忘れられない化学的発見との出会いは27歳の時であった。当時、船便で数週間遅れて届く米英独の科学雑誌は読むものの、甚だ非効率な日本語による営みの結果であった。もちろん米国学界は評価しなかったが、おかげでその後に道が拓けた。英語らしき言葉で会話し始めるのは3年くらい後の事である。やはり母語ほどありがたいものはない。
いま一度「二つの文化」を考える
20世紀の半ば、英国の著作家C.P.スノーの名著「二つの文化と科学革命」は科学的文化と人文的文化の対立を憂い、制度改革を提言した。もしも世界の科学者が「日本らしさ」に敬意を表するならば、それは伝統であれ革新性であれ、独自性ある文化的特質を含むからであろう。ここで定義する「文化」の主な要素は、言語、情緒と論理、そして科学である。文化は主としてこの4要素の上に成り立つ。つまり、科学は単なる形式知の集積ではなく、すぐれて文化的な営みであり、言語や芸術と不即不離、ときには相即不離の関係にある。従って日本語による深い思索と日本人としての感性を呼び起こすことによって初めて独自性ある科学をすることができるはずである。
今日、長岡半太郎に倣って言えば「果たして、日本はこれからも科学技術立国たり得るであろうか」。現在の第6期科学技術・イノベーション計画には、基本法の振興のために、あえて人文・社会科学を加えた。構えは大きく、深刻な地球規模の課題への対応、日本社会の特質を踏まえた経済成長、科学技術の光と影(ELSI)などがその主眼であろう。本稿はこれとは意図を異にするものの、我が国の基礎科学力の根本的強化のために、改めて母語としての日本語の尊厳の堅持、そして世界が共感を寄せる芸術精神の尊重が不可欠であることを唱えておきたい。