2023年12月22日

(59)人の動きは自らの能力を開花し、組織の価値を高める

我が国は本気になって多様な才能、豊かな経験をもつ指導者を育成、確保しなければならない。教育が選抜の手段であるはずがなく、若者を消耗させてはならない。大学入学試験が国民的行事として、これほど注目されるのは、18歳頃の受験競争の勝者が、そのまま既成社会が用意した指導者の地位を保証する傾向が強いからである。多様な経験を尊ぶ諸外国と比べて、これは異様である。国内の有力大学に閉じこもり先端的科学の論文生産にいそしむ博士たち、公的研究機関で国家戦略の科学技術開発を目指す研究者たち、さらに選ばれた官僚や大企業の経営者は、いったい何を拠り所として、たくましく行動する異国人と拮抗していくのだろうか。

特色ある人材こそが無形資産である

スイスIMDの世界競争力ランキングは、1990年代半ばまでは4位以内であったが、2023年にはついに64カ国中35位にまで低落した。近年活力を得た多くのアジア諸国にも劣後するが、特に政府やビジネスの効率性の低さが影を落とす。2021年の日本人一人当たりの労働生産性も81,510ドルと、OECD加盟38カ国中29位で、4位の米国の53%にとどまる。誰も責任を取らないままに国の競争力がとめどもなく衰退する現状である。

敏捷性、適応性が求められる時代に、競争力の源泉が有形資産から無形資産に移ったことを認識せず、高度人材や特色ある知識、新規アイデアこそを財産として評価しようとしない社会の体質によるのではないか。米国市場(S&P500, 2020)では企業の時価総額の90%を無形資産が占めるが、日本(日経225, 2020)では32%に過ぎないという。知識はもとより個人に帰属するため、人の組織間流動が資産流通を促し、異質の人との協業が新たな価値を生む傾向にあるが、硬直的な雇用制度がこれを阻害している。人的資産形成には相当の投資が必要だが、長期的視点に立つ才能育成とともに、既成人材の転職による能力最大化は極めて効果的である。

なぜ移動を嫌うのか

このグローバルな時代に、リーダーたちは国内組織の相対的優位性に安住することなく、まずは国外にさまざまな信頼できる知己をもつことが必要である。研究教育が、相変わらず欧米先進国の動向にのみ目を向け、追従する傾向があるが、今後は躍動するアジアにおける科学技術人材交流のハブとしても機能する国でなければならない。中国、韓国、シンガポールに限らず、インド、アセアン諸国の科学技術の進展には目を見張るものがある。

深刻なことに、大学院教育が世界標準を満たさず、時代が求める高度人材の育成ができていない。自給力不足を補うのは国際人材の登用であることが明白であるが、社会の仕組みが旧態依然で、いまだに世界の若者に魅力ある環境を提供できていない。さらに由々しきことに、我が国がすでに擁する産官学の有能な人材さえ十分に有効活用しようとしない。他方、研究者、技術者たちにも内向きで現所属機関に執着する傾向が強く、さらに産官学のセクター間、ましてや国境を越えて移動しようとはしない。これではせっかくの能力を発揮できず、また社会が求める建設的な研究・技術協力が進まないのは当然である。

アカデミア、公的機関、産業界がつながらない

社会は一つである。全てのセクターが独立しつつも機能的につながり、新たな価値を創造しなければ国力を保つことはできない。我が国の大きな問題は、相補的であるべき大学と産業界の交流が欠落し、双方の指導者たちの間に継続的かつ緊密な対話がないことである。企業は大学・大学院の教育研究の基本理念をほとんど理解しない。極論すれば自らの戦力としての学生の一括採用人事にしか関心をもたない。自社中心的で横暴な「青田買い」の悪弊で、定められた教育課程さえも阻害してはばからない。自社の採用に資するインターンシップを実施するものの、特色ある学生の育成、有能な博士課程人材の発掘、若手研究者への助言、さらに専門家としての彼らの登用の可能性にもほとんど無関心である。そのツケは後年必ず回ってくる。ただ一つの朗報は知の潮流の変化に敏感な社会人博士課程学生の増大傾向である。

筆者は大学人として米国、ドイツ、スイスなどの化学、製薬産業界の研究所長や、主要研究者たちと頻繁に交流してきた。彼ら全員が博士号をもち、教授称号を与えられた人も少なくない。日本の企業人に比べて、これらの友人たちの学界における存在感は遥かに大きい。研究内容の価値を互いに共有し、しばしば自社の研究所に招いてくれた。学術講演会なので社外、同業他社にまで公開であることも少なくない。企業人と実りある議論をする一方で、筆者が彼らの日本における諸活動を助けることもあった。我が国企業の研究者、技術者たちも国際アカデミアにおいてもっと能動的であって良いだろう。

欧米企業は社会的責任を持ち、国際学会の開催支援にとどまらず、国内外の著名大学にレクチャーシップを創設するなど、開放的に支援を惜しまなかった。その結果、それらの企業はブランド性を高めて広く最優秀の博士たちを採用してきた。また米国の多くの大学では、教授は年間9ヶ月雇用なので、残りの期間を利用して所属大学における責務を損なうことなく共同作業ができる。公的研究機関の研究者は規制がより厳しい感じがするが、ここは安全保障の観点から大事な点であろう。

産官学セクター間の人材流動の欠如

我が国の研究者数は比較的多いが、産官学セクター間の流動は著しく不調である。産業界(51.5万人、75%)、大学(13.6万人、20%)、公的機関等(3.8万人、5.5%)(2021年)のセクターにおいて固定化したままだ。特に企業から大学への年間移動率はわずか0.4%、大学から企業へは0.1%以下である。この完全な分断は何によるのだろうか。日本企業は大学人に全く期待しないと言われるが、価値観の相違だけでなく、何か根本的な無理解によるに違いない。

大学がよほど居心地の良い環境であるのか、教員たちはあまりに保守的である。もちろん自由に専門分野を一生続けるのはいいが、転職して多様な経験を積み、専門外の知を合わせれば、より大きな成果が得られるのではないか。人生の充実感は人によりさまざまである。英国王立協会の報告(2010年)によると、博士課程を終えた学生の8割程度が企業や政府機関を中心に専門科学者以外の道を選び、大学のテニュアスタッフは3.5%、うち教授職に就くのはうち0.45%に過ぎない。彼らは幸せに学問一筋の道を歩み続けたのかもしれないが、活力溢れる「実社会」に出る機会を失したモラトリアム人間とみなすこともできる。筆者の専門である化学分野において、米国の有力大学の新博士が目指すのは、第一に起業家、次いで大学教授、大企業研究者のようである。起業は既成の大組織とは異なる迅速果敢な営みであり、我が国でも、夢おおき若者たちにその環境を提供すべきである。

研究者は同一セクター内でさえも移動しない

適材適所が望ましい。しかし、大学、企業を問わず、個人の専門的能力や志向と所属組織の職務要請の不整合により、不遇をかこつ研究者は少なくない。この埋もれた才能を十分に開花させるには広く解放的な共創の環境、研究者市場と信頼できる仲介人ないし機構が必要であろう。我が国の現状では、同じ価値観を共有するはずの同一セクター内においてさえ回転があまりに遅い。これは大問題である。

まず、自由闊達を旨とする大学セクターでは、多くの組織を渡り歩く人が成功する傾向にある。しかし我が国では、なぜか年間移動率は3.1%に過ぎない。これが若手の任期制研究者の「雇い止め問題」の深刻化を招いている。多くの教員にとって現職が最適であるはずがないが、実際の移籍者は8,000人程度にとどまる。他方、大学側もそれぞれの使命、長期展望の実現に向けて十分な陣容を備えているわけがない。最適化に向けて人事計画を策定、大胆に実行すべきだが、多くの大学で財政が厳しい状況にあり、現状維持が精一杯でその余裕はない。

しかし、秀でた才能が国内外に広く散在しているにも関わらず、学術界全体が硬直化し、その最大活用の機会を失っていることも明らかである。旧来からの閉鎖的で透明性を欠く新規採用、昇任人事のプロセスは絶対に廃すべきである。懸念される科学力の再生のために、全国の主要大学(全ての大学ではない)が沖縄科学技術大学院大学(OIST)のように、全人事に国際評価を導入すれば、渋滞状況は相当に緩和される。なお、国際評価を受ける組織や人には、それなりの存在感と評価対応への覚悟が必要である。形ばかり、安易であっては評価者に迷惑をかけるばかり、評判を落とすことになる。

企業間の移動も2.9%(1.6万人)にとどまり、国としての産業競争力を削いでいる。多くの日本企業は規模が小さく、求められる総合的知識・技術を自前で確保することは容易でない。企業のM&Aも有効であるが、まずは頑なな競争意識を捨てて国内協調を進めたい。自らの知財を外部活用することで大きな価値を創造し、対価を得るべきだが、関連企業との合従連携は遅々としている。組織の動きが鈍いのであれば、電光石火で外部の有力研究者、技術者を任用し専門知の融合を図るのが当然であろう。米国の新興企業の事業展開の速度と結果を見ればキーパーソンの流動の有効性は明白である。

今年のノーベル生理学・医学賞は新型コロナウイルスのワクチンの開発に貢献したカタリン・カリコとドリュー・ワイスマンに授与された。二人は米国ペンシルバニア大学における共同研究者であったが、mRNAワクチンの実用化はカリコが上級副社長を務めるドイツのビオンテック社と米国ファイザー社、またモデルナ社でなされた。製薬業界は競争が厳しく、情報機密性が最も高いとされるが、今回、ファイザー社でワクチン開発を先導したのはドイツ人科学者キャスリン・ジャンセンである。ワイス社、メルク社、グラクソ・スミスクラインなどで数々の成果をあげたのち、同社の世界トップのチームを束ねた。かつて彼女が経験したライバル企業各社がこれで損失を被ったわけではない。我が国の有能な研究者、技術者たちもセクターを問わず、自らの技量、経験を最も活かせる組織で働きたいに違いない。それが、彼らにとって社会の負託に応える当然の生き方でもあろう。組織は旧来の年功序列の人事制度を見直して、能力に相応したジョブ型の処遇をすることになる。

産業界は常に国外の動向、実情への目配りが欠かせない。自国技術力を誇るドイツにおいてさえ、四分の一の発明に外国人が強く関わるとされる。一方、閉鎖的で外国籍研究者を拒みがちな我が国では、特許出願についても、先行の外国人発明に目が届かず引用割合が少ないという。これでは韓国などと比べてハイテク水準が劣位であることもやむを得まい。