2023年4月28日

(55)研究者雇用の「動的安定化」

研究は人の営みであり、科学技術研究の生産性を決定づけるものは、人材の質と量の確保、そして活用法である。近年の我が国の基礎科学力、先端技術力、産業技術力の低迷の大きな原因はここにある。研究者数は、産業界(51.5万人、75%)、大学(13.6万人、20%)、公的機関等(3.8万人、5.5%)(2021年)と決して少なくない。しかし、質の問題は深刻であり、さらに貴重な高度研究人材の活躍の場に不備がある。流動化の加速が鍵であろう。

競争力を削ぐのは他国ではなく、現実を直視しない自国の努力不足である。まずは社会と研究者の双方に意識の転換が求められる。

高度研究人材の不足

大学院教育が世界標準を満たさないために十分に人材育成ができていない。多くの主要研究組織の個人研究者が欧米諸国や中国などの一流研究者たちに伍していけない。少なくとも基礎科学分野においてこれは明白である。英国クラリベイト社による論文の「高被引用度研究者」は2014年の5位から22年にはついに15位へと後退した。自給力不足を補うのは高度国際人材登用であるが、社会の仕組みの不具合から、いまだに彼らに魅力ある環境を提供できていない。さらに、我が国がすでに擁する産官学の有能な人材を有効活用しようとさえしない。研究者に現所属機関に執着する傾向が強く、ましてや産学官セクター間、国境を越えて移動しようとはしない。これでは機能的、建設的な研究・技術協力が進まないのは当然である。しかし、この20年間、誰もこの責任を取ってこなかった。

若手研究者の雇用不安

我が国の科学技術力の衰退の大きな原因の一つが、中核である若手研究者の研究環境の悪化、雇用不安であることは間違いない。大学の正規教員の39歳以下の割合は22%に低下し、また彼らの多くが独立性を欠く。多数の教員が「有期雇用」で身分が不安定で、自由な発想、長期展望に基づく仕事ができないという。一方、国立研究開発法人研究所などでは、時限付きの国家戦略プロジェクトに携わることが多い。やがて目標を達成、終了時が必ず到来する。個人の思い、規定、契約などの事情はさまざまであり、特定の組織と研究者の間で個別に解決できる問題ではない。

大学、公的研究機関、企業研究所の使命、目的は当然異なる。しかし科学技術研究における知識、技量は個人に帰属するため、特定の科学的、社会的課題の解決に向けて組織を越えて才能を共有できるところは大きい。社会全体として研究者たちの専門能力を最大活用すべく、流動を促す仕組みを用意すべきだろう。

研究教育機関はさまざまである。雇用形態は画一的でなく、使命とともに柔軟であってほしい。迅速かつ弛みなく進歩する科学技術の動向に円滑に対応するには、定型的な終身雇用制度はもともとなじまないはずである。今後は人事滞留、組織硬直化を招きがちなメンバーシップ型から、柔軟な中期ビジョンに基づくジョブ型雇用への移行傾向は避けられないであろう。大学では若手のテニュアトラック制度(現行の「任期制」とは異なる)の徹底は組織の活力維持のために不可欠である。新規採用、昇進、招へい人事は組織の目的に従って、透明性あるプロセスでなされるべきである。その上で国全体としては、多様な高度研究人材のキャリアパスを保障する、容量の大きな研究活動空間をつくる必要があり、大学に関しては政府が創設した「10兆円ファンド」を活用するなどして、この点に格別に注力してほしい。

研究者雇用の「動的安定化」へ

目指すべきは研究者にとっての身分不安定など不都合の軽減だけではなく、より積極的な国の研究力の強化である。

もとより大学、公的研究機関、企業研究所などの使命は異なるが「時代が求める知は何か」、不易流行を旨とした知識・技術の複合化・総合化の流れの中で、個人の独創性を尊重しつつも、共創による科学技術イノベーションの展開は社会からの明確な要請である。最大限の恩恵を受ける社会はより真剣に、多彩な研究者たちの機能の総合活用に向けた仕組みを工夫すべきであり、その結果が研究者の雇用の「動的安定化」をもたらすことになる。

限定的な個人の力から価値を創発するためには、生命機能の根源である細胞の仕組みに倣うべきであろう。いかなる生体分子も孤立していては意味をなさない。細胞に取り込まれた異なる分子が互いに動的かつ精緻に相互作用しあってこそ、自己組織化が起こり、迅速に化学反応が繰り返されて生命の営みとなる。社会的組織においても目標を達成するには、人材の流動性に基づく共同作業が不可欠である。組織に秩序は必要であるが、専門細分化した閉鎖的、堅固な壁ではなく柔軟な薄い透過膜で仕切り、必要な才能に対して選択的かつ円滑に移動を促す仕組みを作らねばなるまい。

大学を中心とする研究者社会は、なぜか行政施策に対して過度に受け身である。昨今の研究の流れはあまりに速く、外部者が個々の研究分野の専門的な特質を十分に理解し、現在の動向、将来の展開可能性を的確に把握することは困難である。大学や学協会が受け身であってはならず、主体的、自律的に科学研究のダイナミズムを先導すべきである。特徴ある先端科学研究が、いかに他と関係をもてば、さらなる科学の発展、新技術の実現、イノベーションに本当に貢献しうるかを、自ら真剣に考え、その推進の必要性について説得性をもって主張すべきである。それに向けた要素の組み合わせの数は無限であるが、全てが意味あるものではない。複合効果の発現機会は特異的(specific)であることを銘記しなければならない。

研究社会が目指すところはAI(artificial intelligence)という技術への依存ではなく、未知と不可能に挑むHI(human intelligence)の統合である。これこそが研究者たちの生きがいではないか。それぞれに独自の専門性を磨いた上で、存分に能力を発揮できる場に身を投じることを是非とも勧めたい。異能者を受け入れた組織が、相乗効果により新たな活力を獲得することは間違いない。国籍、老若男女を問わず、才能ある人材を、社会の全セクターで雇用する。この「越境流動」の格段の促進こそが、社会の発展に資する研究者たちの雇用の「動的安定化」を保障することにもなるはずである。