2022年9月16日

(50)不寛容な学術研究の評価 ― ある科学者の想い(その1)

我が国の産業経済力が著しく衰退する中で、その知的基盤である大学の科学技術研究力と人材育成のあり方に疑問と批判が集中する。確かに現状は多事多難である。大学組織は現実を謙虚に直視すべきであるが、同時に社会の大きな期待の裏返しでもある。奮起を約束して欲しい。国であれ組織であれ、主権を保ち続けるためには、その条件を確保すべく自ら目標を定めて、自ら力を培い、自ら不退転の決意を持って行動しなければならない。大学は開かれた存在である。特定国への依存ではなく、特色あるJーブランドを創り上げて、その信頼性で多数の国との広範な協調関係を培うべきである。

もしも日本の大学や研究機関が、本来託された機能を果たせず、また組織内の人が士気を落としているとしたら、過去10-20年にわたり、我が国が取り続けてきた政策の結果である。根本的に国際水準の環境の整備が求められるが、低落の最大の問題の一つは研究評価のあり方ではあるまいか。現行の評価手法は残念ながら科学人材の育成、学術の発展に寄与したというよりも、大学人の科学的精神を大きく損なっていると感じている。

大学はいつ頃、自己決定権を放棄し始めたのか

学問の府としての大学組織には自立性と自律性とともに外部社会と共通の価値観に基づく信頼関係、連帯感の形成が求められる。かつて、国立大学は法人格を持たずに文部省の傘下にありながらも、教員人事や研究教育費申請、配分に伴う評価は学問的専門性ゆえに、ほぼ学界の価値観、自主性に委ねられていた。筆者には論文生産性、さらに国内の専門学会における存在感、所属学派など人間関係が大きく影響するように感じられた。大学間の人の移動も限られていた。

やがてその内向き、保守的な慣習に信頼性が薄れてきたのであろう。文部省が大学における研究評価の検討を始めたのは1980年代前半のことである。従来の大学組織支援に加えて個人に対する大型研究プログラム「特別推進研究」が発足したのが1982年、この頃から行政が審議会などの議を経て研究動向にさまざまに関与し始める。その後、大学は教学指導層を含めて行政の方針に教化されて、自己決定権を失っていく。2004年に大学が法人格を得たのちもあるべき組織の自治は衰退し続け、特に競争環境は研究者個人の自己中心主義を促し連帯感も損なわれて今日がある。極めて残念である。

科学研究や芸術活動には本来、そのあるべき姿や成果に関わる批判、評価というものが内在的に存在するはずである。今日、専門家たちによる自己評価が信用を失ったことは甚だ不甲斐ないことである。過度の独断専行は禁物であるが、大学人は健全な独立心を養い、自らが選んだ道を歩むべきである。大学人が求めるものは識者たちの共感ではなかったのか。深い学問的見識のない、しかし影響力ある第三者の安易、無責任な意見への迎合、実体なき画一的な数値による評定には断固として対峙しなければならない。

今日の日本の指導者の多くは客観性、公平性重視の大学入学試験制度の「信仰者」たちである。だが学術は違うはずである。与えられた課題ではなく、自らの発想で問題を提起し、自ら答える。だから研究の意味、そして成果の質を最も理解するのは研究者自身、あるいは鑑識眼ある専門家たちではないか。この自己決定権の放棄こそが問題の根源にある。若い人たちがあまりに、他者が測る定量的な数値評価指標数値に鋭敏、同調圧力を安易に受容しすぎるように思える。自らの人生をかける営みではないか。他人と異なることを誇りとしてほしい。

1980年代、当時40歳代半ばであった筆者は幸いこのような評価に差配されることなく、先人から学んだ「本来の価値観」を主体的に貫いて生きることができた。自己肯定感を支えたのは、何よりも国内外の敬愛する年配者、信頼できる同僚たちの励ましと助力であった。いや、多くの批判もあったに違いない。では生来の「鈍感力」が助けてくれたとしておこう。以下は、このひとりの日本人科学者の想いである。なお、前稿の記述をしばしば繰り返すことはお許しいただきたい。

何のための評価なのか

そもそも評価とは、人やもの、組織などを対象として価値を定めることであり、とくにそれらの質を保証し、さらに水準の維持、向上のために行われる。評価には必ず目的があるはずで、目的なき評価は有害そのもの、行ってはならない。

科学力を「自然界の真実を追求し、かつ人びとの豊かな人生(well-being)、国の安全な存立と繁栄、さらに人類文明の持続に資する力」と定義するならば、科学研究評価は、国家のこの力量を高めるためのものであることが求められる。他は末梢である。留意すべきは評価のあり方が対象の属性や行動規範に多大の影響を及ぼすことである。一方で、学術界は古典的な自己完結型の知的営みにとどまらず、人類社会のより普遍的な価値体系や関心事に向き合うべきであろう。「時代が求める知は何か」、過去でなく今日から未来における研究活動の意義を再認識、共有したいものである。

学術としての科学研究の評価は、明確な達成目標を持つ戦略的研究や委託研究に比べてはるかに難しい。まずは寺田寅彦の言葉には耳を傾けておきたい。「科学上の知識の真価を知るには科学だけを知ったのでは不十分である。…あらゆる非科学ことに形而上学のようなものと対照し、また認識論というような鏡に照らして批判的に見た上でなければ、科学は本当には「理解」されるはずがない」という。多分この賢人の意見は的を射ているだろう。科学が数理的に記述され因果決定的であるとしても、その評価はその原理で一義的になされるべきではない。極めて多角的で、ひと筋縄ではあり得ない。専門家の狭い了見を戒めてはいるが、思想なき外形的評価に従えと言っているのではない。

現在の評価法はこの本質を逸脱しているように思えてならない。大学の研究活動の大部分は国の財政で賄われるため、行政には資源の有効かつ公平な利用、分配が求められ、その正当性を担保、説明すべく評価が必要になった経緯がある。よく理解できる。ならば、評価法はこの観点から論理的であるとともに、専門社会において受容、信頼されつつ、あくまで日本の「科学力を高める」ためでなければならない。行政的な説明責任における分かり易さを優先するあまり、安易な数値比較技術に委ねることは、学術研究の本質を歪め、さらに教育への悪影響が大きいことを十分に認識すべきである。なお、学術研究(科学研究一般ではない)のあるべき姿は、国内外また国公私の財源の如何を問わず不変でなければならない。

衰退する日本の基礎科学力

基礎科学研究の主力を担うのは大学である。残念ながら、本年8月に発表された文部科学省NISTEPの「科学技術指標2022」は、例年にも増して我が国の科学論文指標の凋落を伝え、関係者たちに大きな衝撃を与えている。外国からも大変心配されている。

科学論文総数はかつての2位からインドにも抜かれて5位。これは規模の問題でもあるのでさておいて、「注目論文」とされる被引用数上位10%論文数のシェアがわずか2.2%で、スペイン、韓国に抜かれてついに12位に低落した。首位中国のシェアは26.6%、米国は21.1%であり、日本の12.3倍、9.7倍にも達するが、両国の研究開発費は我が国の3.3倍、4.1倍に過ぎない。イタリア、オーストラリア、カナダなどの小規模国の後塵をも拝する。とにかく我が国における投資効率はあまりに低い。かつて世界を先導してきた化学や材料科学、また産業の礎である工学などについても、研究活動規模(研究開発費、研究者数ベース)が約6割の韓国に水を開けられた感じである。Top1%論文シェアも10位に沈む。

だが大学だけの問題ではない

上記の分析は大規模な外国の商業情報機関が差配する科学論文指標に基づく。もちろん国の科学力そのものを示すものではないが、一定の相関関係を持つことは否めない。少なくとも基礎科学における活力を反映しており、ひいては国民が求める経済産業活動、安全保障、医療健康などに関わることも確実である。同時に、逆にこれは恒常的な生産性の低迷をはじめ、社会における日本特有のさまざまな深刻な状況がもたらす惨状であることも間違いない。社会により深く関わる公的機関、企業の研究開発状況はいかがなものか。例えば、近年の特許と論文の関係が示唆するように、産業界が基礎科学力の活用を軽視すれば当然学術界の士気は衰退する。先見性を欠き長く停滞を続ける諸セクターからの一方的な大学指弾は無責任である。

21世紀初頭、我が国の科学力は間違いなく米国、欧州全体と共に、世界の3極の一翼を担っており、経済界もバブル崩壊後であるものの存在感を維持していた。あれから20年、深刻極まる事態にある。学術界のみならず、各界の指導者たちはこの衰退の過程を観察、拱手傍観するだけあってはならないはずである。非英語圏にある中国の台頭、韓国の躍進は、間違いなく政府のみならず産業界を含む社会全体の強固な意思の表れである。筆者は1980年代前半から、両国の発展を担った研究者たちとともにあり、基礎科学力の向上の過程を観察してきた。我が国が有為の人材を有することは間違いないので、反省はすれども自虐に陥ってはならない。現状維持に努めるのではなく是非とも、今日を体制の立て直し、再生の機会と捉えてほしい。

テイラー主義による数理管理法の不都合

短絡的に論文指標の向上を強いることは逆効果を生む。科学力とは総合的かつ動的な性質を有するもので、したがって研究評価には多元的、中長期的視点が不可欠である。しかし、最終責任を負う行政はじめ権力者側は、大学が果たすべき役割のごく一部だけ切り取り「数値測定し、公開し、報酬ないし懲罰する」システムを広く適用する。理不尽の最たるものは個人に対する論文被引用数偏重による評価であり、学術活動の自由の代償としてその受容を強要される研究者にとっては誠に苛烈である。学界の指導者層が強く反論しないのはなぜなのか、おそらく自らの相対的地位、既得権の維持のために都合がいいからであろう。これでは状況は決して反転しない。

これは20世紀初頭、米国の経営学者Frederick Taylorが提唱した「数理的管理法」の典型である。確かに旧来の製造業など、ある分野においては生産性向上に資することもあったが、もはや「知の時代」にその不都合は明々白々である(ジェリー・Z・ミュラー、「測りすぎ。なぜパーフォーマンス評価は失敗するのか?」、松本裕、みすず書房、2019)。

ビジネス界における近年の明白な失敗例として米国発のバブル崩壊、リーマンショックが挙げられる。さらに深刻な結果をもたらしたものは、20世紀に米国を著しく疲弊させたベトナム戦争である。問題を起こしたのは米国の寵児、24歳でMIT教授になったロバート・マクナマラ国防長官である。自信過剰な彼は、内容が複雑で理解できない事象の全てについて強権的に数値管理を試み、さまざまな政策ミスで負の累積を重ねた。それを覆い隠すための「大本営発表」が、国民を欺き戦況を抜き差しならない泥沼に導いたと言われる。

果たして数値的に簡単に測れるものしか意味がないのか。学術界はあまりに受け身である。学問的内容のより正当な理解を得るべく自らを説明する権利を絶対に放棄してはならない。一方で、我が国の行政には大学への財政投入と引き換えに重要業績評価指標 (key performance index, KPI)として一定の論文被引用値の確保を求める動きがある。これを受けて経営責任者たる学長が、万全の環境整備することもなく教員個人にその向上を求めることは必然である。大学は論文生産工場ではなく、研究者もプログラムに従い効率的に動く機械ではない。論文発表のために研究するのではなく、良い成果が出たから研究社会に向けて論文を書くのである。いたずらに競争をあおれば、必ずや動機不整合が起こる。あるべき行為、倫理を歪めて消耗し、本来果たすべき使命を損ねることになる。極めて危険、有害であることは、近年の世界的な不祥事の多発からも明らかであろう。

私たち世代は自らの信念に従い、ひたすら「非効率的に」創造を求めた。もし、この精神の拠り所を鑑みることなく外形的に断罪されるならば、とうてい耐えることはできない。まだ洗練されない、野生の名残でもあった。

未来の成果を見通す評価を

いかなる研究プロジェクトにも一定の目標がある。しかし、目的を達成すればまたその先に新たな挑戦課題が出てくる。また、この過程の途中にも予期せぬ素晴らしいことに出会う可能性がある。このようにして科学は永遠に発展を遂げていくが、ここに大きな教育効果があることに留意したい。

成果主義を全否定するつもりはないが、論文は研究の終点ではなく次の飛躍のための出発土台であるべきだ。本当に大切なことは過去から現時点に至るまでの成果の解析ではなく、未来における成果を見通すことである。科学は学術を超えて広範な社会の中にある。我が国は少子高齢化に時代が続く。世界は情報、デジタル革命、さらに地政学的な地殻変動の最中にある。人類全体に感染症が襲い、地球温暖化、自然災害にも直面する。将来は不確実性に満ちており、予見困難であるがこの視点を忘れてはなるまい。