2020年12月11日

(43)米中の覇権争いの中、科学技術振興のあり方を考える(後編)

科学技術に基づくイノベーション(社会的価値の創出)は科学そのものとは異なり、その方向と力量が国家の産業経済、軍事の安全保障にも強く関わるため、互いの利害対立、緊張関係は避けられない。ここには当然政治が深く関与してくるので、科学者たちは、いま一度自らの立ち位置を確認すべきである。

中国は産業強国実現を目指す

中国の国務院が2015年に発布した「中国製造2025」では「製造業は国民経済の基盤であり、国家建立の根本であり、国家振興の神器であり、強国の基礎である」とする。その要点は工業化と情報化の「両化」融合であり、豊かな生活のみならず強国の実現を目指す。実際に米中両国が覇権を競うのは主に情報通信系の産業力であり、米国が脅威とするファーウェイの5G技術はその中核である。

中国は科学論文数だけでなく、産業技術研究力の量的指標の一つである特許出願数についても急増の傾向にある。2014~16年のパテントファミリー+単国出願数は世界1位、また2019年の国際特許数は中、米、日の順である。さらに先端10分野技術の特許出願件数については中国が9分野で首位を占め、米国は1分野だけにとどまる(日本経済新聞、2020年2月12日)。ただし、中国の医療関係の技術水準は急速に飛躍しつつあるものの、いまだ米国には及ばない。

米国の対中安全保障政策

中国の強権政府が掲げる「一帯一路」経済圏構想に対して多くの自由主義国が懸念を抱き、関連する軍事、産業技術の急速な膨張に脅威を感じることに無理はない。米国に特に顕著な不安と焦りが見られるが、戦後75年間、自由民主主義の価値観を共有してきたわが国も当然この中国の政策に納得できない。

今日、米国の科学技術社会は、もはや中国人ないし中国系米国人無くして成り立たない現実がある。その中で両国の情報戦が広がり、米国政府は対中国政策を転換、機微な先端技術の流出にも神経をとがらせている。2018年からは「輸出管理改革法(ECRA)」に基づき、人工知能、量子技術など安全保障に関わりうる14分野の新興技術や、半導体製造などの基盤技術について技術輸出規制の厳格化を指向し、さらに直接投資や留学生受け入れも規制強化する。さらに、商務省の禁輸措置対象は共同研究を進める有力大学にまで及んできた。

大学の国際共同研究への影響

科学界が自明と考える国際主義は、必ずしも保証の限りではない。全米科学財団(NSF)の委託によって昨年末発表された独立機関JASONの報告書が、近年の深刻な状況を物語る。米国の卓越性確保のためにグローバル人材の貢献は極めて大きく、成果の公開、共有を前提とする基盤的研究(fundamental research)については従来通り、最大限の開放性と共同性を維持しつつ推進すべきとした。同時に、米国の研究倫理と公正性の原則にそぐわない中国の政府や機関の行為事例の存在を指摘して、研究社会に倫理的、法的な規制の整備を厳しく求めた。現在3000を超える国際関連のプロジェクトに資金を提供しているNSFは、この提案を受け入れ、研究者の利益相反・責務相反に関わる情報の全面開示に同意、さらに関係者全員の責任を明確化するため、大学その他の機関とも共同することとした。

米国の研究者が政府助成金を受けるためには、自らが外国で果たした役割についての説明が求められる。今年の1月に中国の「千人計画」により武漢理工大学に「戦略的科学者」として参加したナノテクノロジーの権威であるハーバード大学教授が逮捕され激震が走った。司法省連邦捜査局(FBI)が産業スパイを取り締まる「チャイナ・イニシアチブ」のもと捜査を続ける中で、国立衛生研究所(NIH)と国防総省(DOD)の調査に対して虚偽の報告をしたとのことである。また、NSFは「不適切な外国の影響」を排除すべく、外国研究費との重複受領の不開示の25件について、研究費給付を停止、取り消した。NIHは生物医療分野において巨大な研究資金を大学等の外部機関研究者に提供しているが、2018年から外国との関係に懸念があるとされる87機関、189名の研究者について実情を調査してきた。その結果、54名が契約を取り消された。そのほとんどが中国から資金援助などを秘匿していたためとされる。さらに最近、米国航空宇宙局(NASA)でも、過去の中国内大学への帰属を隠して研究費を受領したとされる研究者が逮捕された。米国法令等の違反者続出は研究社会の名誉を甚だしく損なう事象であるが、国籍を問わず、かくも多くの有力研究者が不誠実な行為に手を染める本当の動機はどこにあるのだろうか。

わが国の科学技術の安全性をいかに守るか

わが国の研究社会も決して国益を損じてはならず、遵守すべき法律や国際契約に基づき緊張感を持って対応する必要がある。このグローバル時代の科学技術振興には諸外国との緊密な政策連携に基づく情報交換、頭脳循環が不可欠であるが、わが国には肝心の理念と推進戦略が欠落し、むしろ世界から孤立気味であると感じている。

わが国では近隣国への知識、技術の一方的な非合法的流出、窃取について、被害者意識ばかりが強いが、逆に政府、研究現場は諸外国の活動状況を実時間的に十分に把握してきたのであろうか。広範かつ正確な科学技術インテリジェンス機能があるとは思えないし、軍事・経済安全保障に関わる法整備も不十分と聞く。もとより多くの公的研究機関、特に大学組織は情報管理にほとんど無関心、体制はあまりに脆弱(ぜいじゃく)ではないか。

科学界はオープンサイエンスの流れにある。その中核は多国間の共同研究とともにデータ駆動型の活動であるため、わが国はまず、信頼できる基礎科学と技術に関わるデータを国内外から集積、共有し、その公平な活用のための基盤をつくらねばならない。しかし、国力の主体である産業界はその構築になぜか消極的と聞く。国力の基礎である基礎科学や関連技術の共通基盤を一つとってみても、長年にわたる行政的不作為と研究社会の無関心、無責任が、欧米の特定企業による基本的データの無防備な収奪、寡占、再利用を許している。これは米中のハイテク覇権争いの議論以前の問題であり、日本社会自体の後進性の表れではないか。

大学、公的研究開発機関、企業の役割の明確化

大学のあり方の基本を再確認したい。大学人が「学問の自由」を守り(憲法23条)かつ「自由の濫用」を防ぐ(憲法12条)ためには、研究成果を国内外に広く公開することが不可欠条件である。一方で、国の繁栄を図り安全を守るためには、産官学の共同研究、特に先端工学分野における円滑かつ安全な協働を実施する機能的、強靭(きょうじん)かつ合理的な制度が必要である。大学は本来教育機関であり、また広く人文学、社会科学、自然科学とその応用に関わる「学問の府」である。自主性、自律性を旨とする学術以外の目的の活動は別途異なる最も効果的な仕組みを設定した上で行うべきである。国家安全保障など機微に関わる先端技術開発にも基礎科学知識は不可欠であるが、大学における実施には、情報管理体制など解決すべき問題があまりにも多い。主として「国を守る」防衛省などの国立の直轄機関が責任を持ってなすべきである(コラム10)。ピュリツァー賞を受賞したD.ゴールデンの「盗まれる大学」(邦題、2017年)が米国大学のジレンマを明らかにしている。「営利を求める」秘匿を要する商業化研究の推進には企業が主導する別枠の機能的な協業の仕組みが必要である。ここに行政は何をもって、どこまで関与すべきだろうか。

わが国政府は「統合イノベーション戦略2020」において、卓越した先端技術の流出を阻止するため、大学の外国人留学生受け入れ審査などを強化すると言う。しかし、状況は米国などと異なる。日本の産業技術の安全保障のほころびは、もっぱら企業技術者の海外流出や事業提携の不備、企業買収の失策によると言う。当局の科学技術インテリジェンス能力の欠落による無形技術の輸出管理の問題ではないか。誠実な国際的な「学術共同活動」の制限をもってその不具合を回避すると言うなら効果はないし、お門違いである。

過度な行政的規制が、本来開かれるべき学術研究界をこれ以上萎縮させてはならない。もちろん、大学人にはあるべき透明性、説明責任、誠実性、互恵性などについて一層の自覚が求められる。学問的な倫理観の堅持に加えて、いかなる動機であれ不公正な知財、技術の移転が著しく国益を損なうことを銘記すべきである。米国は中国の動きに特化して過敏に反応するが、日本はただそれに準ずるのではなく、より多様なリスクを回避すべく欧州各国をも含めた国際的な技術管理動向を注視しつつ対応していくべきであろう。すでに中国には約8千人の日本人研究者(短期も含めば1万8千人)がさまざまな動機で在留している。

わが国は早急に不十分な研究開発能力を補わねばならない。このオープン化の時代に排外的な「専守防衛」に偏るのではなく、むしろ世界の最高の頭脳と最先端技術を積極的に取り入れて「最も魅力ある」研究環境をつくることが肝要であろう。その上で合理的、自律的に管理されたさらに高度な国際共同作業を実践すべきである。日本の研究社会は孤立を避け、信頼を寄せる諸外国との共創的協業を通して、国内のみならず世界にとって有意義な存在であり続けてほしい。閉塞感漂うこの現状では、逆に有能な日本の若手研究者の海外大量流出、科学技術界の空洞化は避けられまい。なぜこの当然の理屈が共有されていないのだろうか。