2020年9月9日

(42)米中の覇権争いの中、科学技術振興のあり方を考える(前編)

二つの覇権主義国家、米中の近年の争いは軍事、経済を中心とする地政学的なものである。世界がおののく感染症の蔓延のみならず、気候変動に端を発するさまざまな迫り来る地球規模の危機の回避、また懸案のSDGsの達成に向けて、科学技術界には国際的な連帯が求められる中で、両超大国の力づくかつ理不尽な振る舞いは逆に分断さえ招きかねず、甚だ残念である。

わが国の科学技術生産力の世界シェアは今後5~7%程度であろうが、もはや量の多寡を競うことには意味がない。わが国の科学界は多国間協調の流れの中で、いかに自国の存立と人類社会の持続に貢献しうるだろうか。科学技術の競争と協力は公正な仕組みのもとで建設的に行われるべきであり、日本も世界の政治的対立の現実を直視しつつも、決して不具合を是認することなく、冷静かつ長期的視点に立ってあるべき方向に進まなければならない。

米国に迫る中国の躍進

400年にわたり近代科学の発展を先導してきた西洋の科学先進国と異なり、現在の中国では科学は国威高揚、富国強兵、さらに国家治安維持のためにあると考えるのであろう。国家が統制的指導権をもって推進し、研究投資の伸び率もGDP成長率(COVID-19以前の平均年率は6%)を上回ると規定されている。2018年の研究開発費は約5,000億ドルに達し、米国の5,400億ドルに匹敵する。しかも過去10年間の伸び率は240%増で、米国の28%増を圧倒する。また研究者数は170万人で、米国の140万人をしのぐ。

中国の科学論文数の世界シェアは、20世紀終盤には2.4%(9位)で存在感が乏しかったものの、2016~18年には19.9%となり、米国の18.3%を抜いてついに首位に躍り出た。この間、過当競争環境の中で研究者への「評価圧力」が、粗悪論文の大量生産をはじめ研究倫理の退廃をもたらしてきたとされるが、今や被引用数Top 10%とTop 1%論文についても、米国のそれぞれ24.7%、29.3%についで、22.0%、21.9%と2位を占めている。またデジタル化時代に重要視される数学分野については2018年に世界シェア25%と、減衰傾向にある米国の17%に大差をつけている。

米国調査会社クラリベイト・アナリティクス社は2008~18年の論文被引用数Top 1%の研究者6,216人を抽出したが、依然米国人が2,737人(44%)と圧倒的であるが、中国も636人(10.2%)と健闘する。なお日本からはわずか98人(1.6%)である。

米中両国の科学技術人材

近年の米中関係を20世紀の東西冷戦にたとえる人は多いが、当時とは様相が全く異なる。かつてのソビエト連邦は西側陣営から隔絶していた。研究社会の交流も全く乏しく、1970年代初頭まで、我々も鉄のカーテンの中の出来事を知る由もなかった。しかし、このグローバル化時代の科学技術研究開発には、情報集積と頭脳循環が最重要な要素であり、米中は政治体制の相克を超えて、互いに強い依存関係にある。著名な国際学会には両国からの代表的研究者たちもこぞって参加し、最新の科学や先端技術の成果を発表、討論して互いに能力を認め合う。

20世紀前半から続く米国の科学技術の優位性は、圧倒的な研究投資額と多くの外国生まれの研究者の活躍によるところが大きい。例えばノーベル賞受賞者の30%はこの新天地への移民であり、現在も世界から集まる多様な有能人材が科学技術界を先導する底力の源であることに変わりはない。

他方、中国の今日の発展の主要因もまた文化革命後の政府の開放政策の徹底にある。主要大学学長や中国科学院の研究所長など指導者層は、米国のみならず欧州や日本で博士号を取得し、国際社会を学んできた。科学界も政府の統制管理下にあるが、しばしば非共産党員で外国経験を持つ有力者を閣僚に登用して世界標準の研究教育体制を維持し、また太い人脈を通して国際関係を円滑にしてきたように見える。今後この状況は変化するであろうか。

ただし、両国の人材養成、特に高等教育における留学生政策は全く非対称的である。米国は圧倒的に輸入超で、国内に多国籍社会を実現している。受け入れと送り出しの比率は実に15.9倍で、一方、中国は極端に輸出超で同比率は0.2である。現在世界が擁する380万人の留学生の中、中国人学生が実に80万人を占める。また米国が2017年までに外国から受け入れた80万人の高学位取得目的大学院生、博士研究員のうち中国からが27万人を占める。今日でも、年間の博士号取得者は5,600名(日本人はわずか120名)に達する。現在、米国の理工系博士号取得者4万人の34%、とくに工学、数学、コンピューター科学では半数以上が外国ビザ所持者であり、彼らの約7割がそのまま国内に止まり科学技術力を支えている。もちろん中国人がインド人、韓国人とともにその中核となる。

米中科学界の強い相互依存関係

2015~17年における中国発の国際共著論文は34.5万本に上るが、その相手は米国が最も多く47%を占める。逆に米国からの国際共著論文の24%が中国を相手国としている。また2018年には米中の共同研究事業は1万件を超えるという。近年、世界的に生物医療関係分野において30名以上の著者、20以上の機関の協力による論文発表が急増する中で、特に米国NIH(国立衛生研究所)と中国の企業BGI、また米国の有力7大学と中国科学院は密接な協力関係にあり、高質な研究成果を生み出している。つまり、米中両国は厳しい通商紛争の中にあっても、多様な技術集約型の連携研究が進む科学界にあっては極めて強い協力関係を保っていると言える。その影響は広く世界におよぶ。

国境を越えた科学精神の尊重

科学の営みは森羅万象を客観的に理解するとともに、今や人類の福祉に資するためにあり、国境を超えて共通の知的資産形成を目指す。覇権主義国家の政治的思惑がこの基本精神を損なってはならず、いかなる国の科学発展をも祝福すべきである。個々には先陣争いなど競争はあろうが、偏狭な排外的ナショナリズムに基づく敵対心は科学精神にもとる。

個々の研究成果の正当性は、国際的に開かれた科学誌における論文公表によって保障される。またスウェーデンのノーベル財団のみならず、多くの国の科学界がそれぞれの価値観に基づきつつ、国籍を問わず顕著な成果をあげた研究者に対して敬意をもって国際賞を授与し、また名誉ある称号を贈って感謝を表してきた。わが国も敗戦後の困難から戦勝国の協力を経て立ち上がり、ついには欧米に並び、アジア地域の科学技術の先導国としての役割を果たしてきたではないか。今後とも矜持を保ち世界各国と手を携えて高質の研究を続けて、国際的に信頼される地位を維持することが肝要である。