2020年7月21日

(41)COVID-19危機はわが国の科学力再生の機会になるか

わが国の科学力は21世紀初頭を最盛期として、その後の退潮傾向はとどまるところを知らない。決して日本人の知力が劣るわけがない。第二次世界大戦敗戦後、わが国を奇跡の経済復興に導いた社会体制への過信による。このたびの厳しいCOVID-19危機をわが国の科学力再生の、唯一無二の機会と位置付けてほしい。世界環境に対応できない閉鎖的で老朽化著しい教育研究体制を刷新しなければならない。

価値観の転換

米中の厳しい地政学的な争いからも明らかなように、科学技術は今後とも富国強兵、殖産興業政策の鍵であり続ける。しかし科学の営みの本質は、優勝劣敗を競う軍事、産業経済とは異なる。コロナ危機に遭遇して、両国が共通に旨とする「力は正義」の覇権主義に対して、世界の科学界が共感を持ち続けるわけがない。

近年、科学界の価値観は社会課題解決に向け著しく変化しつつある。すでに気候変動がもたらす人類存続に対する脅威の軽減、さらに2015年の国連決議によるSDGsの達成は人類文明にとって最大の課題と認識されている。今回の、そして将来にも必ず訪れる感染症蔓延への恐れが、この動きを不可逆に加速する。世界の流れは人権主義、多国間協調主義であり、わが国の科学界もこの人類共通問題の克服にいかに積極的に参画するかを考えたい。もとより科学だけでは解決できないが、科学知識、技術は不可欠であり長期的視点に立って着実に自らの使命を果たさなければならない。

わが国は科学技術政策を変更するのか

今回のコロナ危機を広く経済構造、生活様式を含めて守旧の打破、新たな日本社会の建設の機会と捉えるべきである。当然、科学技術イノベーション政策にも包括的な再考が求められよう。目指すべき社会とされているSociety 5.0の具体像に変更はないか。あるいはやがて毎年数千万人の死を招くともいう薬剤耐性感染症対策を含む、疫病制圧が最優先課題に浮上するかもしれない。現在の政策の基調は情報通信技術、人工知能、デジタル技術の開発、活用であり、社会の「利便性、効率性向上」「経済成長」を目指すが、これからは「生命、生活基盤の強靭化」へと移行するのではないか。リスク管理を含め科学的根拠をもって方向を定めてほしい。

できれば自立国家として非常時における「生命線確保」ついても再考願いたい。COVID-19対応で象徴的に「マスク不足」で弱点が露呈したが、国民の命を支える第一次、第二次産業の基礎体力は十分だろうか。多くの医療、生活基幹的物資について、原料から最終製品に至るまで供給が著しく外国に依存する。貿易立国として全てを自給自足する必要はないが、供給網の安定確保さえも覚束ない。今後、卓越した最先端技術の開発、導入により自立した生活基幹産業を興して、国民の不安を取り除くことは国の役目ではないか。

世界に通じる制度をつくる

「コロナ後」時代を迎えて、従来にも増して世界水準の活動が求められる。研究資源として十分な人、金、モノ、情報が不可欠であるが、わが国はその確保と最大活用のためにも、旧来の硬直化した体制を刷新して機能的な「世界標準」制度に転じる必要がある。新たな社会的、科学的価値観に沿って、大学、公的機関、企業の社会的役割、連携のあり方を定めるべきであろう。今後、国家間の緊密かつ迅速な情報発信、受信、交換はますます重要性を増すが、魅力ある科学論文誌の発行は長年の懸案である。

科学技術は世界に通じる。日本が世界の主要科学国として存続するためには、自らが十分な実績を上げるととともに、世界連帯のための「かけがえのない」存在としての信頼を維持する必要がある。過度に自前主義に陥ることなく国際的な連帯感を醸成して、たくましく、しなやかに生きていきたい。ともすれば欧米有力国が定める科学技術政策に賛同し、アジア地域からの「客員」として参加、実行しがちであるが、当初から「中核正会員」としてその策定に積極参画することが不可欠である。その努力は間違いなく、迅速に教育、研究現場に反映するであろう。

研究社会の規範の再構築

個々の研究者たちの価値観は多様であるが、他方、それぞれの所属機関に対しては一定の社会的使命、活動目的が与えられている。わが国の大学においては「学問の自由」が保障されるが(日本国憲法第23条)、同時に国民の自由の保障は、学問に限らず公共の福祉への利用の責任とともにある(同第12条)。あまりに恣意的な営みであってはならない。

大学人にとって最大の満足感は、細分化された専門分野における論文発表ではなく、他との協調を通した成果の展開、さらに人類社会への貢献への努力によって得られるのではないか。「コロナ後」の新たな社会が求める科学の潮流にも鑑みて、自己中心的な競争志向、短期的成果主義が過ぎる研究社会の倫理的歪みを是正してほしい。もちろん研究者の規範を支配する論文数値指標、研究資金獲得額偏重の評価制度の改革は不可避である。

研究開発投資の拡大

わが国における近年の研究開発投資の貧困は、国力の衰退の主原因の一つとして各方面から度々警告されてきた。過去20年の国の投資額の伸び率は僅か1.2倍にとどまり、中国の19.7倍、韓国の5.7倍はおろか、先進の米独仏英の1.6−2.0倍にも大きく劣後する。わが国の科学力の相対的地位低下は自らが積み重ねた失態の結果であり、国はまず十分な投資(総額、伸び率)を保障すべきである。その上で、「新常態」社会にあるべき研究活動に応じて、配分の質を向上すべきである。しかし、経営基盤を全て国家に依存することには無理がある。大学、公的研究機関も自らの使命と存在意義を明示して国内外に賛同を得る、そして資金源を多様化する必要がある。

大学制度の改革

大学は社会のためにある。社会が認めなければ大学は立ち行かない。大学は時代とともにある。時代にそぐわない大学は淘汰される。現行の日本の大学は世界的に「異形」の制度、旧来の慣習に縛られて運営され、21世紀のグローバル環境に全く対応できていない。しかし「コロナ危機」で旧態打破の千載一遇の機会が訪れた。新しいパラダイムに沿って教育研究体制を刷新するとともに、あるべき社会基盤の形成を担う若者を育成・確保し、また人類持続の中核となる基礎科学の振興に意を尽くしてほしい。

大規模な大学、研究所だけが栄えるのではない。規模の小さいカリフォルニア工科大学、ロックフェラー大学、スイス連邦工科大学ローザンヌ校、イスラエルのワイツマン科学研究所は輝ける存在である。いずれも理念を明確にした上で、自らの力量を正しく認識しながら、特徴ある研究教育をする。日本でも沖縄科学技術大学院大学はこの時代にふさわしい真っ当な理念を掲げる。情報の発信、受信を含めて運営を支える事務組織も世界水準を満たしている。既存の有力大学や研究機関はなぜ学ぼうとしないのだろうか。

特色ある大学をつくるために「大学の自治」は引き続き尊重すべきである。ただし、経営責任者である理事長と、学務に全責任を負う学長の権限分離が必要である。日本を代表する大学を率いる学長には、新時代をリードする世界観が求められ、まず十分な、願わくば指導者としての海外経験と広い人脈がほしい。アジアの有名大学にならって、外国籍の知日派指導者も招聘したいが、果たしてこの困難な役割の引き受け手がいるであろうか。

研究は人がする。世界は人材争奪戦の最中にあり、国際的に魅力ある環境を整えて、国の内外の特色ある最高頭脳を獲得する。研究志向の大学院大学ではすべての教員につき国際評価を取り入れて採用し、独立自由の裁量権を与えることが肝要である。大学は彼らの能力を最大限発揮できるよう、研究教育環境を整備する。

大学組織の活力維持には、世代交代による新陳代謝、頭脳循環による多様性の確保が不可欠である。若手教員についてのテニュア・トラック制度の徹底は、流動を加速する。各大学の理念と目標を明確にし、適正な処遇と公正な教員評価をすれば、自ずと外国籍、女性教員は3分の1程度にはなる。

日本の若者は他国に引けを取らない能力を持つ。彼らの最大限の成長と活躍を願うが、現在の制度はそれを妨げている。すべての主要国と同様に、研究の中核である大学院生に奨学金を給付するとともに、十分な経済的生活支援をする。創造性は多様な人が「組織(team)」をつくり、互いに触発、協力する中で生まれる。均質な日本人だけの「群れ(group)」には、創発的成果は期待しづらい。できるだけ異質の外国籍学生たちに魅力ある環境を提供したい。

いかにして明日の人材を育成するか。日本の大学教授たちは専門分野の「日本人後継者」の養成に専心してきた。世界にこのような科学国はない。「コロナ後」の科学界における課題解決には、むしろ広範な科学知識の統合が不可欠である。分野連携、融合を阻む学科、学部、研究科などの「学境」の固定化を排すべきである。さらに大学だけが科学を役立てる場ではない。博士号は外へ飛び立つための「パスポート」である。「囲い込み」を排して、彼らの意思で柔軟にキャリアパスを築けるよう配慮すべきである。志ある若者の成長、能力の最大化を目指して、国内に限らず海外でも、またアカデミア以外で活躍できるよう、学外組織とも協力して有効な教育研究プログラムを用意してほしい。

科学技術における国際協調の展開

わが国は世界に共感の輪を広げることなく、新時代に信頼される主権国家ではありえない。日本科学界は地政学的、経済的覇権の争奪のためではなく、「人類への脅威の克服」のために具体的な貢献をなすべきである。自らが持つ教育研究力を最大化するためには全世界との連帯の醸成が不可欠で、従前の欧米先進国への追従で終わってはならない。とくにアジア太平洋地域との連帯を強化すべきである。具体的には、例えば、1987年中曽根首相の主唱で創設された国際協力によるヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラムを参考に、この思想の展開を全分野へ拡大すれば、わが国の存在感は格段に向上するはずである。

アジア人の知的能力が欧米人に劣るわけがなく、むしろ異文化を背景とする特異な感性を持つはずである。民族を問わず最高水準の人材は世界のどこでも通用する。歴史を振り返れば、かつて日本も第二次大戦敗戦後の苛酷な環境にあったが、当時の政府、国民の意思が若者を鼓舞して科学力を再生、米欧とともに世界三極の一翼を担うまでに水準を高めたではないか。中国も文化革命後の困難の克服が今日の地位を築いた。韓国も朝鮮戦争の後の焼け野原から、海外と連携しながら科学技術先進国の仲間入りをしたことを、ぜひ思い出してほしい。連帯を損なう複雑な地政学的問題は、政治が長期的な洞察と戦略性をもって解決すべきである。

特設ページ「COVID-19と研究開発のゆくえ」