(39)プラスチックによる海洋汚染問題
採掘した石油の大部分は燃料として消費されるが、約3%が化学製品に変換される。中でも衣食住に直接的恩恵を与えるプラスチック(自由に形を変えうる人工合成樹脂)は、20世紀最大の化学的発明と言える。安価な素原料に一挙に高価値を与えるもので、高分子の概念を確立したシュタウディンガー(1953年ノーベル化学賞受賞)をはじめ、ナイロンを発明したカロザース、ポリエチレン・ポリプロピレンの革新的製造法を開発したチーグラーやナッタ(1963年同賞受賞)らは歴史に英雄としての名を刻む。わが国が得意とする分野で、白川英樹博士の導電性高分子の発明業績には2000年のノーベル化学賞が授与された。
生活圏を支えるプラスチック
現代の生活圏はプラスチックで構成されていると言っても過言でない。安定、軽量かつさまざまな個性を持つ素材であり、石材、木材、陶磁器、セメント、ガラス、金属、天然ゴム、紙、繊維などとともに社会の物質基盤をつくっている。近代都市、陸海空の交通、水の供給、医療、情報システムもプラスチックなくして成り立たない。筆者が子供の頃、家庭には天然セルロース由来のセルロイド、石炭由来のベークライトの他に樹脂製品はなかったが、いまや台所、洗面所にはプラスチック製品があふれている。この都市社会の多くの施設、病院や研究現場も昔とは大きく様変わりしている。
プラスチック製品の行方
この極めて有用な素材の使い道、規模、特に最終の行き場についての懸念が高まっている。1950年代以来、累計83億トンが生産され、25億トンは継続使用されているが58億トンは廃棄されている。このうち約50億トンは埋め立てないし環境漏出され、リサイクルされたものは5〜6億トン、焼却されたものは約8億トンという。今や年間生産量は4億トン(日本では1,100万トン)に達し、年3億トンのゴミが発生する。さらにアジアの河川を中心に、480〜1,270万トンが海洋へ流出して深刻な汚染をもたらしているとする推計がある。このままでは、2050年には魚の全重量を超えるとさえ言われている。
上記の海洋への流出に関するデータは米国の大学、研究所の共同研究による2015年2月の「サイエンス」誌掲載論文が伝える推計値(計測結果ではない)で、沿岸から50km以内に100人以上の定住人口を有する192カ国を排出源として報告対象にしている。中国が最大国(年間132〜353万トン)で、上位20カ国の半数以上をアジア諸国が占め、日本は30位(2〜6万トン)とされている。今後、国際的枠組みにより実態をより正確に把握すべきであるが、深刻な事態であることに変わりはない。
廃プラスチックの排出源
自動車、航空機などの構造体や建材、家具などの耐久材は、専門業者により比較的適切に回収、処分されている。一方で、映像報道において、投棄された容器類の海岸への集積、海洋特有の漁網や釣り道具の散乱、プラスチックを摂取したクジラの死体打ち上げなどが象徴的に取りあげられる。しかし、最大の問題は思慮を欠く市民による膨大な生活用品の使い捨て(single use)であり、例えばナイフ、フォーク、スプーン、皿やコップ、ストローなどの食器類、ペットボトル、スーパーなどで配布される食品容器・包装材・買い物袋、菓子袋や包み、衛生用品などが含まれる。未来世代は我々の愚かな振る舞いをどう振り返るであろうか。
マイクロプラスチックの影響
報道が過熱する中で、沿岸の景観劣化とともに懸念の主な対象となるのは、微小プラスチックである。海上に滞留する廃棄物は、海に流れ酸素や紫外線や波の力により5mmから0.1µmのマイクロプラスチックへと細片化されるが、さらに衣料の洗濯などで出るマイクロファイバーも含まれる。タバコのフィルターも極めて大きな汚染源として糾弾されている。また、これだけ多くの自動車が走れば、タイヤが道路で磨耗して大量の微小破片が生じて河川へ流れることは当然である。
これらの微小破片とそこに含まれる添加物がもたらす海洋生態系、さらに食物連鎖による人体に対する潜在的影響が関心事であるが、実はその科学的知見は未だ極めて乏しい。本課題にかかわる論文は年間700編程度(2018年)に及ぶが、細片の正確な行方は依然判然とせず、さらに海洋生物や人体への影響は全く不明と言っていい。もともと日常生活用品由来とはいえ、科学的に不確実な場合に予防的に対策を取る、いわゆる予防原則の観点は十分に尊重されるべきであり、その上でさらに信頼性あるリスク評価が求められる。
化学界はどう考えているだろうか
米国の国立アカデミーなどに比べ、わが国学界の議論はいまだ低調である。ぜひ中立的な意見を戦略的に政策に反映させ、盲目的な規制導入で不公平に国益の損失を被ることを避けなければならない。
プラスチックは現代文明の根幹であるため、実態の科学的検証に加え、技術可能性、経済性を踏まえたリスクと利便性の評価を行った上で、冷静かつ合理的、抜本的に対処の方向性を定めなければならない。さまざまな既存素材について、それぞれにその生産にかかわる原料資源量、入手経路、環境負荷、エネルギー効率について総合的かつ慎重な評価が必要で、結論として現存の高機能プラスチックの全面代替はほとんど不可能と考えられる。
さらに、科学的見地に立ち、社会的要請のすべてに対応できる万能のプラスチックはあり得ない。化学的構造と高度な性質、機能の関係が多岐にわたるため、さまざまな素原料を用いて6万種を超える高分子がつくられているのはそのためである。
ペットボトル(海に沈み、分解に450年を要する)などは適切に回収して再生し、複合材料樹脂をはじめその他の再生困難なものは燃焼し石油と同量のエネルギー源とするべきだろう。現時点では廃棄物管理と燃焼を含め3R(使用量削減、リサイクル、業種を超えた再利用)の徹底が求められるが、それでも全ライフサイクル管理の観点からは根本的解決には至らない。
あらゆる分野の叡智(えいち)を集め、一時しのぎでない「持続可能な生産と消費の実現」に向けた循環型経済活動への転換を図らねばならない。願わくはここに投入される莫大(ばくだい)な資金は単に災害評価や軽減努力の「経費」としてではなく、石油資源の低減、バイオマスはもとより資源の水や無限の土砂成分への本格的転換をはじめ、目指すべき循環型社会の実現に向けた高度な技術革新への「投資」であってほしい。
行政は総合的な合理性をもつ対応を
日本政府は「バイオ戦略2019」を定め、バイオプラスチックへの移行を推進することになる。バイオマスを資源とし、さらに究極的に自然界で二酸化炭素に分解する物質へ向かうことは合理的だが、それのみで決定打とはなり得ない。政策の実現性は科学的に総合判断しなければならない。また、実用上、物性の維持と分解性を両立させることは難しく、生分解性と認定されるプラスチックはある種のフィルムや樹脂として利用されるものの、使途は限定的である。現在の生産量も海洋流出総量のせいぜい3%にすぎない。実際の分解には摂氏50度、長時間を要し、深海では分解が困難ゆえ、残念ながら環境リスクの軽減効果はまったく不十分とも言われる。
メディアはしばしば不用意に、社会に聞こえのいい幻想を与えるが、消費者の安易な投棄を助長してはならない。食品・飲料業界ではイメージ戦略もあり、いち早く脱プラスチックを喧伝(けんでん)する。その方向自体は大変結構であるが、使い捨てストローは海洋プラスチックごみの1%未満にすぎない。さらに、バイオマスである木材由来の紙袋使用への過信もまた禁物である。1.5億トンの非繊維プラスチックの42%を占めるポリエチレン製買い物袋(海に沈まず、分解年数20年)を紙袋にすれば、ゴミの量は重量や体積で6〜7倍に増大するという。さらに製紙産業が及ぼす環境負荷が非常に大きいことも忘れてはならない。
世界の政策の動向
いったい、安定かつ毒性に乏しい「すぐれもの」はどこへ行くのか。注意を海洋だけに限定してはならず、「管理下にある」とされる陸上環境は大丈夫だろうか。欧州の動きは速く、この環境汚染問題の解決は次期科学技術・イノベーション政策の柱たるプログラムHorizon Europeの中心課題でもある。使い捨ての食品容器や、洗い流せるマイクロビーズ入りの化粧品などは使用禁止の方向にある。
なお、日本は米国とともに、2018年のカナダ・シャルルボワのG7サミットにおける「プラスチック憲章」の署名を、より広い枠組みが必要として見送っている。実際に廃プラスチックの発生量、回収、再利用、最終処理などを地球規模で整合的に管理する必要がある。今年6月のG20大阪サミットは「2050年までに海洋流出をゼロにする」と宣言したが、わが国は自らの国際的信頼性の堅持のためにも、拡大阻止の国際的取り組みを主導することを期待している。
環境問題の責任はすべての人が負う
科学知識を総動員する産業界の技術的な努力は、現代人の生活様式の転換と消費者の倫理観の再生があって初めて報われる。まずは社会システムや現代人の生活様式、行動原理の是正が求められる。もとより環境改善には莫大な費用を必要とするが、「発生源を断つ」としてプラスチック生産者を感情的に断罪することは意味をなさない。
社会に化学技術への共感を求めたい。プラスチック製品は使うためのもので、捨てるためにつくるのではない。人体に対する安全性が高いため、消費者はその化学的性質はおろか、その行方について気にする必要すらない。飲料ボトルと衣服が同じPET原料からつくられることも習わない。主たる製品それぞれに、より分かりやすく処理法を明示すべきである。全世界で「つくる責任、使う責任」を徹底した上で、いったい2030年の現実社会をどうしたいのか。その先については、次代を担う幼子たちのために広く社会において相談しなければならない。
いったいこの文明倫理問題について、誰が責任を負うのか。石油採掘にはじまり、石油化学産業、素材製造産業、成型加工業、あまたある商品製造、流通・販売業者にわたる全行程、そして何よりも消費者にそれぞれ応分の責任負担が求められる。代替不可能な素材や製品の生産を担う事業者に一方的に、自社製品回収、費用負担を課す拡大生産者責任(EPR)は果たして適当だろうか。製品連鎖の中でまずは具体的に「生産品」と「生産者」の定義を明確にすべきである。