2026年10月23日

第358回「ノーベル化学賞 常識破りの不斉増幅示す」

2026年のノーベル化学賞は、仏パリ・サクレー大学のアンリ・カガン名誉教授と東京理科大学の硤合憲三栄誉教授に授与されることが決まった。立体構造が鏡像の関係にある2種類の分子のうち、一方を選択的により多く作り出す革新的な化学反応を発見した功績に対するものだ。

選択的に生成

分子の中には、右手と左手のように鏡像の関係にあり、互いに重ね合わせることができない立体構造を持つものがある。これをキラル分子という。通常の化学反応では右手型と左手型のキラル分子が同量ずつ作られる一方、生体を構成するたんぱく質や糖には片方のキラル分子しか存在しない。それぞれのキラル分子は異なる機能を示し、生体に対して一方は薬効を、他方は毒性を持つこともある。そのため、目的とする一方のキラル分子を選択的に生成する「不斉合成」が極めて重要となる。

一般に不斉合成では、右手型あるいは左手型の一方の構造を備えたキラル触媒を用いる。キラル触媒の純度が高いほど生成物の純度も高い、というのが従来の常識であった。カガン氏はこの前提に疑問を抱き、触媒の設計や反応メカニズムを再考した。その結果、複数の補助的なキラル分子が触媒反応に関わる際、生成されるキラル分子の比率の偏りが著しく増幅する「不斉増幅」を見いだした。

硤合氏はこれをさらに発展させ、キラル触媒が自らと類似したキラル分子を生成することに着目した。生成された分子自身が新たな触媒として機能し、比率の偏りを加速的に増幅していく反応を探究したのである。そして「硤合反応」と称される反応系を確立し、03年には、2種類のキラル分子がほぼ半々の状態から、驚異的な純度で一方だけを生成する反応を実証した。

両氏の発見は、不斉合成の設計において重要な指針を提示すると同時に、生命が一方のキラル分子だけを持つ起源の理解にも貢献すると評されている。

新しい問い
こうした両氏の研究功績からは、従来の考えや既存の潮流にとらわれず、独自の視点で新しい研究の問いを設定したことが、大きなブレークスルーや波及効果につながったと分かる。近年ではAI(人工知能)の急速な発展により、既定の問いへの答えはかつてなく効率的に得られるようになりつつある。今回のノーベル化学賞は、研究者が独創的な問いを立てることの意義と、その問いに挑める研究環境を整える重要性を、あらためて示唆するものである。

※本記事は 日刊工業新聞2026年10月23日号に掲載されたものです。

<執筆者>
高村 彩里 CRDSフェロー(ナノテクノロジー・材料ユニット)

東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理化学研究所で基礎科学特別研究員として勤務後、22年から現職。ナノテクノロジー・材料やバイオ・医療に渡る研究領域の調査と戦略立案を担当。博士(理学)。

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