第356回「ノーベル生理学・医学賞 好奇心から画期的技術」
光で神経を操作
2026年のノーベル生理学・医学賞は、光を用いて神経細胞などの働きを正確に操作する技術「オプトジェネティクス(光遺伝学)」の開発に貢献した、米スタンフォード大学のカール・ダイセロス氏、独ベルリン・フンボルト大学のペーター・ヘーゲマン氏、独ヴュルツブルク大学のゲオルク・ナーゲル氏の3人に授与されることが決まった。
脳は、ヒトをはじめとした動物における最も複雑な機能を担う臓器である。20世紀後半、脳の高次機能(言語、感情、思考など)や、神経系を介して脳が各臓器・組織の働きを制御するメカニズムの解明を目指した研究が精力的に進められた。しかし、当時の技術的限界もあり、それらの全容解明には程遠い状況が続いていた。
転機となったのは、一見すると脳とは無関係な基礎研究だった。ヘーゲマン氏は1990年代初頭、単細胞緑藻のクラミドモナスが光に反応して泳ぐ現象に着目し、細胞表面で光を感じてイオンを通すたんぱく質「チャネルロドプシン」の発見に至った。この過程では、日本人研究者のクラミドモナスに関する論文も参考にされた。その後、ダイセロス氏らがこのたんぱく質を哺乳類の神経細胞に導入し、青色光の照射によって狙い通りに神経活動を操ることに成功した。この発見が体系化されてオプトジェネティクスとして確立し、世界中の脳神経科学に劇的なブレイクスルーをもたらし続けている。
進む医療応用
現在、医療応用も進んでいる。例えば、網膜にある光を感じる細胞の消失により視覚を失った人に対し、生き残っている神経細胞にチャネルロドプシンなどの光応答性たんぱく質を発現させることで、視覚機能の一部を取り戻す遺伝子治療の実用化が期待されている。米国での臨床試験が先行する一方、国内でも独自のアプローチによる開発が進む。今後の展開に注目したい。
受賞は、歴史的な転換点ともなる画期的な技術がどのように生まれるか、という観点で示唆に富む。ある種の微生物に固有の生命現象に対して知的好奇心を持ち、分野をまたいだ基礎研究で大発見につながり、幅広い基礎研究の加速のみならず医療応用も視野に入る技術として確立した。ここに至るまで、20-30年の年月を要した。わが国において、既存技術の改良による短期的な成果創出だけでなく、ノーベル賞級の技術の登場につながり得る中長期的観点からの幅広い基礎研究も重要である。

※本記事は 日刊工業新聞2026年10月9日号に掲載されたものです。
<執筆者>
辻󠄀 真博 CRDSフェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)
東京大学農学部卒。ライフサイエンスおよびメディカル関連の基礎研究(生命科学、生命工学、疾患科学)、医療技術開発(医薬品、再生医療・細胞医療・遺伝子治療、モダリティー全般)、医療データ、研究環境整備などのテーマを対象に調査・提言を実施。
<日刊工業新聞 電子版>
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