第214回「ノーベル生理学・医学賞 新たな予防の概念へ」
重要な発見
2023年のノーベル生理学・医学賞は、新型コロナウイルスに対するメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンを開発する上で重要な発見をした、カタリン・カリコ氏とドリュー・ワイスマン氏に授与されることが決まった。
mRNAワクチンの原型ともいえる最初の発見は、30年以上前にさかのぼる。たんぱく質の設計図であるmRNAをマウスに注射すると、マウスの体内で目的のたんぱく質が大量に生産された。疾患の治療や予防に有用なたんぱく質を、体内で大量生産させる新たな治療・予防コンセプトとして注目を集めた。しかし、mRNAを注射すると激しい炎症反応が起こるため、実現は困難と考えられていた。
05年、カリコ氏とワイスマン氏は、mRNAを構成する塩基である「ウリジン」を、異性体の「シュードウリジン」へと置換することで、炎症反応の大幅な抑制に成功した。mRNAが持つ最大の弱点を克服する報告であり、その後、mRNAを医療技術として開発しようとする動きが海外で活性化した。
10年代、エボラ出血熱やインフルエンザなどでmRNAワクチンの臨床開発が進み、改良が重ねられた。20年、新型コロナパンデミックが発生するや否や、mRNAワクチンの臨床試験が急ピッチで進み、有効性の高いワクチンの迅速な開発に成功し、世界の多くの人々が接種するに至った。
対策の中核
10年後、20年後に、新型コロナウイルス感染症のような世界的なパンデミックが再び起こる可能性がある。次のパンデミックに備え、意思決定体制、医療提供体制、研究開発体制、法制度など整備すべきことは多岐にわたる。中でも、mRNAワクチンはパンデミック対策の中核をなす要素の一つだろう。医療や経済の安全保障の観点からも、わが国がmRNAワクチン技術を保有する意味は大きい。
今後、mRNAは感染症の予防ワクチンとしての用途のみならず、より幅広い疾患への展開が期待される。現在、がん、遺伝性疾患、生活習慣病などに対する新たな医療技術として、研究開発が国内外で急速に進んでいる。
mRNAの臨床応用に向けた基本的なアイデアが登場し、20年近い地道な基礎研究を経て、今般の新型コロナパンデミックにおける成功に至った。真に革新的な治療・予防法の実現には、長い時間を要することを忘れてはならない。実用化に近いシーズへの戦略的投資は重要であるが、地道な基礎研究への長期的観点からの投資も今後さらに重要性を増すだろう。
※本記事は 日刊工業新聞2023年10月13日号に掲載されたものです。
<執筆者>
辻󠄀 真博 CRDSフェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)
東京大学農学部卒。ライフサイエンスおよびメディカル関連の基礎研究(生命科学、生命工学、疾患科学)、医療技術開発(医薬品、再生医療・細胞医療・遺伝子治療、モダリティー全般)、医療データ、研究環境整備などさまざまなテーマを対象に調査・提言を実施。
<日刊工業新聞 電子版>
科学技術の潮流(214)ノーベル生理学・医学賞、新たな予防の概念へ(外部リンク)