第169回「人類の進化というロマン」
「進化」が初受賞
2022年のノーベル生理学・医学賞は、旧人類から現生人類(ホモ・サピエンス)に至る、進化の過程を解き明かしたスバンテ・ペーボ氏に授与された。1901年の創設以来、同賞は、生命現象の理解に新展開をもたらした研究、革新的な診断・治療コンセプトの基礎となった研究に授与されてきた。
10年代には、山中伸弥氏のiPS細胞(人工多能性幹細胞)研究、大隅良典氏のオートファジー研究、本庶佑氏のがん免疫チェックポイント研究、大村智氏の寄生虫治療法(イベルメクチン)研究など、日本人研究者の受賞も相次ぐ。同賞の約120年間の歴史の中で、生物の進化に関する研究が対象となったのは今回が初だ。
従来、人類の進化の過程は、主に歯の形態をもとに推測されてきた。ペーボ氏は、そこに新たなアプローチを確立した。数万年―数十万年が経過した骨や歯の化石に残っているミトコンドリアDNA(および核DNA)に着目し、最先端のゲノム解析技術を駆使し研究を進めた。
現世人類の祖先が約6-7万年前にアフリカを出発した後、ユーラシア大陸の西側でネアンデルタール人と交雑し、ユーラシア大陸の東側でデニソワ人と交雑したことを発見した。現世人類のゲノムの1-4%はネアンデルタール人由来、1-6%はデニソワ人由来と推測された。
ペーボ氏の最新の研究では、新型コロナの重症化リスクに関連する遺伝子がネアンデルタール人由来であると見いだした。
今後、現世人類の健康や疾患に、絶滅した旧人類由来の遺伝子が関与していることが、次々と発見されるであろう。
“進化医学”へ
筆者は、20年後の医学研究・創薬の源泉の一つは、旧人類を対象とした“進化医学”とも呼ぶべき研究の先にあると考える。旧人類はどのような健康状態で、どのような疾患に罹患していたのか。現世人類は、絶滅した旧人類と交雑し、何を受け継いだのか。絶滅した旧人類の健康・疾患を理解することで、現世人類の健康・疾患の理解は飛躍的に深まるであろう。
現世人類は多様な文化・芸術・技術を有する、地球上では極めて特異な生物種だ。現生人類の現生人類たるゆえんはどこにあるのか。我々はどこから来たのか。数十万年におよぶ、壮大な人類進化の歴史を紐解く術をペーボ氏は確立した。昨今、「すぐに役に立つ研究かどうか」で短絡的に研究評価がなされることが多い中、ペーボ氏のようなロマン溢れる研究がノーベル賞という形で評価された点は意義深い。
※本記事は 日刊工業新聞2022年10月21日号に掲載されたものです。
<執筆者>
辻 真博 CRDSフェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)
東京大学農学部卒。ライフサイエンスおよびメディカル関連の基礎研究(生命科学、生命工学、疾患科学)、医療技術開発(医薬品、再生医療・細胞医療・遺伝子治療、モダリティー全般)、医療データ、研究環境整備などさまざまなテーマを対象に調査・提言を実施。
<日刊工業新聞 電子版>
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