2022年2月18日

第136回「多剤耐性菌感染症 ファージ治療 研究加速」

50年死者1000万人
新型コロナウイルス感染症のパンデミックが、人類の健康や社会・経済に大きな被害をもたらしている。これからもさまざまな感染症が出現すると考えられており、感染症対策は重要な課題だ。

中でも、抗生物質が効かない多剤耐性菌感染症による年間死者数が70万人(2015年)から1000万人(50年)に急増し、がんの820万人(50年)を上回るとの予測を英国政府が発表し、大きな注目を集めている。多剤耐性菌感染症による世界のGDP損失が3.2%(30年)、3.8%(50年)に達すると世界銀行グループの報告もみられ、対策は急務だ。

同感染症への対策として、抗生物質の適正使用、新規抗菌薬の開発が挙げられる。後者について、便移植治療(健常者のふん便や腸内細菌カクテルの移植治療)、ファージ治療などの新たな治療モダリティー(治療コンセプト)への期待感が高まっている。

1915年に細菌に感染するウイルスとしてファージが発見され、17年にファージによる溶菌作用が確認されたことを契機に、病原性細菌をファージで攻撃し治療を目指す、ファージ治療の研究開発が進んだ。しかし、28年にペニシリンが発見されると、西欧諸国では抗生物質による感染症治療が主流となり、東欧諸国においてファージ治療の研究および製品化が続けられた。80年代、抗生物質の新規開発が停滞した結果、同感染症の問題が認識され始めた。同感染症に対する新たな治療モダリティーとして、抗生物質とは作用機序が根本的に異なり、東欧諸国では抗菌薬として市販されているファージ治療が再び注目を集めた。

市場形成 期待
21世紀に入り、米国を中心にファージ治療の研究開発が活発に進められた。17年、ファージ治療によって、同感染症に起因する多臓器不全や昏睡状態の患者が目覚ましい回復を見せるという、衝撃的な症例が次々と報告された。同感染症への切り札として、ファージ治療への期待が高まり、国内外でファージ治療の研究開発や産学連携が加速している。

同感染症に限らず、ファージ治療は細菌感染症全般に対して有効な治療モダリティーである。さらに、ファージ治療によって生活習慣病を制御しうる可能性がマウスで示唆されている。ファージ治療は、感染症のみならず多様な疾患の治療選択肢となりうる新規モダリティーで、大きな市場を形成する可能性がある。しかし、国内外を見渡しても臨床開発がようやく始まった段階であり、雌雄は決していない。わが国が戦略的に研究開発を進めることで、世界をリードできる可能性がある。

※本記事は 日刊工業新聞2022年2月18日号に掲載されたものです。

<執筆者>
辻 真博 CRDSフェロー(ライフサイエンス・臨床医学ユニット)

東京大学農学部卒。ライフサイエンスおよびメディカル関連の基礎研究(生命科学、生命工学、疾患科学)、医療技術開発(医薬品、再生医療・細胞医療・遺伝子治療、モダリティー全般)、医療データ、研究環境整備などさまざまなテーマを対象に調査・提言を実施。

<日刊工業新聞 電子版>
科学技術の潮流(136)多剤耐性菌感染症、ファージ治療の研究加速(外部リンク)