2020年10月30日

第74回「ブラックホール 量子情報、研究に一役」

情報喪失問題
今年のノーベル物理学賞がブラックホール(BH)研究に貢献した3氏に決定した。BHに入ると二度と出てこられないと言われるが、実験できない。このようなとき物理学では「思考実験」で理論の矛盾を突き考察を進める。

例えば、BHに新聞を投げ込むとどうなるか?これも立派な思考実験だ。投じた物の分BHの質量も増えればエネルギー保存則は満たされる。一方、熱力学第二法則も満たすためにはBHはエントロピーや温度を持つ必要があり、何も出さないはずのBHが熱放射(ホーキング放射)することになる。この矛盾は、ホーキングが相対論に量子効果を部分的に取り入れ1974年に理論的な解決を見た。

新聞の「情報」はどうなるだろう?相対論はBHがホーキング放射で徐々にエネルギーを失いやがて蒸発、BH内部に保存された情報も失われると予言する。一方、量子力学では情報は失われないと考える。このように、現代物理学の2本柱である相対論と量子力学は、事あるごとに齟齬をきたし、今も多くの物理学者を悩ませている。

短時間で復元
2007年に新たな光が差した。量子情報の理論家ヘイデンとプレスキルは量子ビットをBHに投げ込む思考実験を行い、ホーキング放射の観測からBH内の情報が復元できると示した。情報は消えずに保存され、しかも短時間で復元できるのだ。BH誕生時からのログの量子メモリーへの保存などSF的仮定はあるが、原理的な無理はない。後に吉田とキタエフにより具体的方法が示され、実験家の興味も向けられた。

量子情報は今や物性や素粒子と並ぶ物理の1分野である(図)。対象は量子計算、量子通信にとどまらず物性や重力など他分野に波及し、新展開を生み出している。

物理学の悲願である相対論と量子力学の統合にも一役買いそうだ。BH情報喪失問題を巡ってプレスキルとホーキング、ソーン(17年ノーベル物理学賞)の間で賭けまで行われたが、軍配は情報は消えないとする量子力学側に傾きつつある。

量子力学を情報理論の一種とすれば、量子情報でこの世の機序を理解しようとするのは当然の流れだ。

10月に米国科学技術政策局は量子情報による宇宙の理解を「量子フロンティア」の一つに挙げた(同名の報告書)。笠・高柳公式など日本人の貢献も大きく、量子情報は産業応用だけでなく基礎物理学における新潮流としても期待の星である。

※本記事は 日刊工業新聞2020年10月30日号に掲載されたものです。

嶋田 義皓 CRDSフェロー(システム・情報科学技術ユニット)

東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。日本科学未来館で科学コミュニケーターとして展示解説や実演・展示制作に、JST戦略研究推進部でIT分野の研究推進業務に従事後、17年より現職。博士(工学、公共政策分析)。

<日刊工業新聞 電子版>
科学技術の潮流(74)ブラックホール 量子情報、研究に一役(外部リンク)