2025年8月1日

第299回「科学者と社会 相互理解を」

向き合い方課題
以前、内閣府の総合科学技術会議の専門委員を務めていた頃、ある企業に属する委員から「日本には数枚の書類を書くだけで多額の研究費が受給され、好き勝手に研究ができるシステムがある」との発言があった。税金を食い物にして、わずかな努力で好き勝手な研究が支援されるのはおかしいという主旨だったのだろう。企業が銀行から小口の融資を受ける場合ですら膨大な努力が必要という実情を考えると、この発言はもっともにも聞こえる。

2020年の日本学術会議会員候補者の任命拒否問題を発端に、科学者を代表する組織と言われる日本学術会議のあり方も問われている。見えてくる課題は「科学者とそのコミュニティーがこれまで社会とどう向き合ってきたのか、今後どう向き合うべきか」だ。

理性の公的使用
1999年の世界科学会議で発表された「ブダペスト宣言」では「社会のための科学」が提議され、以降基礎的な研究も広く社会への貢献を求められる時代になった。研究成果の受益者は現在および将来世代の国民だ。社会の理解を得てその要請に応えていくために、基礎・応用を問わず科学を担うアカデミアから責任ある適切な内容が積極的に発信され続けることで、社会からの支援を得るという視点が重要だ。

科学者は、市民の科学リテラシーを高める努力をするだけでなく、科学の現状と将来を市民と共に学びながら、社会的リテラシーを高めることが極めて重要である。イマヌエル・カントは『啓蒙とは何か』という著書において、理性(知性)の“私的使用”と“公的使用”を区別している。それに倣えば、研究者が自分の立場や研究のために使用する知性は私的使用であり、一人の市民として専門や個人の利益を超えて使用する知性こそが公的使用となろう。アカデミアが社会と信頼関係を持ち続けるためには公的使用こそが重要であり、ひいては憲法でうたわれている学問の自由も両者の信頼関係があってこそ担保されるのではないか。そのためにアカデミアが発揮すべきことは、ヘルマン・ヘッセが『東方への旅』で暗示し、後にロバート・グリーンリーフがフォーミュレートした(まとめた)「サーバント・リーダーシップ」ではないかと思われる。

プラド美術館に所蔵されているゴヤのエッチング画に記された「理性の眠りは怪物を生む」の一文は印象的だ。あたかも、理性の公的使用を怠ることの危険性を警告しているかのように見える。

※本記事は 日刊工業新聞2025年8月1日号に掲載されたものです。

<執筆者>
谷口 維紹 CRDS元上席フェロー

スイス・チューリッヒ大学大学院博士課程修了。がん研究会がん研究所部長、大阪大学細胞工学センター教授、東京大学医学部教授を務めた後、東京大学名誉教授。東京大学先端科学技術研究センターフェロー。米国科学アカデミー、米国医学アカデミー会員。専門は分子免疫学。

<日刊工業新聞 電子版>
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