「条件付き予測」で政策の精度を高める
感染対策と経済活動、短期的なトレードオフと長期的なトレードオフ

仲田 泰祐
東京大学大学院経済学研究科 准教授

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 2020年春、ほぼ20年ぶりにアメリカから日本に戻ってきた仲田泰祐博士の目の前に、新型コロナウイルス感染症で混乱する日本が広がっていた。成田空港はがらがら、とくに科学的根拠もなかったのにインフルエンザの類推から小中学校は休校を要請された。感染力や死亡リスクがよくわからない感染症に国民は怯えていたが、厳しい行動制限を求める感染対策チームに対して、経済界を中心に反発する声も上がっていた。そして何よりも政策を決めなければいけない政治家は、その間で迷っていた。

 東京大学経済学研究科の准教授に就任することになっていた仲田博士だが、感染症に対する関心は高かった。アメリカではFRB(金融制度準備理事会)で中央銀行の金融政策について、マクロ経済のモデルを使ってさまざまな分析をするチームに属していた。新型コロナウイルス感染症による危機は、感染症によって引き起こされた経済危機といった側面もあり、「コロナ危機が始まった時点から非常に関心があった。もともと所属していたFRBの部署でも、マクロモデルに疫学の要素を統合させるといった試みもすでに始まっていました」

最初の取り組みは2020年末

 しかし日本に帰ってきたばかりでなかなか感染症の分析にまで手が回らない。2020年末になって第3波が本格化し、Go Toトラベルがキャンセルされ、また緊急事態宣言を出すかどうかという状況になった。そういった議論の場に、数理モデルに基づいた感染と経済の見通しの両方を提示していくことが必要だと仲田准教授は考えた。その両方を考慮して、社会としてどういった政策を取っていくのかという議論をする。その当時、そのような分析が日本に存在してないと感じていたからだ。

 そして12月15日、独自に分析を始めた。反応は予想を超えるものだった。「そういう分析に対する需要がすごく高かった。すぐ第2回目の緊急事態宣言の解除基準に関する分析の依頼を受けました」。それが2021年1月6日のことである。「緊急事態宣言は短くすべきか長くすべきか、宣言はいつまで続けるべきか」、そこについてシミュレーション分析をしてほしいというのが大竹文雄大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授の打診だった。

 その結果は予想外のものだったと大竹教授は言う。「緊急事態宣言は厳しく短く」という結果を予想していたが、シミュレーションでは「宣言は長めに出し、できるだけ感染者を抑える方が、中・長期的には感染にも経済にもよい」と出たからだ(仲田泰祐・藤井大輔著『コロナ危機、経済学者の挑戦』39ページ)。

基本シナリオ

東京都の実質GDP(月次:2020年1月~)

・2020年後半は、GDPは回復傾向
・しかし、その後の感染再拡大と緊急事態宣言の発令により、2021年入り後の回復は停滞
・コロナ前(2020年1月)と比較して、2020年5月のGDPは▲0.5兆円減

*2022年1月18日:緊急事態宣言に伴う経済活動の停滞

「明日までに試算を出せばいいですか」

 仲田准教授の分析について強く感じるのは、その「スピード感」だ。2021年初 、大竹教授から第2回緊急事態宣言の解除をしようとしているが感染者と経済の影響をシミュレーションできないかという相談を受けたのは、早稲田大学政治経済学術院の久保田荘准教授である。その久保田准教授が仲田准教授に連絡を取ったときのことだ。「明日のお昼までに何かしらの試算をするという感じで大丈夫ですか」という返事だった。そしてすぐに詳細な解除基準に関する分析シミュレーションが届いた。このスピード感で日本の政策は変わっていくと久保田准教授は思ったという(同書40ページ)。

 分析にあたって仲田准教授が重要と考えていたポイントがある。「分析をし、情報提供して議論の参考資料をめざすというところをかなり意識しました。こうすべきだ、みたいなことは極力言わない。こういう条件だとこうなる、別の条件だとああなるという情報を提供する」。それが自分たちの役割だと言うのである。

 ここにはFRBでの経験が強く影響していると仲田准教授は言う。「スタッフは分析をして意思決定者に参考資料を提供するのが役割で、そこを超えようとはあまり考えない。金融政策でも、物価とか雇用とかいろいろな目標があって、目標が矛盾することもある。そういった場面で、異なる意見の人たちができるだけ建設的に議論ができるような分析をめざします」

トレードオフへのアプローチ

 目的がいくつかあるのだけれども、すべての目的を達成することはできない。日常生活の中でもそういった経験をすることがあるが、「トレードオフが生じる状況を分析するアプローチが経済学にはある」と仲田准教授は言う。「短期的にはトレードオフがあっても、中・長期的にはトレードオフがない場面が出てきたりする。これは頭の中で考えて気づけることもあるけれど、しっかり数理モデルを書いて、それを解いて分析して気づくということもある。感染症対策と経済活動を同時に考えて、ひとつの数理モデルを使って分析をする。その結果、もしトレードオフがあれば、どちらを優先するのかという話になります。ここまで来ると、日本国内でもいろいろな意見があるし、世界を見回せば国によってほんとうに価値観が違うところが見えてきます」

国(2021Q2まで)

*G7+他5か国。多様なアウトカムが伝わるように選択(全ての国を提示すると国名が読めなくなるため)。
*経済損失はGDPのトレンドからの乖離。トレンド作成には過去10年のGDP成長率平均を利用。GDPはWorld Bank - Global Economic Monitorを使用。累計死者数はWHO COVID-19 Dashboardを使用。

 「頭の中で理論的に考えていくというだけではなかなか気づけないことがある。これはマクロ経済の分析をしていてものすごく感じることです。数式に落としてシミュレーションしたり、分析したりすると、そこから得られる知見があるのではないか。疫学と経済の統合モデルから私自身もいろいろ学ぶことがありました」と准教授は語る。

 こうした分析は仲田准教授にとって非常にやりがいのある状況だとも言う。「政策現場が数理モデル分析をこれほど求めるようなことはなかなかないと思います。しかし、こちらが伝えたいことが上手く伝わらないこともある。普通の研究者の感覚で、分析テーマを選んだり、どのようなシミュレーションをするか、リポートをどうまとめるかを(自分の立場だけで)考えると、これはもう確実に伝わらない」。一般の人や専門家以外の人にプレゼンする機会がないと、そういったスキルはなかなか学ぶことができない。FRBも意思決定者は経済学者ばかりではない。たとえばパウエル議長は弁護士だ。そこで分析をプレゼンするとなれば、ある程度のトレーニングは必要だ。「研究能力とはまったく違う独特のトレーニングです」と言う。

「わかりやすさの最適化」

 「専門性の異なる人たちにもエッセンスがきちんと伝わるように、内容やプレゼン資料を相当に吟味して、徹底的にわかりやすくするということが非常に重要」(同書28ページ)だ。誰にでもわかりやすくするということを突き詰めて考えないと、いざ発表しても何も伝えることができないと言い切る。

 情報を受け取る側にどこまで要求できるかというようなことは考えない。それは所与の条件として提供する側がベストを尽くすというアプローチだ。「総理大臣だとかそういった人々は外交から経済から幅が広い。そういう人たちにお話しする時間が30分あるとすれば、それだけで感謝します」

 メディアとのコミュニケーションにも同じようなことが言える。1月末にはメディアとの意見交換会が開かれたが、2日かけてスライドと説明内容を何度も吟味し「わかりやすさの最適化」に向けた作業を行った。何回も声に出して読み上げ、説明が伝わりやすいかどうかを確認する。前日の夜には散歩をしながら翌日のプレゼンを何度も声に出して読み上げる。「このプロセスは、本番で伝わりやすい、わかりやすい発表ができるか否かに非常に大きな影響がある」と仲田准教授。そこまでしても正確に内容を伝えるのはなかなか難しかったと感じた会議もあると言う。

 プレゼンだけではない。自分たちの言いたいことを正しく伝えるために、ホームページを立ち上げ、毎週更新している。「分析はできるだけ透明性を担保し、モデルによる予測と現実に起きた結果との差(予測誤差)も記録して公表するという取り組みは、分析の信頼性を高めるために必要だ」(同書34ページ)という。

 一般社会とのコミュニケーションを円滑かつ正確にとるには、できるだけ説明を増やしたり、英語表記を日本語表記に変えたりさまざまな工夫がある。と同時に、更新スピードを維持するために、どこまで細かい数理モデルを求めるかが大きなカギとなる。

「合理的意思決定」の前提を外す

 仲田准教授たちの分析では、疫学で標準的に使われているSIRモデルをベースにして使っている。この疫学モデルは、経済学のマクロ経済学に親和性が高いからだ。感染状況と経済活動の連動をモデルに組み入れるために、「人の動き(モビリティ)を導入し、『人々の動きが活発になると、感染が拡大する一方で経済活動は活性化する』というトレードオフの関係を捉えることができる」(同書44ページ)という。

 このモデルを用いてさまざまなシナリオを設定してシミュレーションを行うわけだが、経済学ではスタンダードとされる「人々は合理的な意思決定を行う」という設定は外されている。この設定を入れると計算に非常に時間がかかってしまうことがわかったからだ。毎週分析を更新してできるだけリアルタイムで発信し続けるために、これをのぞいたモデルにした。

 計算速度を重視したシンプルなモデルは、そうでないモデルと比べてシミュレーションに大きな差がでるかというとそうでもなかった。シンプルであることで得られるものと失うものを比較した結果、スピード重視でいくことにしたのである。

 こうしたモデルは、将来の感染者数を予測するものではないが、どうしてもメディアや社会の関心は将来予測に向いてしまう。モデルのシンプルさを維持しながら、シミュレーションの精度をいかに上げていくか。さらにはモデルを拡張して、変異株や季節性、緊急事態宣言などのファクターを入れやすいこと、毎週更新できる計算速度の維持といった課題を追求している。また世界でもほとんどできていない、感染が繰り返す理論モデルの開発も重要だ。

 新型コロナ感染症が季節性インフルエンザと同じように扱われるまでにはまだ時間がかかりそうだ。パンデミックが収束する前に、エピデミックという状態になると京都大学の西浦博教授は警告しているが、できるだけ正確なシミュレーションをリアルタイムで発信することが、社会を維持しながら感染の蔓延を抑えることにつながる。

 仲田准教授は言う。「将来のパンデミックにおいて、科学者が科学的知見というものを政策現場や一般の人々に届けるのにこうしたらいいのではないか、といった事後検証分析もすでに始めています。これまでのコミュニケーションには、よい点もあったけれど、改善すべきこともものすごくいっぱいありましたから」


(取材・前濱暁子、文・藤田正美)

参考文献一覧

書籍

  1. 仲田 泰祐+藤井 大輔 著:「コロナ危機、経済学者の挑戦―感染症対策と社会活動の両立をめざして」,日本評論社.(9月20日刊行)

論文

  1. "Covid-19 and Output in Japan" with Daisuke Fujii, Japanese Economic Review (2021), Special Issue: SIR Model and Macroeconomics of COVID-19.
  2. “Understanding Cross-Country Heterogeneity in Health and Economic Outcomes during the COVID-19 Pandemic: A Revealed-Preference Approach” with Daisuke Fujii, Sohta Kawawaki, Yuta Maeda, and Masataka Mori, University of Tokyo, CARF-F-541

RISTEX 公式情報

  1. プロジェクト情報
    「感染症対策と経済活動に関する統合的分析」
  2. プロジェクト報告書

研究代表者のプロフィール/コンタクト先

仲田 泰祐

東京大学経済学研究科 及び 公共政策大学院 准教授

連絡先

E-mail: taisuke.nakata[at]e.u-tokyo.ac.jp

研究者Webサイト

https://www.bicea.e.u-tokyo.ac.jp/

https://sites.google.com/site/taisukenakata/