子どもの貧困をなくすために
深い分析でオープンデータをエビデンスに変える

阿部 彩
東京都立大学 子ども・若者貧困研究センター長 教授

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 東京都立大学で「子どもの貧困」を研究している阿部彩教授は期待に胸を膨らませた。2013年に「子どもの貧困対策法」が策定されてから8年。この法律に基づいて、広く子どもの貧困の実態を探るために各自治体で調査が行われてきたからだ。それぞれのデータを統合し、そのエビデンスに基づいた政策提言をすることができれば、政策効果も一段と上がる。

 阿部教授がセンター長を務める都立大の「子ども・若者貧困研究センター」では、都の依頼を受けて貧困の調査を早くから行っていた。それらを参考に3年の間に300余りの自治体がほぼ同じ項目で調査を実施したのである。

データをとっても活用されていなかった

 しかし、物事はそう簡単には進まない。「自治体は市民対象のものや、子育て世帯を対象としたものなど、たくさんの社会調査をやっていますが、それらが十分に活用されないままであるという状況があります」(阿部教授)。

 各自治体に「子どもの貧困の実態を解明する」という努力目標が課せられたとは言っても、実際に政策提言に使われたデータは少なかった。他の自治体との比較を行い、そこから政策提言を引き出すことも行われていない。そのためには、それらの差異を細かく調整し、つなぎ合わせて、ひとつの統合されたデータベースにする必要があるが、一自治体がこれを行うにはハードルが高かった。

 分析に必要なローデータ(加工する前の生データ)すら保管されていない自治体もあった。調査を委託した先から受け取った報告書さえあれば、それ以上の分析はされないのでローデータを取っておく必要がないからである。

 なので、本プロジェクトを始めるには、まず、深い分析が必要なのだということ、そこから何がわかるのか、何に使えるのかを自治体に理解してもらうことが必要だった。「データを分析してエビデンスを作ることが、自治体自身の役に立つということをわかってもらうために、グラフにして予算要求の資料として添付できる形にするとか、いろいろ苦労がありました」(阿部教授)。

 プロジェクトメンバーである川口遼特任助教は、「自治体からローデータを提供してもらうための、行政的ハードルも多かった」と語る。国の場合は統計法で定めがあって、ローデータを研究に使用するための手続きが明確に決まっている。しかし、都道府県の条例はばらばらだし、場合によっては条例そのものがない自治体もある。基礎自治体になると何も定めがない。「そうなると自治体と研究者との覚書を作成するところから始めなくてはならなかった」と言う。

自治体と研究者の目的の不一致

 前例がないことを行うことについて、多くの自治体は消極的である。特に、データにかかわることでは、「個人情報」保護に反するのではと懸念する。阿部教授が用いるデータは個人情報に当たらないが、それでも「二次利用はまったく問題ないです。」と説得するのが大変だったと言う。一方で、研究者側は論文となる分析をしたいという気持ちが強く、自治体が必要とする分析には関わりたがらない。なので、協力者の先生方の分析をわかりやすく解説し直し、それを当該自治体の具体的政策提言に繋げていく作業が必要だった。研究者としての業績にはならないような自治体側が要望する分析も行った。こういった作業は、「ボランティアベースで集まっている研究者集団では難しい」(阿部教授)。

 自治体側と研究者側ではスピード感もまるっきり違う。たとえば研究者は、1年後に学会発表、2、3年後に学術論文といった時間枠で動くのが普通だ。これに対して自治体側は、データを渡したら1カ月後に結果を出してもらうことを期待する。これをすり合わせるためには、『東京都立大学子ども・若者貧困研究センター』のような、ある程度の研究能力があり、自治体のさまざまな要求をタイミングよく返していく、シンクタンクのような組織が必要だと阿部教授は考えている。

 そのような研究者と行政のキャッチボールがうまく回れば、「エビデンスを基に政策立案し、実施後は、データを用いた事業の評価をして次の事業のやり方を検討するというEBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング)をきちんと回すことができる。そのためには、自治体も、研究者側も政策のためのデータ、政策のための科学にもっとコミットしなければならないと阿部教授は考える。その第一段階として、自治体が実施する調査のデータに研究者がアクセスできるようにしなくてはならない。

 子どもの貧困に関しては、多数の自治体が同様の調査をほぼ同時期に行っているという貴重な機会を生かして、これらデータを統合し、エビデンスを得ることによって、子どもの貧困に対する政策が飛躍的に進歩する。しかし、個別の自治体の担当者が、そこまで見越して動くことは難しい。それぞれの自治体が最も興味があるのは「端的に言ってしまえば、自分のところの貧困」(阿部教授)だからだ。

 日本全体での子どもの貧困率と比べて自分のところは高いのか低いのか、他の自治体と比べてどうなのかというのが最大の関心事であり、データをつなぎ合わせて比較ができるようになっても、そこを見て安心したいだけの場合もある。こと「子どもの貧困」については自治体や、担当者によって、向き合う温度差が大きい。

意識は変わりつつある

 それでも、3年の研究開発期間の間に、このプロジェクトが自治体のデータの二次利用をして得られたエビデンスが自治体の政策に反映されたことも多々ある。例えば、学童保育が対象としていない高学年の子どもの居場所事業の重要性や、子どもの食に対する支援が、現代日本においても必要であることもわかってきた。「子どもの貧困が食にまで及んでいるというのはなかなかエビデンスが出てこないのですが、私たちの調査で、子どもの食べるものにも差があるということがわかりました」(阿部教授)。

 そういった事実を目の当たりにして、自治体や担当者の意識も変わりつつある。「子どもの貧困率が国全体で13%超という数字が出てはいても、議員をはじめ、多くの自治体の方々は、格差は確かにあるかもしれないけれど、うちの自治体に貧困の子どもがそんなにいるとは思わないというのが本当の気持ちだと思います。『うちは平均所得が他の自治体よりも高いから』『都道府県内ランキングでは○番だから』『三世代世帯が多いから』など、いろいろな理由をつけて、貧困を認めようとしない。ですから、実際に『○○が買えないと言っているご家庭が○%あります』と、データを見せるのは大きな意味があります」(阿部教授)。

 本プロジェクトでは、さまざまな自治体にて、「初めてのケース」となる自治体統計調査の二次利用を行ってきた。最近は、「うちのデータも使ってください」とコンタクトしてくる自治体もある。2019年に、都立大を中心に6大学の研究センター等による『子どもの貧困調査研究コンソーシアム』を発足させたことにより、学界として自治体と交渉することも可能となった。しかしながら、依然として、条例の有無・運営・覚書など行政的なハードルが高いことには変わりがない。政府が本気でDXを進めるのであれば、まずは、個人情報などの課題が少ない統計調査のローデータの活用をより奨励することが必要であろう。

持続的な取り組みを支えるために

 本プロジェクトは、2021年度で終了するが、子どもの貧困に関するEBPMを機能させるためには、今後、国などから公的なサポートがあることが必須である。まず、データベースの統合と分析には多くのマンパワーが必要である。データ分析の主戦力は大学院生だが、社会政策分野には圧倒的に院生が少ない。「子どもの貧困については、社会福祉学だけでなく、教育学、社会学、公衆衛生学など多数の学問が関係するので、そういった研究者・院生の方々にも、どんどん関わっていただきたい」(阿部教授)。

 「実際に、院生の教育にも、公務員の方々の統計リテラシーの向上にも相当貢献しています」と川口特任助教。大学院に入って初めてデータ解析を学ぶ人が、何年かすると高度人材として自治体に就職する例も、逆に自治体からの出向者を受け入れた実績もある。統計リテラシーを身に付け、子どもの貧困という分野に知見もある高度人材を3年間で多く輩出することができた。

 しかし、これを継続するには、資金が必要である。もうひとつの課題が、持続的な資金調達だ。データ分析でエビデンスを積み上げて政策に還元するという作業は、子どもに食事を提供したり、勉強を教えたりといった直接的な支援と違い、その効果が見えにくい。そのため、企業などからの資金も得にくいのが現状だ。よりよい政策を行うためには、政策研究を継続的に取り組める仕組みが必要だ。

 「子どもの貧困関連の調査を自治体と協働関係の中で分析し、日本の子どもの貧困対策のブレーンとなっていくセンターを、持続的な形で残すというのが私の定年までの夢でもあります」(阿部教授)。

 自治体と研究者の間に立って調整し、オープンデータ化を進めてこれからの政策立案と研究の両方に役立てていく。そしてその過程で研究者側でも自治体側でも人材を育てる本プロジェクトのような取り組みこそ、いま日本に必要なのではないだろうか。


(まとめ・前濱暁子、編集・藤田正美)
2021年12月20日インタビュー

参考文献一覧

RISTEX 公式情報

  1. プロジェクト情報
    「子どもの貧困対策のための自治体調査オープンデータ化手法の研究」(H30~R4)
  2. プロジェクト報告書

研究代表者のプロフィール/コンタクト先

阿部 彩

東京都立大学 子ども・若者貧困研究センター長 教授

連絡先

E-mail: rccap[at]tmu.ac.jp または abeken[at]tmu.ac.jp
Tel: 042-677-2065 (センター直通)

研究者Webサイト

https://www.tmu-beyond.tokyo/child-and-adolescent-poverty/