伊丹分子ナノカーボンプロジェクト

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研究総括 伊丹 健一郎

研究総括 伊丹 健一郎
(名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長/
大学院理学研究科 教授)
研究期間:2013年10月~2019年3月
特別重点期間:2019年4月~2020年3月
グラント番号:JPMJER1302

 

ナノメートルサイズの炭素物質(ナノカーボン)は、1990年代から次世代材料として脚光を浴び続けて来ました。しかしながら、カーボンナノチューブやグラフェンなどのナノカーボンは単一の分子として分離・精製することが困難であり、「構造的に純粋な分子」として取り扱えていないという現実があるため、ナノカーボン科学は様々な構造をもつ分子の「混合物」としてのサイエンスに留まっています。

このような背景のもと、本研究領域では、未踏・新奇なナノカーボンを構造的に純粋な分子として設計・合成するとともに、それらを基盤として圧倒的に優れた機能性材料を創成し、それらの応用展開まで図ることにより、「分子ナノカーボン科学」という新分野の確立と、イノベーションの創出を目指します。

具体的には、次の3つのテーマに取り組みます。第1のテーマとして、構造が明確に定まったカーボンナノチューブとグラフェンナノリボン、さらには新奇な3次元湾曲ナノカーボンの精密合成法を開発するとともに、その応用展開を図ります。一例として、化学合成により構築したナノカーボン分子をテンプレートとして化学気相成長法などの手法を用い精密成長させ、巨大なナノカーボン分子を得ることを目指します。また、第4のナノカーボンと位置づけられる3次元湾曲ナノカーボンを太陽電池、ユニバーサル有機エレクトロニクス材料、バイオイメージングに応用することも行います。第2のテーマとして、走査型プローブ顕微鏡、単一ナノ構造近接場分光イメージング、単一光子計数技術ならびにX線結晶構造解析を駆使した単一ナノカーボンの構造・物性解析を行い、ナノカーボンの構造・物性やナノカーボン間の相互作用を明らかにします。第3のテーマとして、ナノカーボン分子の集合体や単結晶のユニークな特徴を活かした新しい吸着・磁性・光学マテリアルの創出を目指します。

これらの研究を通じて、ナノカーボンを単一の分子として理解して活用するとともに、炭素材料の潜在能力を引き出す新たな標準を構築し、画期的な分子ナノカーボンマテリアルの創製により、産業界にも貢献することを目指します。

 

 

研究成果

テーマ:新奇分子ナノカーボンの開発

当プロジェクトでは、ナノカーボンを分子として自在に合成・活用することを目的に、有機合成化学的な手法を駆使した、分子ナノカーボンのボトムアップ合成研究を進め、これまでに様々な新奇ナノカーボンの合成を達成しました。中でも、「カーボンナノベルト」、「オールベンゼンカテナン」、および「オールベンゼンノット」の世界初の合成が、特筆すべき成果として挙げられます。

 

カーボンナノベルトの合成

カーボンナノベルトはベンゼン環が縮環してできた筒状構造の有機分子です。1954年に理論化学者によって提唱されて以降、世界中で合成が挑戦されてきましたが、ベルト状構造がもつ大きなひずみのために非常に合成が困難であり、有効な合成法はこれまで存在しませんでした。我々は、大きなひずみを乗り越える新たな合成法によって、カーボンナノベルトの合成に世界で初めて成功しました。X線結晶構造解析によって、カーボンナノベルトが美しい筒状分子であり、(6,6)カーボンナノチューブを輪切りにした構造をもつことを明らかにしました。さらに我々は、様々なサイズのカーボンナノベルトの合成に成功し、サイズにより分子の性質が変化することを明らかにしました。

カーボンナノベルトは、試薬会社とライセンス契約締結後、2018年3月より市販化されています。

フラーレンやグラフェンなど炭素には様々な形があり、歴史的に新しい炭素の形が発見されると、その後様々な分野で研究が始まり、新しいサイエンスとテクノロジーが必ず生まれてきました。カーボンナノベルトは、 まさに新しい炭素のかたちの一つといえます。カーボンナノベルトの市販化により、世界中の大学や企業の研究者がカーボンナノベルトの物性・新機能・デバイス応用に関する研究を行うことが可能になり、様々な分野へ当プロジェクト成果の波及が予想されます。現在、各種電子デバイスやバイオ分野での応用を予想していますが、今後、我々でも予想していない機能が見つかり、カーボンナノベルトが新しい科学の礎になることが期待できます。

fig1

 

炭素の絡み目「オールベンゼンカテナン」と、炭素の結び目「オールベンゼンノット」の合成に成功

これまでに合成された分子ナノカーボンは、ベンゼンが連なったオールベンゼンリングなど、幾何学的に単純な構造でした。理論化学的に予測されている複雑な幾何学構造をもつ未踏のナノカーボンを合成するには、分子ナノカーボンにトポロジーを付与する新しい合成法が必須です。我々は、ケイ素原子を用いる新たな方法によって、結び目(ノット)や絡み目(カテナン)をもつ分子ナノカーボンを合成することに成功しました。合成した「オールベンゼンカテナン」と「オールベンゼンノット」はX線結晶構造解析によって構造が確認され、それぞれの幾何学構造に由来する特異な光物性や動的挙動をもつことが明らかになりました。

本研究成果は、複雑な幾何学構造をもつ新たなナノカーボン材料の開発に道をひらく画期的な成果といます。

fig2

  1. Synthesis of a Carbon Nanobelt. Guillaume Povie, Yasutomo Segawa, Taishi Nishihara, Yuhei Miyauchi, and Kenichiro Itami. Science 2017, 356, 172-175.
  2. Synthesis and Size-Dependent Properties of [12], [16], and [24]Carbon Nanobelts. Guillaume Povie, Yasutomo Segawa, Taishi Nishihara, Yuhei Miyauchi, and Kenichiro Itami, J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 10054-10059.
  3. Topological molecular nanocarbons: all-benzene catenane and trefoil knot. Yasutomo Segawa, Motonobu Kuwayama, Yuh Hijikata, Masako Fushimi, Taishi Nishihara, Jenny Pirillo, Junya Shirasaki, Natsumi Kubota, and Kenichiro Itami. Science 2019, 365, 272-276.
  4. Topologically Unique Molecular Nanocarbons. Yasutomo Segawa, David R. Levine, and Kenichiro Itami. Acc. Chem. Res. 2019, 52, 2760-2767.
  5. Synthesis and structure of [9]cycloparaphenylene catenane: An all-benzene catenane consisting of small rings. Yasutomo Segawa, Motonobu Kuwayama, and Kenichiro Itami. Org. Lett. 2020, 22, 1067-1070.

 

テーマ:ナノグラフェン分子の精密合成

ナノグラフェンを、エッジ構造、幅、長さを厳密に制御して合成する方法論の確立は、ナノカーボン科学の今後の発展に不可欠です。当プロジェクトでは、縮環π拡張(APEX: Annulative Pi-EXtension)反応を確立し、ナノグラフェン分子の精密合成に成功しました。

 

APEX法によるナノグラフェンの精密合成

近年、次世代有機エレクトロニクス材料として、構造が明確に定まったナノグラフェンの利用が期待されています。一般的にこれら化合物群の合成手法は、テンプレートとなる芳香環の事前官能基化、カップリング反応、脱水素環化反応を用いた多段階工程反応であり、効率性の低さや、用いることができる芳香環に大きな制限があるなどの問題がありました。そこで我々は、事前官能基化を経ずに小さな芳香環から、より大きな縮環芳香環を一段階で構築する全く新しい合成概念「縮環π拡張(APEX: Annulative π(pi)-Extension)」を提唱し、種々の新触媒を開発しました。実際に、これら新しく開発したパラジウム触媒を用いた一連のAPEX反応によって、様々な大きさ・構造のナノグラフェンを効率的かつ精密に合成できることを実証しました。得られたナノグラフェンの中から半導体材料や発光材料として有用な物質がすでに見つかっており、今後の電子デバイスへの応用が期待されます。

fig3

 

  1. One-shot K-region-selective annulative π-extension for nanographene synthesis and functionalization. Kyohei Ozaki, Katsuaki Kawasumi, Mari Shibata, Hideto Ito, and Kenichiro Itami. Nature Commun., 2015, 6, 6251.
  2. Synthesis of partially and fully fused polyaromatics by annulative chlorophenylene dimerization. Yoshito Koga, Takeshi Kaneda, Yutaro Saito, Kei Murakami, and Kenichiro Itami. Science 2018, 359, 435-439.
  3. Polycyclic Arene Synthesis by Annulative π-Extension. Hideto Ito, Yasutomo Segawa, Kei Murakami, and Kenichiro Itami. J. Am. Chem. Soc. 2019, 141, 3-10.
  4. Living annulative π-extension polymerization for graphene nanoribbon synthesis. Yuuta Yano, Nobuhiko Mitoma, Kaho Matsushima, Feijiu Wang, Yusuke Matsui, Akira Takakura, Yuhei Miyauchi, Hideto Ito, and Kenichiro Itami. Nature 2019, 571, 387-392.(本論文は2020年11月25日付で取り下げられました)
  5. Step-growth annulative π-extension polymerization for synthesis of cove-type graphene nanoribbons. Yuuta Yano, Feijiu Wang, Nobuhiko Mitoma, Yuhei Miyauchi, Hideto Ito, and Kenichiro Itami. J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 1686-1691.(本論文は2021年2月23日付で取り下げられました)

テーマ:ナノカーボンの精密構造解析と特性の評価

当プロジェクトにおいて、単一架橋・長尺単層CNTの合成法および、単層CNTの効率的な構造決定法が確立され、従来法と比較して圧倒的にすばやく、構造が明確に定まった単層CNTを提供することが可能となりました。この技術を基盤とした特筆すべき成果として、「単一架橋単層CNTの励起子熱光物性の評価」および「単層CNTの機械特性の幾何構造依存性の評価」が挙げられます。

 

カーボンナノチューブの狭帯域熱励起子放射現象の発見

加熱した物質から光(電磁波)が放出される現象を熱放射と呼びます。物質の熱放射現象は20世紀初頭、量子力学誕生のきっかけになっただけでなく、その自在な制御法の確立は革新的な熱エネルギー利用技術の実現につながるため、今日までに、様々な物質系の熱放射の研究が盛んに行われてきました。しかし、CNTに代表される「1次元物質」と呼ばれる電子の動ける方向が1方向に制限された極限的な物質系に関しては、その固有の特性を保ったまま1000℃を超えるような高温に加熱することが技術的に難しく、基本的な熱放射特性が未だに明らかにされていませんでした。我々は、1本のCNTの熱放射だけを観測可能な独自の実験システムを開発し、半導体特性を示すCNTを高温に加熱すると、励起子効果と呼ばれる量子力学的効果によって熱が近赤外域の極めて狭い波長範囲の光だけに変換されることを明らかにしました。この現象は一般のバルク物質系には見られない特殊なものであり、熱放射制御技術に応用することで、熱を光に変換して高効率に発電する革新技術の実現にもつながりうると期待されます。

fig5

 

単層カーボンナノチューブの機械特性の幾何構造依存性の評価に成功

CNTは軽くて丈夫な物質であり、宇宙エレベーターを含め、構造材料物質として期待されています。しかし、引張強度が試料ごとに大きくばらついており、どのようなCNTの強度が高いのかについては、不明でした。我々は、幾何構造を決定した単層CNTの引張強度の直接測定に世界で初めて成功し、直径が小さい近アームチェア型のCNTが高い引張強度を持つことを示しました。さらに実験結果の解析から、幾何構造と引張強度に強い相関があることが分かり、その関係式を見出しました。

本成果は、CNTの引張強度を決める要因を世界で初めて明らかにしたという基礎科学的な意義に加えて、CNTを用いた強くて軽い究極の構造材料の実現に向けた明確な指針を与えるものとして、学術的・産業的なインパクトは非常に大きいといえます。

fig6

 

  1. Ultra-narrow-band near-infrared thermal exciton radiation in intrinsic one-dimensional semiconductors. Taishi Nishihara, Akira Takakura, Yuhei Miyauchi, and Kenichiro Itami. Nature Commun. 2018, 9, 3144.
  2. Strength of carbon nanotubes depends on their chemical structures. Akira Takakura, Ko Beppu, Taishi Nishihara, Akihito Fukui, Takahiro Kozeki, Takahiro Namazu, Yuhei Miyauchi, and Kenichiro Itami. Nature Commun. 2019, 19, 3040.

 

テーマ:分子ナノカーボンの機能開拓

当プロジェクトでは、分子ナノカーボンを用いた機能性物質の開発や、分子ナノカーボンの応用研究も急速に進めることができました。特筆すべき成果として、「カーボンナノリングを用いた刺激応答性材料の開発」と「3次元ワープドナノグラフェンのケミカルバイオロジーへの応用」が挙げられます。

 

カーボンナノリングを用いた刺激応答性材料の開発

電圧や光などの刺激に応答して性質が変化する刺激応答性機能物質は、記録素子や人工筋肉など、多岐にわたる応用が期待されていますが、刺激応答性と機能性の両方の発現を合理的にコントロールすることが難しく、こうした材料の合成は容易ではありませんでした。そこで、刺激応答性を示す分子が「ナノ空間」をもち、その空間内に機能性分子を効率的に並べることができれば、刺激応答性と機能性の両方を発現させることができると考えました。検討の結果、カーボンナノリング分子・シクロパラフェニレンの空孔内にヨウ素が規則的に配列した複合体を合成することに成功しました。この複合体に電気刺激を加えると、細孔内のヨウ素分子が連結し、電子伝導性および白色発光を発現することを見いだしました。

本発見は、刺激応答性の構造体に、機能性分子を閉じ込めるという簡単な合成手法に基づくものであり、今後、この手法を応用することで、さらに多様な刺激応答性機能材料の発見につながると期待されます。

fig7

3次元ワープドナノグラフェンの合成と応用

高度に湾曲した多環芳香族炭化水素である「ワープドナノグラフェン」は、2013年に伊丹研究室が開発した新しい分子ナノカーボンです。鞍状に大きく湾曲した3次元構造をもち、有機溶媒によく溶け、緑色の蛍光を発することから、既存のナノカーボンとは異なる応用が期待されています。

我々は、湾曲ナノグラフェンの系統的合成法の開発や物性解明研究を進め、その過程の中で、水に溶ける性質を付与した「水溶性湾曲ナノグラフェン」の合成およびケミカルバイオロジーへの応用に成功しました。水溶性湾曲ナノグラフェンはヒト培養細胞に取り込まれ、リソソームという細胞小器官に蓄積します。さらに、ここにレーザー光を照射すると、光刺激を受けた細胞だけが死滅する現象が起きることを発見しました。

この研究は、湾曲ナノグラフェンに様々な性質を簡単に付与できること、それが生命科学分野のツールとして利用できることを明確に示すものです。これはナノカーボン構造をもつ分子を精密に合成する「分子ナノカーボン科学」の幅広い応用可能性を示す好例です。

fig8

 

  1. Electrically Activated Conductivity and White Light Emission of a Hydrocarbon Nanoring-Iodine Assembly. Noriaki Ozaki, Hirotoshi Sakamoto, Taishi Nishihara, Toshihiko Fujimori, Yuh Hijikata, Ryuto Kimura, Stephan Irle, and Kenichiro Itami. Angew. Chem. Int. Ed. 2017, 56, 11196-11202.
  2. A Water-soluble Warped Nanographene: Synthesis and Applications for Photo-induced Cell Death. Hsing-An Lin, Yoshikatsu Sato, Yasutomo Segawa, Taishi Nishihara, Nagisa Sugimoto, Lawrence T. Scott, Tetsuya Higashiyama, and Kenichiro Itami. Angew. Chem. Int. Ed. 2018, 57, 2874-2878.
  3. Two-step synthesis of a red-emissive warped nanographene derivative via a ten-fold C-H borylation. Kenta Kato, Hsing-An Lin, Motonobu Kuwayama, Mai Nagase, Yasutomo Segawa, Lawrence T. Scott, and Kenichiro Itami. Chem. Sci. 2019,10, 9038-9041.
  4. Synthesis and Structural Features of Thiophene-fused Analogues of Warped Nanographene and Quintuple Helicene. Hsing-An Lin, Kenta Kato, Yasutomo Segawa, Lawrence T. Scott and Kenichiro Itami. Chem. Sci. 2019, 10, 2326-2330.

 

評価・追跡調査

 

上記「研究成果」の一項目として記載しておりました「リビングAPEX重合によるグラフェンナノリボンの完全精密合成」につきましては、国立大学法人東海国立大学機構名古屋大学により不正行為(改ざん・捏造)が認定された研究活動に関連するものであるため、削除しました。

 国立大学法人東海国立大学機構名古屋大学 公表資料
 https://www.nagoya-u.ac.jp/info/20220316_jimu.html
 
https://www.nagoya-u.ac.jp/info/upload_images/20220316_jimu.pdf

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