SciREXオープンフォーラムリポート
「政策のための科学」の在り方を考える
COVID-19発生から1年、見えてきた課題とは何か?


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 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行がはじまっておよそ1年。2度目となる緊急事態宣言下の2021年1月26日、第3回SciREXオープンフォーラム「アフターコロナの『政策のための科学』に向けて〜リスクモデルと経済モデルの統合可能性」がオンラインセミナー形式で開催された。

 過去1年間、感染症対策の立案や意思決定の過程では、さまざまな科学的知見が用いられてきた。その一方で、科学的なアプローチと政治的な意思決定の間で、時折大きな軋轢も生じてきた。科学的知見を基に政策決定するとしても、シミュレーションそのものはあくまでもシミュレーションであり、それが正しいかどうかは誰にも分からない。それだけではない。疫学・公衆衛生学の分野での「リスク評価」のアプローチと、外出自粛や営業時間の短縮をはじめとした「経済的影響評価」のアプローチの間でも対立があった。また、危機管理下で集められた不完全な情報やデータを、政策決定過程でどのようにして考慮し、採用するべきかということも大きな課題となっている。

 最初に発言した森田朗RISTEXセンター長は、「新型コロナが蔓延している時代、科学的な根拠に基づいて政策をつくり、それによって課題を解決していくことが今ほど求められているときはない」と語り、本フォーラムの主題を提示した。

 基調講演を行ったのは東京大学医科学研究所の武藤香織教授だ。武藤教授は、ELSI(Ethical,Legal and Social Issues「倫理的・法制度的・社会的課題」)の分野を専門とする立場から、新型コロナ対策を議論する現場からの報告、とくに専門家助言組織のあり方の難しさ、政治や行政、そして世間とのコミュニケーションの課題について語った。

専門家の助言を政治家に届ける難しさ

 新型コロナウイルスへの対応に関する政府と専門家の関係については、昨年6月に組織変更が行われ、9月からのアドホックな専門家助言の仕組みは図1のようになっている。これら以外に感染症部会や予防接種部会など、常設の審議会も多数関わっている。

図1 新型コロナ対策の実施体制

新型コロナ対策は、リスク評価とリスク管理の2つのアプローチがとられている。リスクと感染状況の評価は厚生労働省に儲けられたアドバイザリーボード、リスクの管理に向けた政策の提案に関しては、内閣官房が所轄する新型コロナ分科会が担当している。(武藤教授講演資料より)

 この組織変更によって、リスク評価とリスク管理という役割分担は明確になったが、アドバイザリーボードや分科会を開催して意見を聞いた形にするかどうかを決めるのは政府だ。たとえばこのシンポジウムに先立つ2週間、アドバイザリーボードも分科会も開かれなかった。

 また、指揮命令や調査の権限もない専門家が、リスク評価のみならずリスク管理の提言まで責任を負わざるを得ない場面がいまだ多くあるという。その結果、専門家組織が政策を決定しているかのように社会に誤解されることもままある。実際、2020年に第一波を押さえ込んだ後、あれほど厳しい制限は必要なかったのではないかという怨嗟の声が専門家に直接ぶつけられたこともあった。

 専門家助言組織はいかにあるべきか、その難しさも見えてきた。武藤教授は言う。1つは「国も自治体も、平時の行政統治機構、つまり縦割りの仕組みの中でこのパンデミックを迎え撃っている。かつてないほどに連携がなされているとはいえ、いろいろな意味で限界もある」

 2つ目として、「分科会で議論できること、できないことが細かく決まっている」ことを指摘した。たとえばワクチンの提供体制は、大きい方針は厚生労働省で、ロジスティックスは河野太郎大臣が担当するため、分科会ではほとんど議論がなされない状況だという。

 3つ目は、リスクコミュニケーションの問題だ。政府全体としてリスクコミュニケーションの体制不備が顕著になっている。そのため、本来は専門家がやるべきではないという批判もあるが、暮らしにとっては大事だけれども注目されていないことや、誤解を受けやすいものを中心に「専門家有志の会」で発信してきた経緯があるという(図2)。

図2 「専門家有志の会」による発信

SNSの活用やネット記事としての情報提供を行っている。(武藤教授講演資料より)

市民が「科学に基づく政策決定」を要求してほしい

 4つ目は、感染症の分析・評価のためのデータ収集と分析が非常に困難だということだ。詳しすぎるデータは個人の特定や偏見差別のリスクをはらむけれども、専門家の分析に必要な情報が含まれる場合がある。さまざまな制約の中でそれがきちんと収集されてきていないと武藤教授は語った。

 「今、2度目の緊急事態宣言の最中ですけれども、雇用や経済への影響や、人々の行動変容なども加味したシミュレーションを検討の場に出してほしいと政府に要望している最中ですが、専門家が言っているだけではかなわないかもしれない。市民からちゃんと科学に基づく政策決定をしてくれと声をあげていただかないと無理だと思う」

 武藤教授はさらに、感染症やウイルス学だけでなくさまざまな分野の科学者が十分熟議をした上で、政治家がその責任において政策を決定するようになることを希望すると締めくくった。

東京大学医科学研究所の武藤香織教授

 武藤教授の発言を受けて、森田センター長から政治家の役割についてコメントがあった。マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を引用しつつ、政治家の最も重要な資質は「不確実性の下で決定をしたとき、その結果について責任を負う」ということだと指摘した。また山縣然太郎統括は「科学的エビデンスは時間の経過とともに変わってくる」のだから、それに対応して政策も柔軟性を持たなければならないと述べた。

平時から病院の機能分担がないのが問題

 基調講演に続いて、津田塾大学総合政策学部の伊藤由希子教授から、政策形成過程における経済モデルの利用と課題について、さらに東京都立大学人文社会学部の阿部彩教授から、自治体の政策形成と社会科学との連携について問題提起があった。

 伊藤教授は、医療逼迫が叫ばれるなかで、医療のレジリエンスについて問題を提起した。まず日本の現状について「日本は病床数が非常に多く、在院日数も長い。医療従事者が担当する病床が多い分、入院時に得られるケアの密度は非常に低いという問題がある」と語った。しかも病院数が多く中小病院が競合しているため、機能分担ができていないという状況がある。「普段からできていない機能分担を緊急時にやれと言われてもできないのは当たり前」(伊藤教授)であり、それが今の問題になって現れているという指摘だ。現状では、緊急時に病院に頼ることは難しく、緊急時にホテルなどでも医療従事者が動ける仕組みとインセンティブを平時から設計することが経済活動とリスク対応の両立には重要だ。

 さらに、結局、光が当たっているところ、すなわちデータが取れるところでしかデシジョン・メーキングができないとすれば、どうすればいいのかという問題提起もあった。伊藤教授は言う。「スピーディーに取れる情報はなるべく多いほうがよく、その情報が埋もれないようにそれぞれの専門家がそれを拾う。予測には誤差があり、修正は免れないが、その時点で出せるベストの情報を早く共有して連携する」ことが必要だとする。

 次に、子どもの貧困対策を専門とする阿部彩教授が発言した。この問題に対する自治体の政策は、実際にはほとんどテレビなどで取り上げられる子ども食堂などを単に真似をするという形で行われているという。そこを社会科学で補って自治体で何が必要なのかをデータで見せることはできないだろうかというプロジェクトを行っている。自治体は子どもの貧困実態調査などの調査を数多く実施している。しかしそれを単純集計してお蔵入りさせてしまい、報告書はあっても何のエビデンスも得られていないという状況が数多くあると阿部教授は指摘した。

 かといって、実態調査を研究者が手伝うというのもなかなか難しい。二次利用してそこからエビデンスを引き出すというようなデータの使い方をしていない。個人情報保護の問題が起こるかもしれない。分析するノウハウもなく、人材もおらず、研究者とのコネクションもない。そして最大の問題は、分析した欠陥が政策決定のエビデンスに結びついて、よりよい政策を実行できたという前例が過去にまったくない。まずは前例作りというわけで、阿部教授のグループでは東京都、広島県、長野県、高知県などと関係を築いてデータの二次利用をしている。

「恣意的」なデータ活用の危険性

 続いてパネルディスカッションが行われた。科学的なエビデンスという意味で、データの重要性は論を待たないところだが、必ずしもデータが「科学的」ではない可能性を森田センター長が指摘したところが非常に興味深かった。森田センター長は言う。「ポリシーメーカーの価値判断なり希望があって、それに合うようなデータを作れとか探せ」というのがあるのではないか。それは危険なことだというのである。

 伊藤教授は、感染症モデルにしろ、経済モデルにしろ、何らかの知見を出すときには幅があることを言わなければいけないとする。だから予想が当たったか外れたかはあまり評価すべきではない、評価すべきはその予想のプロセスだと指摘した。それについて森田センター長は、日本人はどうも「ゼロリスク」を求めがちと語った。「現実的には、ゼロリスクの選択肢はほとんどない。各分野の専門家は、自分のところだけで最適解を求めるのではなく、このようなところで一緒に議論しながら、バランスを考えていくことが重要だ」と議論を締めくくった。


(まとめ・前濱暁子、編集・藤田正美)