「脳」から見た人間の子育て
生物学的に無理があると政策効果も上がらない

黒田 公美
理化学研究所脳神経科学研究センター親和性社会行動研究チーム チームリーダー

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 いっこうに後を絶たないどころか、ますます増えているように見える子どもの虐待。行政側の問題点はいろいろ指摘されるが、虐待した親に対しては「自分の子どもなのに可愛くないのか」というような反応が一般的だ。しかし、と理化学研究所脳神経科学研究センター、黒田公美博士は言う。「子どもが生まれれば母性や父性が自然に生まれてくる、それほど脳のメカニズムは本来簡単ではないのです」。脳から見れば、子育ては「練習してようやくできるようになる」

米小児科病棟の教訓

 虐待対策と同様、ここ20年ほどずっと対策を続けているにもかかわらず、あまり効果が見られないのが少子化対策。やはりここにも同じような面がある。ずいぶん昔には「女性は子どもを産む機械だ」という大臣の発言もあった。子どもを産まないなんてありえない、社会に「ただ乗り」しているようなものだ。そんな言葉を政策決定に関わるような人たちが何の根拠もなく言ってしまう。しかし人間の限られた側面だけを見て、良かれと思ってしたことが、大失敗になった事例は過去にもあると博士はいう。

 それは1930年から1940年ぐらいにアメリカの小児科病院で感染症が見つかったときの対策だ。院内感染が問題になったため、生まれた赤ちゃんが相互に感染しないよう一人ずつ箱に入れて誰も面会できないようにした。ところがむしろ入院によって子どもたちの状態が悪化する例が増えてしまった。もちろん栄養は足りているし、薬も与えている。「でも、赤ちゃんは誰にも会えないし、泣いても誰も来てくれない。実は医師たちのほうが本当に大事なことに気づいていなかったのです」

 死ぬなら家で看ますと言って親が自宅に連れ帰った子どもが元気に育つという例が続出した。「ここで子どもには社会的接触が必要なのだという認識がようやく生まれてきた」。まだ話もできない小さな子どもこそ、社会的な「接触」が必要だということを見落としていたのである。「哺乳類として生まれ育つということがどういうことなのか、生物としてどういう営みなのかということが忘れられていた」

バイオロジカリー・コレクト

 それを博士は「バイオロジカリー・コレクト」と呼ぶ。「ポリティカリー・コレクト」という言葉をもじったものだ。机上の議論を繰り返しているうちに「生物学的な正しさ」から徐々に離れてしまうことがある。それを生物学的に正しい方向に戻していく。それが生物としての正しい営み、すなわちバイオロジカリー・コレクトである。

 たとえば現在は、GDP(国内総生産)を伸ばすために、女性の労働市場への参加が期待されている。実質賃金も日本はずっと横ばいだから、家計を支えるために女性は働かねばならない。しかし「就労するということと、子育てをするということはそう簡単に両立できるものではない」と黒田博士は言う。ここに介護の問題も重なってくる。ベビーブーム時代の高齢者が75歳という後期高齢者になって施設ではなく家庭で見てもらうことを期待する、三世代同居を推進する政策も打たれていた。いわゆる「2025年問題」である。この対策を「少子化は内閣府、就労は男女共同参画、厚生労働省とか別々に組んでいるのでは、合わなくて当たり前です」

 調べたところ、日本人の子育て世帯の家事労働と就労時間を足した労働時間は世界最長だという。これを減らすというのであればわかるが、これ以上何かを盛り込めるのだろうか。政策の目標は、補助金を出したり、待機児童を減らすことだが、結局「それを引き受けていくのは人です。人というのは、社会的な存在でもあるけど生物学的な存在でもある。ただでさえ大変な小さい子どもの育児中に、就労や家事で労働時間が長くなりすぎると、育児ノイローゼやうつ的になりやすくなります。睡眠時間が少なくなると人はうつになります。結局は子どもにしわ寄せがいってしまう」

患者を全体像でとらえる

 こうした政策のコンフリクトは医療にも見られる。過去には「病気は治ったけれども患者は死んだ」と揶揄されたようなこともあった。人間の全体像を見ないと、臓器だけが治ればいいというものではないことはかなり医療では知られるようになってきた。「同様のことは政策でも起こっている」と博士は言う。

 政策を組み立てるときに使われる科学的知見に見落としているものがそれなりにあるということだ。あらゆることにそういったことは生じるものだとしつつ、黒田博士はこう言う。「その解決策としては、いろいろな分野の人が一緒に考えるということだと思います。」特定の分野では見過ごしていたり、当たり前すぎて気づかないことが多い。そこに違う分野の人が入ってくると、「どうしてそう思ったのかとか、ここを見落としているのではないかと指摘される。私も社会学や法学の先生と一緒に仕事をするようになって7年たちますが、いまだによく怒られます。けれども、それをやらないと、狭い分野で育ってきた研究者や行政官が、自分の見落としていた部分に自分で気づくのはやっぱり限界があると思います」

 これはなかなか手間のかかる作業だ。それほど手間のかかる作業をすることを選択したのにはもちろん理由がある。「そうしないと結局、子どもが幸せになれないからです。小さい子どもは自分では文句が言えない。自分が大変なのかどうかもわからない、話すこともできないという存在。親に負担がかかると最終的にしわ寄せがくるのは子どもです。子どもが自分でそれを言えないのなら、誰かがしないといけない」

子どもはロジックで動かない

 それは一つの科学分野だけでは解決できないのだともいう。たとえば児童虐待のリスク要因として、貧困はよく挙げられる。しかし貧困そのものが問題なのではなく、社会において子育て世帯の貧困にどう対処し支援するかという、社会の側の受けとめがより一層大事なのだ、という考え方である「Social Determinant of Health(健康を決定する社会的要因)については私も理解不足でした」と黒田博士は言う。「うつ、貧困、依存症などの問題をそれを持つ個人の責任に帰すのではなく、社会の中でどう受け止められ、どう支援されていくかという社会の責任と考えることで結果が全然違います」

 典型的にそれが表れたのがOECD(経済協力開発機構)の調査だ。子育て世帯の相対貧困率自体がOECD平均よりやや高いほうだが、一人親になると一気に3位と悪化する。日本では婚外子は少ないので、一人親になるという不測の事態が起きたときの支援がほかの国に比べて少ないことが考えられる。さらに、「配偶者の不幸や離婚などで一人親になると、貧困になりやすくなるだけではなく、家で子どもを見守る大人も減ってしまう。就労支援だけでは十分ではありません。子どもにとっては親と一緒にいる時間も必要なのに、そこも十分に対処されていない」

 子どもは大人のロジックで動いていない、と博士は言う。たとえば親子が一緒に座っていて、母親がちょっと何かをしようと席を立つと、「8カ月くらいの子どもは、この世の終わりみたいに泣くことがあります。8カ月ぐらいの子には、すぐ戻ってくるという親の言葉は理解できず、二度と母親が戻ってこないかもしれないと思うのかもしれません。そういう風に反応するようできているのです」

 子育てを大人のロジックで効率化しようという考え方は昔から存在した。中国の人民公社やイスラエルのキブツもそうだ。まとめてたくさん育てれば楽だろうと思ったけれども、結局はうまくいかなかった。「哺乳類の子どもは2億年以上もの間、よく知っている生身の人間に育てられて成長してきました。テクノロジーとかVRで生身の人間を代替しようとしても 、そう簡単にはいかないと思います」

虐待した親を支援する

「それに親の子育てのほうも、哺乳類進化の産物なんです。必ずしも親はロジックで育てているわけではありません。カッとなることもあります。24時間ずっと優しい気持ちでいることなんかできないのです。きれいごとではないのです」

 そういったことも、科学的知見がもっと世間一般に知られるようになれば変わってくるという。たとえば支援プログラムがある。親だって子どもをたたいたり、怒鳴ったりしたくはないけれど、どうすればそれ以外の方法で子どもに必要なしつけができるのかが分からない、と思っている人は多い。「実は、たたかずにしつけもできる、そういう子育てのコツを教えるいい養育者支援プログラムがすでにいくつもあります。ただ日本ではあまり普及していないのです。そこでこうしたプログラムを今回のプロジェクトではモニター事業として無償提供していました。こうしたプログラムを受けて、変わることができたと報告してくれた親たちがいる。プログラムの事前と事後で親たちの聞き取り調査をした児童福祉職経験者の人たちも、その体験を聞いて、効果があるんだと実感できた、いい経験だったと言っていました」

 プログラムを受けた受講者や、児童虐待によって実刑判決を受けた受刑者の人と一般の人にアンケートを行い、どのような背景要因が子育て困難に影響しているのかを調査中だ。小さい頃の保護者の状況、学歴、経済状態、発達の問題や依存症など脳機能に関わる要因もある。しかしそれらの中で一番大きな要因は「孤立子育て」だという。配偶者でも、地域の人でも、子育てを手伝ってくれる人、子育てに関して頼れる人がいるかどうかが、普通の子育てストレスでも、重度虐待でも、共通して重要な要因だということは、研究開始時点では予想していなかった。このことは、子育ての孤立を防ぎ、困ったときに頼れる支援体制を作ることが、虐待の予防にも再発防止にも効果的であることを示唆する。

 さらに、これらの子育て困難の背景要因はすでに知られているものばかりだが、「それぞれの要因が相互にどのような関係があるかまだよくわかっていなかった」そこで要因間の連関を多変量解析などで探索している。

 今の段階ではっきり分かってきたことは、「被虐待や生育環境の不安定は、低最終学歴につながりやすい。低最終学歴は貧困や若年出産 と相関する。これらは複雑な家族構成や育児ストレスを招きやすい。このように、1つのリスク要因がその後に別のリスク要因を招き、その連鎖によっていくつもの要因が同時にのしかかり、子育てが非常に難しくなってしまう」。これらの要因連鎖の中でもどれが特に影響するかを計算することができれば、そこをハブとして予防策を考えられるというのだ。たとえば少年鑑別所に来る子どもの多くに、困難な家庭環境が背景にある。「こうした子どもたちには就労支援だけではなく就学支援も大事という支援のポイントがデータとして見えてくる。そして自立支援施設や少年刑務所でも、データに基づく方針決定ができるようになる可能性があります」

 こうした分析を通じて、黒田博士が目指すのは「すべての子どもが安心して暮らせる社会」だ。「トータルで見て、まあまあ生まれてよかった、自分は生きる価値のある人間だと誰もが思えるようになることがゴールです」


(取材・前濱暁子、文・藤田正美)
2022年7月14日インタビュー

なお、こうしたデータを元に分析した著書が2022年12月に発行される予定である。

参考文献一覧

  1. Kuroda, K. O., et al. (2020). "Evolutionary-adaptive and nonadaptive causes of infant attack/desertion in mammals: Toward a systematic classification of child maltreatment." Psychiatry Clin Neurosci 74(10): 516-526.
  2. 黒田公美, Ed. (2022). 子ども虐待を防ぐ養育者支援, 岩崎学術出版. (12月刊行予定)

RISTEX 公式情報

  1. プロジェクト情報
    「家族を支援し少子化に対応する社会システム構築のための行動科学的根拠に基づく政策提言」
  2. プロジェクト報告書

研究代表者のプロフィール/コンタクト先

黒田 公美

理化学研究所脳神経科学研究センター親和性社会行動研究チーム チームリーダー

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E-mail: oyako.cbs[at]riken.jp

研究者Webサイト

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