戦後78年を経た日本では、インフラの老朽化が目立つようになり、それを効率的に保守管理していくことが大きな課題になっている。アメリカではつい先日も老朽化した橋が崩落し、バイデン政権は巨額の資金を投じてインフラ投資を行うと表明している。
しかしながら人口減少が進み社会が縮小しつつある日本では、従来あるインフラを保守管理するというだけでなく、インフラを選別する時代が目の前に迫りつつある。貝戸准教授の研究は、この老朽化したインフラを延命させ、どう効果的に維持管理するかという問題の解決につながるものだ。

はじめは造るほうになりたかった
貝戸准教授の修士課程での研究テーマは、長く巨大な橋だったという。「長い橋を造る上では、風による振動が一番問題になってくるんですね。それをどう抑えるかで、3、4,000メートル級の橋を造れるんじゃないかという研究をしていて、これは夢があるなと」(貝戸准教授)。ところが、博士課程で与えられたテーマはメンテナンスだった。それまで自分とはまったく関係ないと思っていた分野であり、戸惑いもあったが、「当時は阪神大震災からしばらくたった頃、老朽化したインフラをどう管理していくかというちょうどメンテナンスに移行するときで、研究が実装に直結するという意味でもタイミングが非常によかったんです」(貝戸准教授)。
その後、米国留学を経て橋梁の点検などを扱うコンサルティング会社に就職。現場で獲得された点検予測情報を、実務に使える情報(インフラの寿命)に転換するために大学に戻ってきた。
日本のインフラはきちんと保守点検されている。しかし…
米国ではニューディール政策で1930年頃に数多く作られた橋が、約50年後の1970~1980年代にいくつか落橋して大問題になった。日本も戦後の高度経済成長期に多く作られた橋や道路がある。米国のようなことが起きるのではないだろうか。
これについて貝戸准教授は、悲観的な見方はしていない。「日本の場合は、高速道路や国道などは法に基づいてきちんと点検や補修をしていますので、日本国内で、ある日突然、橋がばたばたと落ちるといったことは起きないだろうと思っています。ただ、老朽化が進んでいるのは間違いないので、何か起きたときに後から理由付けするのではなく、近い将来問題になる老朽化の対処方法を今からきちんと説明するための方法論を作っておく必要があります」(貝戸准教授)。
その点検結果の解釈については、すべて現場で作業するベテラン技術者の頭の中に入っているのだという。これを第三者にもわかるように、膨大なデータを統計分析して導いた劣化予測モデルを使って数値として表していく。
現場とのコラボレーションで精度を上げる
研究を進めながら、現場から得られた点検データを分析してインフラ管理者に結果を返していく。そのデータは実際にどのように使われるのだろうか。「まず、統計的な劣化予測で寿命がわかりますので、そこから何年後にいくらお金がかかるというような計算ができます。それをもとにマクロな予算計画を立てるというのに一番使われています。また、具体的にどの構造物が早く傷んでくるかというミクロの予測もできるので、補修の優先順位付けにも使っていただいています」(貝戸准教授)。
ただ、最初からミクロな分析を狙っていたわけではないのだという。「本社レベルの管理者と話しているとマクロな分析が喜ばれるのですが、事務所レベルではもっと細かな分析が欲しいと言われて取り組み始めました。ビッグデータやデータサイエンスといった時代の波に乗って、要望に応じたデータを出せるようになりました」(貝戸准教授)。また、現場の勘や経験も分析モデルにフィードバックしながら、より精度の高い予測値を出している。「現場にいるベテラン技術者の意見のほうが正しいことが多いんです。ですので、分析手法や方法論を変えることでお互い合意ができるところまでもっていった上で、その結果を使って補修の優先度を出すといったこともあります」(貝戸准教授)。
人が減っていくスピードのほうが早い
物を造る時代からメンテナンスの時代に変わってきたとはいえ、今まで造ってきた物すべてを保守していくとなると、それなりのコストがかかってしまう。すべてのインフラを維持管理して長寿命化させていくのか、それともある程度は廃棄したほうがよいのかという問題がある。人口が減少していくときに、この問題をどう考えればよいのだろうか。「ちょっと様子を見て廃棄するかどうか決めましょうというリアルオプション理論というのがあるんですが、それで計算すると結局のところ、インフラの様子を見ながら廃棄していく、その『様子を見る』スピードよりも、人が減っていくスピードのほうが圧倒的に早いんです」。だから廃棄はしなくていい。利用者が少なければ、大規模な造り替えでなく、最低限の手入れと補修で済むのだと貝戸准教授は言う。
それはそれでショッキングな話ではあるが、最小限のコストで維持管理していくような方向はあり得るということで、これからの人口減少社会の光明になる話だ。
少しずつ結果を積み上げた先にある信頼
とはいえ、インフラ管理者との協働の中では、なかなか言ったとおりには受け取ってもらえないこともある。いきなり「こういうすごい統計学の先端モデルがあるから使ってくれ」と言っても誰も使ってくれないということを常々感じているという。「ある地方自治体で舗装の分析をさせていただいたことがあるんです。どういう舗装が傷みやすいかなど、一生懸命分析しました。でも、結果がうまくいかなくて、管理者側と相当議論させていただきました。最終的に影響する要因というのは、舗装だから雨や交通量の多さなどではないかと思っていたのですが、実は、苦情のデータとわれわれの劣化予測の結果を重ねると非常に相関が高かったんです」(貝戸准教授)。苦情が多いところから直していくといった傾向が、データに影響していたのだ。そこまで丁寧に向き合う中で、結果に信頼が生まれ、使われるようになっていく。「努力を積み重ねるしかないかなというところです」(貝戸准教授)。
今はまだ山の6、7合目
データから劣化を予測して、現場にフィードバックをしていくとともに政策に反映することがゴールだとすると、今、山で例えると何合目まで来ているのだろうか。貝戸准教授は、「そうですね、8と言いたいところですけども、6、7かなというところですね」と答える。「メンテナンスのための計画を作る部分ではある程度目標が達成できているのですが、その立てた計画が正しかったのかどうかという検証もやらないといけないので、そういう意味では、まだ半分超えたあたりかなというところですね」(貝戸准教授)。
協働先のひとつに大阪市建設局の下水道部がある。5年前、貝戸准教授の分析結果を使って今後10年間の計画を立てており、ちょうど中間年次に差し掛かっている。5年前の計画が正しかったかどうか、検証結果が出たらそれをひとつのステップとしてまた結果を積み重ねていく必要がある。インフラの寿命と同じだけ時間がかかるということなのかもしれない。
インフラのありがたみがわかる状況を作らないことが重要
貝戸准教授は今後、実装に力を入れたいと語る。「橋などインフラの劣化予測というのは土木工学の領域なのですが、この研究成果を土木だけでなく他の分野にも展開していきたいですね」。ただ、と貝戸准教授は続ける。「インフラというのは、事故が起こらない、意識せずに日常生活が送れている、というのがいちばんいいことなんです。逆にインフラのありがたみがわかっていただけるということはそれだけの事態が起きたということなので、それを未然に防がなければいけない。そういう場面にならないことのほうが、むしろわれわれが目指すべき成果じゃないかと思います。」
私たちの生活を支えるインフラ、それを支えるために多くの人が携わっている。そしてそのインフラが安全に維持されつづけるために、多大なデータと研究が重ねられている。貝戸准教授の統計的予測技術もまた、人びとのかけがえのない暮らしと安全を守る一助になっている。
(まとめ・前濱 暁子、編集・北川潤之介)
2022年2月3日インタビュー