スター・サイエンティストを探せ
停滞日本を救うのは彼らの周りにできる知の集合体だ

牧 兼充
早稲田大学ビジネススクール 准教授

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 早稲田大学ビジネススクールで『科学技術とアントレプレナーシップ』というタイトルのゼミを受け持つ牧兼充准教授。まだ3年目だが人気のゼミだ。「本当に優秀な学生が多い。毎年、博士号取得者や医師など、理系の専門性の高い人材が応募してくれます」

 ゼミの目的は、サイエンスとビジネスをつなぐことだ。その中でも大事な要素は「学生が新事業を創出することだと思います。ゼミの活動を通じて、多様なアントレプレナーと交流することで、学生の起業指向が強まっていくのが望ましい」と牧准教授は言う。

牧 兼充

周囲にインパクトを与える研究者

 こういったゼミが人気になるのはやはり時代背景もあるだろう。人生100年時代と言われ、学び直すという人が30代後半でも増えていること。それに理系の学生がアントレプレナーシップに興味を持つようになっていること。さらにサイエンスとビジネスをつなぐことが今まで以上に重要だと思う人が増えていること。この3つの要素があると、牧准教授は指摘する。

 そもそもスター・サイエンティストとはどういった人々を指すのか。牧准教授がリーダーとしてまとめた『スター・サイエンティスト白書2020』から引いてみる。

 「スター・サイエンティストとは、卓越した研究業績を残す少数のサイエンティストを指し、通常の研究者に比べて、多くの論文を出版し、多くの被引用を集め、特許を数多く出願する。また通常のサイエンティストと比較して優秀な博士課程の学生やポスドクを育成する傾向がある。スター・サイエンティストは通常の研究者と比べ、ベンチャー企業を設立する傾向にあり、またスター・サイエンティストの関わるベンチャー企業は他のベンチャー企業に比較して、高い業績を生み出している。更に産業界と関わるスター・サイエンティストは、研究業績も上がるという、サイエンスとビジネスの好循環が発生すると言われている」

サイエンスとビジネスの好循環

サイエンスとビジネスの好循環

ベンチャー企業と関わるスター・サイエンティストは、論文数および被引用数ともに大きくなる傾向がある。ベンチャー企業に直接関わるサイエンティストのほうが研究業績の質も高い。

出典:Zucker & Darby(2007)“Virtuous Circles in Science and Commerce”より転載。翻訳は牧准教授による。

 ただ厳密な定義という意味では、アカデミアの世界でもまだバラバラで、それぞれが微妙に異なる定義をしていると牧准教授も指摘している。それでも「特定のサイエンスの分野で周囲にインパクトを与えるような卓越した研究業績を挙げた人」を指すというところでは概ね一致するという。

 ビジネスの分野ではなく、研究の分野でインパクトを与えている研究者を抽出しているというところがポイントだ。その定義でスター・サイエンティストを選び、リストを作って業績を見ると、実は結果的にベンチャー企業もたくさん作っていることが分かる。したがって、ベンチャー企業を多く起業している研究者をスター・サイエンティストと定義しているわけではない。むしろ「基礎研究に集中すればするほど、結果的に社会に貢献しているという現象が見られるところが興味深い」と牧准教授は言う。

絵に描いたようなスター・サイエンティスト

 それでは日本でスター・サイエンティストとして挙げられる人はどんな研究者か。ビジネス・スクールのケース教材として牧准教授が選んだのが、慶應義塾大学先端生命科学研究所の冨田勝所長だ。もともとはAIから入り、音声自働翻訳の研究をした。そして「ヒトゲノム計画」に興味を持ち、生命現象をコンピュータで解析するようになった。「アメリカで言われているスター・サイエンティストを絵に描いたような人です。冨田所長の周辺ではベンチャー企業がどんどん生まれていて、エコシステムまでできています」。

 これまで日本では、ベンチャー企業がなかなか生まれにくい風土があった。高度経済成長期からバブル崩壊までの間は、イノベーションを起こすのは大企業の研究所で、それを多角化という形でビジネスを広げる。それを企業グループのなかの銀行が融資をする。これが「勝ち組」パターン。それに対して、この枠組みの外でベンチャー企業を作るというのは「負け組」という感覚がずっとあった。「それが一番の理由で(日本では)ベンチャーが生まれづらかった」と牧准教授は言う。

 状況が変わった要因の一つは、イノベーションそのものが複雑化してきたからだ。たとえば半導体の研究なら、より速くするという目標がある。つまり「正解のあるイノベーション」。しかし今は「実際にやって試してみないと分からない」(牧准教授)という「正解のないイノベーション」が重要になっている。たまたまうまくいったものを選んでいくというプロセスは、稟議を通して決裁していく大企業の文化とは合いにくい。たくさん試してみて、うまくいくものもあるけれど、たくさんの失敗があるというイノベーションはベンチャーのほうが相性がいい。

アメリカ一極集中はうまくない

 冨田所長のようなケースはどのくらい生まれているのか。牧准教授たちが作成したデータセットのベータ版で、121人の研究者を調べたところ、そのうちの11人が起業していたという。11分の1という計算になるが、「それほど低いわけではない」と牧准教授は言う。そもそも研究者の仕事は研究することであって、起業することではないからだ。

 しかし121人という母集団はもっと増えるべきだと牧准教授は言う。「国際競争の中で日本のスター・サイエンティストの数は減り続け、アメリカに一極集中という形になっています。日本の産業の発展という意味で考えるなら、増えるべきだと思います。それに、すべてがアメリカのイノベーション・システムに組み込まれていくのはやはり問題があって、サイエンティストはやはりいろいろな国で活躍していくようにならないと行けないと思います」

アメリカが圧倒的にトップ

スター・サイエンティストの数でみた国別ランキング 2019年

この図では日本は11番目だが、実際には12位だ。中国のはるか後塵を拝している。ただし、ファンディングのあり方などアメリカ的なモデルにも問題がないわけではない。

 昨年、スター・サイエンティストの研究の中で最も話題になった論文がある。タイトルは『サイエンティストの葬式のたびにサイエンスは進むのか?』である。新しい分野を切り開いた研究者が亡くなると、予想に反してその分野が一気に広がる、というのだ。スターがいなくなることで、異なる分野の人が違うアプローチで参入してきて、研究者コミュニティが多様になる。逆に言うとスターが他の研究者の邪魔をしていたというのである。実は、これはアメリカではよく見られる現象だ。スターになった研究者のもとに資金が集まり、他の研究者に回らなくなる。その意味でも、アメリカにあまりサイエンティストが集中してしまうと、その歪みがひどくなるのではないかと牧准教授は言う。

 ではスター・サイエンティストを生み出すにはどうしたらいいのか。「アメリカの場合ですけど、ミッションのようなものを持っている人がとても多い。研究のための研究ではなく、世の中をよくするとか、患者を救いたいとか、そのための手法が研究だと考えている人がとても多いと思います」(牧准教授)

 加えて、と牧准教授は続ける。「スターになるための条件は、上につぶされないことです。分野の選び方がうまくて、学際領域で上の人がいない分野を選んでいるというのも傾向としてはあるかもしれない」

 もしスター・サイエンティストになる条件を分析することができれば、そういう環境を整備することによって、より多くのスター・サイエンティストを生み出すことができるかもしれないと牧准教授は言う。アメリカの事例としては、「若いときに特定の特性を持ったファンディングを貰っていることがとても重要だということです。ルールが緩くて、テーマを途中で変えてもいい、失敗してもいいというような大型のファンドを得ていると、クリエイティブな研究ができて、そこから出世する傾向にあります」

国の機関が圧倒的に強い

スター・サイエンティストの数で見た日本国内の機関別ランキング(全分野)2019年

民間のファンドが増えれば勢力地図も変わってくるのだろうか?

 それとは逆に、毎年評価して来年までに成果を出せというようなファンドでは、だいたいの人が大きく伸びないという。ただ日本では、長期スパンのファンドはあまりない。「アメリカではハワード・ヒューズ財団のファンディングがライフサイエンス分野では登竜門みたいになっていますが、残念ながら日本ではそういう財団はありません」(牧准教授)

 たしかに税金でファンディングをしているような場合、納税者への説明責任がある。その意味では、失敗することを初めから許容しているようなファンディングは政治的にも成立しづらい。アメリカでもNIH(アメリカ国立衛生研究所)などの研究資金だとやはり縛りはきつい。だから研究者の独創性を育てるような資金となると「やはり民間資金ということになるでしょうね」と牧准教授は言う。

 ただ、そうなるとだんだん「アメリカモデルに近づいてしまう。結局、特定のスター・サイエンティストにばかりファンドが集まるようになって、アメリカと同じような問題が起きることになるかもしれません。でもとりあえずいま必要な一歩としては、緩い民間のファンドの存在ですね」

不足している研究者の「物語」

 アメリカの場合は、個人の財団に研究プロジェクトを売り込むことが重要だ。牧准教授によれば、イノベーションを進めるためにストーリーテリングのスキルを上げることの必要性が高まっているという。「山中伸弥教授も自分の仕事はストーリーテリングだと言われていました。そこが下手だと民間からの資金もなかなか集まりません」

 もう一つ日本に欠落しているものがある。牧准教授は言う。「日本の研究者がファンディング・エージェンシーから資金をもらったとき、これが納税者との契約であるということを忘れている。社会にきちんとフィードバックしていくという社会の仕組みを理解していない研究者が多い」日本は、アメリカに比べ研究者のナラティブ(物語)を発信していくことへの意識が薄い。それはメディア側の責任でもあるが、同時にアカデミア側の責任も大きい。

 そういった研究者の意識が変わり、そしてすぐに成果を求めるファンドだけではなく、研究者を育てるような「緩いファンド」ができてくれば、スター・サイエンティストはもっと育つようになるのかもしれない。牧准教授は言う。「このプロジェクトで、スターにお金が集まるようなデータベースを作り、富裕層からお金を集める。そんな循環ができればいいなと思っています」

 日本でも、内閣府の主導で「ムーンショット型研究開発制度」がスタートする。「失敗を許容」しながら挑戦的な研究開発を推進するのが狙いだ。ファンディングする側が、研究者に失敗しないよう求めるあまり、結果として「正解のあるイノベーション」ばかりが追求されてしまうという循環から日本がこれで脱却することができるのかどうか。「正解のないイノベーション」が多くの「失敗」の上に成り立つのだとすれば、これらの「失敗」をどう評価するのかが何よりも重要だろう。


(文・藤田 正美)
2019年11月20日インタビュー

参考文献一覧

刊行物

  1. 牧兼充、「スターサイエンティスト研究で明らかになった『失敗のマネジメント』がイノベーションを生む」、Diamond Harvard Business Review、pp. 28~39、March 2020
  2. 牧兼充・木村公一朗、「序章 東アジア経済の変化」、『東アジアのイノベーション』、作品社、2019年11月
  3. 牧兼充・長根(齋藤)裕美、「1.1.4 スター・サイエンティスト サイエンスとビジネスの好循環が新産業を創出する」、科学技術イノベーション政策研究センター編「科学技術イノベーション政策の科学: コアコンテンツ」、2019年4月
  4. 牧兼充・吉岡(小林)徹、「1.1.3 大学発ベンチャー」、科学技術イノベーション政策研究センター編「科学技術イノベーション政策の科学: コアコンテンツ」、2019年4月

学術論文・招待論文

  1. 牧兼充・福嶋路「サンディエゴのエコシステムの形成 -産業集積からエコシステムへ-」、日本ベンチャー学会誌、Venture Review No.35、2020年3月
  2. 長根(齋藤)裕美・福留祐太・牧兼充「どのようにスター・サイエンティストを同定できるか? : 多角的視点から見た日本のスター・サイエンティストの分類と全体像」、研究技術計画, 34(2), 116-128, 2019
  3. 隅蔵康一・菅井内音・牧兼充「日米における高被引用研究者の現状 : 東大・京大とUCSDに着目して」、研究技術計画, 34(2), 139-149, 2019
  4. 牧兼充、「日本はいまだに起業後進国なのか?―科学技術からの新事業創出の変遷―」、Nextcom 34、 2018年6月、pp.21-29
  5. 斎藤裕美・牧兼充、「スター・サイエンティストが拓く日本のイノベーション」、一橋ビジネスレビュー2017年夏号、pp. 42-56

Working Paper、等

  1. 佐々木達郎、石井美季、牧兼充「サイエンティスト冨田勝」、ケーススタディ、2019年10月
  2. 牧 兼充、菅井 内音、隅藏 康一、原 泰史、長根 (齋藤) 裕美、「スター・サイエンティストの検出とコホート・データセットの構築」、Working Paper、2019年11月
  3. 宮地 恵美、牧 兼充、「この30年間、日経新聞はスター・サイエンティストをどう報道したか?」Working Paper、2019年11月
  4. 牧 兼充、隅藏 康一、菅井 内音、林 元輝、赤穂 龍一郎、「スター・サイエンティスト白書2020」Working Paper、2020年1月
  5. 長根(齋藤)裕美・牧兼充、「日本のイノベーションとスター・サイエンティストの役割:現状と課題」、SciREX Working Paper [SciREX-WP-2018-#01]、2018年6月

RISTEX 公式情報

  1. プロジェクト情報
    「スター・サイエンティストと日本のイノベーション」(H29~R2)
  2. プロジェクト報告書

研究代表者のプロフィール/コンタクト先

牧 兼充

牧 兼充

早稲田大学ビジネススクール 准教授

略歴

慶應義塾大学環境情報学部卒業、政策メディア研究科(修士)、カリフォルニア大学サンディエゴ校にて、博士(経営学)を取得。慶應義塾大学助教・助手、カリフォルニア大学サンディエゴ校講師、スタンフォード大学リサーチ・アソシエイト、政策研究大学院大学助教授を経て現職。日米において、大学を基盤としたイノベーション・システムの構築に従事。特に日本においては、政府、地方自治体、大学等の委員会に関わり、有効なイノベーション政策のあり方について模索している。

研究テーマ

テクノロジー・マネジメント、イノベーション、アントレプレナーシップ、科学技術政策、大学の技術移転、大学発ベンチャー

連絡先

TEL:03-5272-1632
e-mail:kanetaka[at]kanetaka-maki.org

研究者Webサイト

https://www.kanetaka-maki.org/

http://www.stentre.net/