ある程度、年齢を重ねてくると、自分が住む地域の医療機関のことを気にする人が増えてくる。地元にいい病院があれば、老後も安心して暮らせるかもしれないが、人口が減少し、高齢化が進む社会では、そもそも地元に病院があるかどうかさえ怪しくなる。実際、北海道の夕張市では病院がなくなった。
こんな例もある。首都圏のある県で、市立病院の再建を公約して当選した市長が、結局、医師が常駐する病院をつくることができなかった。医師が集まらず、病院経営が成り立たなかったからだ。だから引退したら大都市に移住する人が増える。人口が減少する都道府県で中心都市の人口が増えるのは、そこに大きな病院があるからだ。

心筋梗塞と脳卒中を中心に解析
とはいえ、全国344の二次医療圏にある基幹病院(入院治療を必要とする重症患者の医療を担当する医療機関で、地域の中核的病院、専門性のある外来や一般的な入院治療を行う)には治療能力に「格差」がある。国民は全国一律の保険料と治療費を払っているのに、現実には受けられる治療に差がある。
その格差を解消するには、格差を可視化した客観的なエビデンスが必要だ。今中雄一京都大学大学院医学研究科教授が手をつけたのが、全国の医療データであるNDB(ナショナルデータベース)を使って解析することだった。解析する病気は、地域医療計画にある5疾病(ガン、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、精神疾患)と5事業(救急医療、災害時における医療、へき地の医療、周産期医療、小児医療)だが、「とくに心臓と脳に力をいれている」(今中教授)という。「心筋梗塞とか脳卒中(この中には脳梗塞や脳出血、くも膜下出血も含む)になったときは早く治療を受けないといけない。地域ごとの仕組みをきちんとつくっておかなければならない領域だからです」
脳梗塞の院内死亡率にはこんなに差がある
性別・年齢で調整(全国二次医療圏別)

全国の二次医療圏:2012年厚労省の悉皆DPCデータ
脳梗塞や心筋梗塞の治療には迅速に対応できる医療チームが必要だ。システムがあるかないで治療成績に大きな差がつく
例えば、京都府の北のほうで心筋梗塞を起こした患者を、その地域で治療できる態勢がなければ、京都市まで行かなければならない。しかし患者にとって、それだけ移動する余裕はない。「肺ガンなどであれば、京都府のどこからでも患者は京都市に来ることができる。もちろん地元で治療できればいちばん患者も楽でしょうが、あらゆる地域にそういった能力をもつ病院をつくることは、予算上からも専門家が必要ということからも無理です。ですから5疾病の中でも心筋梗塞と脳卒中に関しては地域の仕組みづくりがとても重要になります」
「格差公表」は混乱を呼ぶ?
解析結果が出たところで次のハードルに突き当たる。結果を各地域で共有して、それを地域の医療システムを是正するためにはどうしたらいいか、ということだ。国の行政、都道府県の行政、医療団体などに打診してみると、そういった地域格差を可視化したデータを出せば混乱するかもしれないという声が出た。
そこで、全国的に意見を聞いてみることにした。都道府県知事、都道府県医師会の会長、病院団体の長、都道府県ごとにある保険者協議会、日本全体の医師会、日本病院会とかいろいろな団体にも聞いてみた。その結果「8割ぐらいの人は公表に賛成してくれるのだけれども、1〜2割は非常に反対が強い。とても強力な反対です」
別にスコアが悪いところが反対したわけではない。アンケートそのものは、スコアをまだ提示しない段階で行ったもからだ。そのため、今中教授は、データを公表する形を示して、もう一度アンケートを実施した。すべての解析結果を公表するのではなく、ある地域のスコアは他の地域には分からない形にすることを前提にしたのである。その結果、やはり1割ぐらいの反対は残ったものの、全体的には賛成してくれる人が増えた。
もともと、解析の目的は、地域の医療にランキングをつけることではない。それぞれの医療体制にどのような弱点があるかを分析して、それを是正して全体の平均点を上げることを目的としている。「すべてのデータを公表するのではなく、まずは行政と医療の間で共有することを望んでいる人が多い。われわれもそれでいいと思っている」
反対する理由も理解できないわけではない。それぞれの地域の医療に関わる当事者は真面目に仕事に取り組んでいる。そこに「スコアがぽんと出てきて、たまたま悪いということで批判されるのでは、物事はうまく進まないのではないか」と今中教授は言う。必要なことは医療者側と行政とでエビデンスを見て、自分たちの状況を把握する、そして対策を立てて、具体的に手を打つことだ。
実際にスコアを出してみて、今中教授が感じたのは、思った以上に各地域で差があることだった。急性心筋梗塞になって死亡する率が地域によってかなり違うのだ。そこに住む住人の構成も異なることが背景となっていることもあるから、その調整をした上でのことだが、それでも地域格差は残る。
人よりもシステムが重要
今中教授は言う。「拠点病院が1カ所大きなところがある場合と、例えば4カ所に分散しているような場合を比べると、やはり後者のほうが成績があまりよくないという状況がはっきりと見えてきた」
メディアには、「病気になったらかかりたい病院」とか「日本の名医」といった企画が並ぶ。地方にはいい医者がいないという思い込みもある。しかし実際に地域医療の質を決めているのは何か。
今中教授は言う。「それは医療の内容にもよります。少なくとも5疾病5事業のような大きい領域では、やはり個々の医師がどうのというより、組織とシステムが大事だと思います」
「たとえば急性心筋梗塞を治療するとき、基本的にはカテーテルで行います。しかし患者がいつ来るか分かりません。医療の側から言うと、24時間対応できる態勢を整えなければならない。それにカテーテル検査、治療ができる機械も必要です。手術のチームもいります。それが終わったらCCU(冠疾患集中治療室)や集中治療室で管理するわけですが、そのメインになるのは看護師です。つまり優秀なメディカルスタッフがいるかどうかでも違ってきます。そこからは24時間体制で患者を見守るので、当然1人ではできません。結局数人以上のチームができているかどうかで、治療成績はまったく違ってきます」
実際に、医師の数はそれほど変わっていないのに、チームができたら患者の死亡率が数年で急激に下がった例もある。もっともすべての医療でこうしたことが言えるわけではない。組織やシステムに意味があるのはある程度、医療資源の集中が必要な領域だ。普通の外来診療や糖尿病の管理とか血圧の管理では、むしろ集中するより患者にとってアクセスがよくて、それぞれで質が高い医療が必要だ。
最近話題になっている白血病や舌ガンといったガンなどは、心筋梗塞などのように迅速な治療が要求されるわけではない。しかしまず正確な診断が必要であり、手術や放射線治療、化学療法などそれぞれ専門性があるため、専門家がたくさん集まっている拠点病院が必要だ。
そういう意味では、「現在の病院の機能区分を、漫然と高度急性期、急性期とかいうのでは足りない」と今中教授は言う。「たとえばこの地域の急性心筋梗塞や脳卒中はここで全部やるというように、最初の治療の拠点を明確にすることが必要でしょう。それができれば、連携もその後の回復期、療養期とか在宅の仕組みしっかりしてくるのではないかと思います」
市民とメディアの理解が必要
しかし医療資源を集中させると言っても簡単ではない。もし既存の病院を統廃合して拠点病院にするという構図になると、それをどこに置くのか、地方自治体などではそれぞれの言い分が対立する。それはよく見られることだ。それぞれの地域が頑張ってしまえば、結局、住民はいい医療が受けられないという結果にもなる。「あっちの市に頑張ってもらって、みんなで連携したほうが、こっちの市の住人にとってもベネフィットが大きい。こういう議論をしなければならないけれども、そのためには数字が必要です。いまある自分のところの病院を守っていても結局、治療成績はよくならないことをエビデンスを見せて説得しないと分かってもらえない」
ただ今中教授は悲観してはいない。データが然るべきところで共有されれば、それほど抵抗はないと考えている。むしろ気になるのはマスコミだ。マスコミが協力的かそうでないかによってかなり左右されてしまうのではないかという。「混乱が生じるといってスコアを完全に公表しないほうがいいのではないかと言っている人は、世に出た時にたまたま数字が悪い状況を攻撃されたりすると、皆が冷静に動けなくなるのではないかと心配している。議論が本来の主旨からずれていくかもしれない」
メディアと共に気になるのが、住民の感情だ。地元の病院のスコアがあまりよくないとしても、それは行政の責任だと考える人が少なくあるまい。同じ健康保険料を払っているのだから、その受益は公平であるのが当然だという議論である。その一方で、自分たちは医療を受ける側にすぎず、自分たちも地域医療のステークホルダーだとは考えない。しかし、と今中教授は言う。「これからヒト、モノ、カネという資源がますます足らなくなります。そういう状況の中ではすべてのヒトが力を出し合って地域の医療をつくっていかなければならない。市民の役割はきわめて重要です。それをわれわれは社会的協働と呼んでいます」
一般市民の意識を今中教授はインターネットで調査した。病院のスコアをつけたとき、その公開を求めるかどうか、自分たちが住む地域医療の指標を知りたいかをオランダと日本で問いかけた。人口構成や男女比などをそろえて1000人強に聞いたその結果は驚きですらある。オランダはイエスと答えた人が77%、日本はわずか45%。さらに驚いたことがある。全国で同じようなレベルのケアが必要だと思うかという問いかけたところ、オランダの場合は年齢によるサブグループで回答に差はあまりなかった。しかし日本は、女性の高齢者の74%がそうしたケアを望むと答えたのに対し、若者のグループでは28%しか気にしていない。オランダの場合は、このグループでも約6割はいる。
今中教授は言う。「別に医療だけではなく、社会保障の重要性とか、社会保障はどうやって成り立っているのか、そういうことも含めてきちんと教育しなければならないのではないでしょうか」
とりわけ今後の医療のあり方を考えるとき、人口減少社会の中では負担と受益のバランスをどう取るかがますます厳しく問われてくる。これまでのように右肩上がりを前提に、いつか自分にもパイが回ってくるという考え方は通用しない。受益者の立場にいる消費者も、地元の利益というだけではない視点が必要になる。言葉を換えれば、権利だけではなく義務をより強く意識した行動が必要になるということだ。地域医療の格差の実態と改革に科学的な根拠を与えようとする今中教授の研究は、日本社会のもつ構造的な病根にもメスを入れることになりそうだ。
(文・藤田 正美)