きっかけは東日本大震災
2011年3月11日、東日本を巨大地震と巨大津波が襲った。それによって東京電力福島第一発電所は全電源喪失という未曾有の事態に陥り、炉心溶融にいたった。近代日本が初めて体験する巨大災害を、古田一雄東大教授は複雑な思いで見つめていた。
もともと古田教授の専門は原子力安全だったが、大震災当時、いわゆる原子力ムラからは離れていた。1999年の東海村JCOで臨界事故が発生したとき、避難が必要となる事態はありえるし、避難訓練はした方がよいと考えていた。この事故では、大量の放射能を浴びた作業員2人が死亡し、多くの住民が避難した。原子力ムラがまさに「ありえない」としてきた事故だった。
古田教授は言う。「日本は危機に対する備えというか心構えがなってない。起こってほしくないことは起こらない、だから考えないという逆の言霊信仰の世界がずっと続いている」

必要なのはシステム論的研究
米国ではクリントン政権(1993〜2001)の末期ごろから、重要インフラを老朽化から守るという話が出ていた。そこに2001年9月11日の米国同時多発テロが発生し、老朽化、災害だけでなくテロといった事態も含めて、インフラの相互依存性解析という話が出始めていた。しかし日本では、この分野はほとんど手つかず状態だった。シミュレーションもできず、定性的な話に終始していたという。
相互依存性の概念図

出典:JST RISTEX 研究開発実施終了報告書
重要インフラは相互に関連し合っている。(総合的に)レジリエンスを評価しようとする場合には、各インフラの脆弱性や耐久性を個々に分析するだけでは不十分であり、インフラ間の複合的な関係性を前提とした被害想定と復旧プロセスの評価が不可欠である。
インフラ相互間のネットワーク関係

出典:K. Furuta, R. Komiyama, T. Kanno, H. Fujii, S. Yoshimura, T. Yamada (UTokyo),
“Resilience Analysis of Critical Infrastructure”,
10th International Conference on Computer Engineering and Applications (CEA’16),
Barcelona, Spain, 2016.2.14.
重要インフラ間の相互依存性の分析については、各インフラがどのような要素によって構成されているかに分解したうえで、各要素と他のインフラとの結び付きを考慮することで、各要素の欠損が他のインフラに与える影響を分析できるようにした。
ここには日本なりの事情もある。インフラが欧米に比べて比較的強固であるという事実だ。たとえば電力。日本の電力はまず停電しない。停電したとしても復旧が早い。もちろんそこにはハード面を強化することを得意としてきた日本の体質もあるだろう。日本は「事故など起きないように頑張ってしまう。そうすると、『起きたときのことは考えなくてもいい』という話になってしまう。原子力安全はその典型だった」と古田教授は言う。
しかし、心配されたのは、インフラが次々と被害を受けて広がっていくという現象だった。そこで研究課題として挙げられたのが、エネルギー需給、交通物流、上下水道、情報通信ネットワークのそれぞれのシステムを重ね合わせた全体モデルの構築と複合的な相互依存性解析である。その結果に基づいてようやく、リアクティブ(状況に応じた)な復旧計画を立てることが可能になる。さらに危機管理政策を議論する際のレジリエンス分析や政策的・制度的な選択肢の研究も加えられた。
30×30メッシュ状のモデル

出典:JST RISTEX 研究開発実施終了報告書
オープンデータをベースにしながら、東京都23区を30×30のメッシュ状にモデリング。中央防災会議首都直下型地震対策専門調査会が作成した震度予測データを利用し、震度に比例した被害を重要インフラごとに設定した(重要インフラの位置情報等については、正確な情報が公開されていないため仮説を含む)。
レジリエンスマップ


出典:JST RISTEX 研究開発実施終了報告書を基に作成
※白地図は「CraftMAP(http://www.craftmap.box-i.net/)」から作成
総合的なレジリエンス度合いを直感的・視覚的に示すことにも取り組んでいる(レジリエンスマップ)。市民生活、産業、ライフラインの3つのカテゴリについて、災害発生後の復旧過程における復旧度合いを色によって示した。赤色は機能していない状態、白色は復旧した状態を示している。
下図は、市民生活の復旧度合について、時系列的な変化がわかるようにアニメーションで示したもの。
いちばんの特徴は、複合インフラの相互依存性解析にある。解析するためのシミュレーションモデルでは、東京23区を1キロメートル四方のメッシュに区切り、それを使って災害が起きた後の復旧度(レジリエンスカーブ)を評価できるようになった。欧米の相互依存性解析と違うところは、インフラだけではなく、その上にあるサービスや市民生活のモデルが入っていることだと古田教授は説明する。「生活者の観点からレジリエンスを評価するというのがポイントだ」
レジリエンスカーブ

出典:JST RISTEX 研究開発実施終了報告書
首都直下をベースのシナリオとしたうえで、パンデミックや湾岸地域における大規模被害等の重畳的なケースにも対応したシナリオを用意。災害発生後のタイムラインとパフォーマンスの変化を示した復旧曲線(レジリエンスカーブ)を描出することで、シナリオごとに復旧度合いに変化が生じることを示している。
災害がいつどのような形で襲ってくるか、分からない。東海地震は予知できるとして、それを前提にして立てていた防災対策をも、予知できないことを前提に対策を立て直すように改められた。どういった「想定」をするかによって「想定外」が生まれてしまう。
東日本大震災でも、あちらこちらで想定外が発生した。福島第一の炉心溶融がその最たるものである。日本の電力事情からすれば、全交流電源喪失というような事態はありえないとされてきた。たとえあっても、短時間に復旧できるので、原子炉の冷却にはなんの問題もないとされてきたのである。しかし3月11日、発電所に外から電力を供給する鉄塔が地震で崩壊し、かつ非常用電源は津波による浸水で動かなくなり、全電源を喪失して冷却できなくなった。
危機管理の概念図

出典:フィンランド国家緊急供給局 National Emergency Supply Agency(NESA)
危機管理はいくつかのフェーズから構成される。ある重大な事件が発生した際のダメージを軽減し、復興にかかる時間を短縮するためには、日常的なリスク管理の重要性はもちろんだが、万が一の時の対応方法と必要な手続きが実行可能な形で事前に定められているかがポイントとなる。
この研究では、多様なシナリオを検討しようとしていた。しかしそれには計算の負担があまりにも大きく、現実には、首都直下地震のケース、そこにパンデミック(広域感染)が重なったケース、そして湾岸部被害拡大のケースと3つのシナリオが検討された。
もっとモデルの精度を上げたい
ただこのモデルでも「かなり抽象的で、もっともっと精度を上げたい」と古田教授は言う。たとえば「サービスと言っても、何となく物流が滞るということは入れてあるが、金融とか行政サービスのようなものは入っていない」。個別具体的なサービスが入らないと、リアリティに欠けるというのである。
モデル構築でもう一つの問題は、インフラのデータがなかなか手に入りにくいということだ。たとえば電力。各電力会社とも送配電設備の詳細は、非開示になっている。万が一、テロリストなどに襲われるようなことがあれば、たちまち電力は麻痺するからだ。研究用といえどもそのデータは公開してくれない。電話など通信網に関しても、もちろん各社は細部までは公開しない。道路情報にしても地図はあるが、何車線かとか信号の仕様といった情報はない。もしこういう情報があったとしても、それをデータとして入力するのはカネも人手もかかる。
古田教授は言う。「このシミュレーションを元にして対策を立てる、たとえばどこに物資の集積所を置くとかいうのであれば、もっと細かいリアリティが必要だ。しかし政策決定の支援として使うなら、それほど細かいリアリティは必要ないと考えている」
政策決定の支援とは、こういう事象が起こるので、こういう法律をつくるとか、異なるセクター間の連携組織が必要だというようなことだ。このような定性的な提言をまとめる分には、あまり細かくなくても大丈夫だと古田教授は言う。
枠を超えた協力体制が必要
この研究をさらに進展させる上では、やはり最も必要なのはインフラのデータだ。しかしそれぞれのインフラの管理者の立場からすれば、詳細なデータを提供するのは難しい。電力や通信、上下水道などでも、それぞれに万全を期してやっているのはよくわかる。それだけに「壊れたらどうするかは考えたくないのだろう」と古田教授は言う。
それにもう一つ、と古田教授は付け加えた。「危機管理は想定通りに行かなかったときに責任を問われない」ことが必要だという。すべて対策が出来ているから大丈夫だと答えなければならないという風潮をなくすべきだという。「もしものことがあるかもしれません、と口が裂けても言えない風潮が生まれてしまう」
本来は国家プロジェクトで
もう一つ欲を言うなら、こういった研究は、本来、国家的なプロジェクトで行われるべきだともいう。たとえば米国では、DHS(国土安全保障省)が資金を出して、米国国内だけでなく世界中の大学に研究をやらせている。それだけではない。DOE(エネルギー省)の国立研究所では、かつて原子力のシミュレーションをやっていた研究者たちが、こうしたインフラの相互依存性解析をしている。
そういった観点からこのプロジェクトを見ると、もはや「予定調和」の世界ではないと感じる。古田教授は、このプロジェクトの成果を発表するときにこう言ったと聞いた。「もう想定外とは言わせない」。これこそわれわれが肝に銘じておくべき言葉かもしれない。
【取材協力】
谷口 武俊 東京大学政策ビジョン研究センター教授(プロジェクトメンバー)
菅野 太郎 東京大学大学院工学系研究科准教授(プロジェクトメンバー)
(文・藤田 正美)