量子技術を適用した生命科学基盤の創出

1.研究領域の概要

 本研究領域では、量子科学・量子技術を生体や生体分子の計測に応用することで、量子科学の分野と生命科学の分野の交流と融合を促進し、生命科学を革新的に発展させることを目的とします。
 近年、量子科学の発展により、量子科学を基盤にした量子ビーム、量子スピン、光量子センサー、量子エレクトロニクス等の技術は量子暗号通信やtime crystal(時間結晶)の実現に至るような著しい進展をみせており、我が国でも世界をリードする技術シーズが創出されています。こうした量子技術は、生体分子の動態や相互作用を検出する新規生体計測技術の開発等のテクノロジーの創出や、生命現象の中の量子的な現象の生命科学的意義を見いだす等の革新的なサイエンスへの展開が期待されているにもかかわらず、十分に進んでいるとは未だ言い難いのが現状です。そこで本領域では、量子技術のライフテクノロジー分野での積極的な応用を促すことで生命科学分野の一層の発展を目指します。

2.事後評価の概要

2-1.評価の目的、方法、評価項目及び基準

「戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発及び先端的低炭素化開発を除く。) の実施に関する規則」における「第4章 事業の評価」の規定内容に沿って実施した。

2-2.評価対象研究代表者及び研究課題

2017年度採択研究課題

(1)石綿 整(東京工業大学 工学院 研究員/科学技術振興機構 さきがけ研究者)
NVセンタデルタドープ薄膜による生体分子の機能・相互作用解析

(2)井手口 拓郎(東京大学 大学院理学系研究科 准教授)
超高感度ラベルフリーイメージング法の開発

(3)衞藤 雄二郎(京都大学 大学院工学研究科 准教授)
広帯域スクイーズド光源による低侵襲深部多光子分光

(4)鬼頭 宏任(神戸大学 大学院システム情報学研究科 特命准教授/科学技術振興機構 さきがけ研究者)
量子シミュレーション技術による未知の生体電子移動/機能発現の探索

(5)島添 健次(東京大学 大学院工学系研究科 特任准教授)
多光子時間空間相関イメージング手法の開拓

(6)塗谷 睦生(慶應義塾大学 医学部 准教授)
多光子現象を駆使した脳内化学情報伝達の可視化解析

(7)平野 優(量子科学技術研究開発機構 量子生命科学領域 主幹研究員)
高分解能立体構造解析によるタンパク質における量子現象の解析

(8)藤井 麻樹子(横浜国立大学 大学院環境情報研究院 講師)
反応性量子ビームによる細胞内生命現象の可視化

(9)丸山 善宏(オーストラリア国立大学 計算機科学科 講師)
生命と認知の量子情報理論:圏論的定式化とその応用

(10)萬井 知康(コネチカット大学 化学科 アシスタントプロフェッサー)
磁場応答光プローブを用いた磁場による断層選択光イメージング

(11)溝端 栄一(大阪大学 大学院工学研究科 講師)
時分割XFEL結晶解析で可視化する金属酵素の動的構造活性相関

(12)渡邉 宙志(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 特任講師)
量子化学効果を取り込んだタンパク質のシームレスな動的解析法の開発と応用

2-3.事後評価会の実施時期

2020年10月28日(水曜日)29日(木曜日)事後評価会開催

2-4.評価者

研究総括
瀬藤 光利 国際マスイメージングセンター センター長
領域アドバイザー
石川 顕一 東京大学 大学院工学系研究科 教授
井上 卓 浜松ホトニクス(株)中央研究所 室長
篠原 真毅 京都大学 生存圏研究所 教授
岡田 康志 理化学研究所 生命機能科学研究センター チームリーダー
小澤 岳昌 東京大学 大学院理学系研究科 教授
菊地 和也 大阪大学 大学院工学研究科 教授
笹木 敬司 北海道大学 電子科学研究所 教授
城石 芳博 (株)日立製作所研究開発グループ 技術顧問
竹内 繁樹 京都大学 大学院工学研究科 教授
田中 成典 神戸大学 大学院システム情報学研究科 教授
原田 慶恵 大阪大学 蛋白質研究所 教授
平野 俊夫 量子科学技術研究開発機構 理事長
三木 邦夫 京都大学 名誉教授
水落 憲和 京都大学 化学研究所 教授
宮脇 敦史 理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダ/光量子工学研究センター チームリーダー
外部評価者
該当者なし  

※所属および役職は評価時点のものです。

3.総括総評

 さきがけ「量子技術を適用した生命科学基盤の創出」(量子生体)では、「生命現象を量子技術の応用により解明」「生命科学に応用可能な計測技術を量子技術の利用により開発」「生命現象を量子科学的に理解」の3つを課題の柱とし、量子技術もしくは量子科学の視点に基づいている提案であることをどれだけ説得力をもって説明できているかを重視し、さきがけ3年半の終了後に飛躍的な成果を挙げることが期待される挑戦的な提案を採択している。今回評価対象となる第1期生12名の研究課題は、新たな量子光、量子プローブ、量子ビームで生体情報のイメージングに取り組む課題、ダイヤモンド空孔を用いた量子センサーの感度向上を目指す課題、最先端の量子ビームを用いてタンパク質の水素原子・水分子の挙動や外郭電子の振る舞いに迫る課題、タンパク質内部の分子動力学法や量子シミュレーションなどのインフォマティクスの課題 、生命と認知の量子情報に圏論で取り組む数学的な課題など多岐にわたる。
 本領域の運営では、参加者全員がビジョン(実現を目指す、将来のありたい姿)である「量子生命科学の実現」を共有し、将来に果たすべき使命として「最先端の量子科学の知見と量子技術を総合的に利活用し、従来不可能であった極微の空間・時間・エネルギースケールあるいは超高感度での生体内部の観測、そして生体分子の計測・制御による生命機能のモデリングなどの技術革新を実現・応用すること」を目指している。飛躍的なチャレンジを鼓舞するには成果をさきがけ研究期間に創出された論文数や学会発表数で単純に評価することは必ずしも適切でなかろう。そこで本領域のさきがけ研究者が今後飛躍的な成果を挙げることを期待して、さきがけ研究期間(3年半)の中では何の量子性を扱っているのか?を常に問いかけつつ、「(1)提案技術が適している生命活動・分子挙動の計測を一つ以上見つけること、又はきっかけを見つけること。もしくは(2)生命現象の量子現象にアプローチできる手法もしくは理論の技術基盤が構築できること、又はきっかけを見つけること。」を指標として、各研究課題の評価を行った。
 今回評価対象となる12名の研究課題の大部分はその指標を達成する成果をあげたと考えている。一方、十分な成果が得られなかった課題についても今後の飛躍が期待できる「きっかけ」が得られつつあり、それぞれの研究者が目標達成のために最大限の努力を尽くしている。また、本領域ではさきがけ研究期間の間に新たな上級ポストの獲得や受賞に至った研究者も数多く輩出しており、さきがけ研究のもう1つの主目的である将来の主導的研究者の養成についても一定の役割を果たしてきたと考えている。12課題の中では、井手口研究者、萬井研究者の研究は特に優れたものと評価する。井手口研究者の「ラベルフリーイメージング」では、新たな光量子操作技術の開発成功と次々と高感度化を進めた手腕が高く評価される。萬井研究者の「磁場応答光プローブ」においては、磁場応答光プローブの開発に成功し大きなブレークスルーとなった。丸山研究者の「生命と認知の量子情報理論」はアドバイザーを含む領域参加者全体や分野全体に深い洞察を与えた。これらの課題の詳細については、以下個別課題の評価の項目で述べる。
 生命科学フロンティアを開拓する独創的な研究を目指すには、専門性の殻を破るための気づきに出合える機会、つまり異分野融合ができる仕組みや場が大切である。そのため、領域会議では今回評価した第1期生が中心となって総括やアドバイザーも巻き込んだディスカッションを展開し、研究レベルの向上と領域の活性化に大きく貢献した。また、さきがけ「生命機能メカニズム解明のための光操作技術」領域と協力して「量子生体」×「光操作」スコーピング会議を開催し、異分野の研究者が理解できることを念頭に、どのような異分野融合ができるかを積極的に議論する場も設けた。「量子」というキーワードを基にして、量子技術の研究者と生命科学の研究者が連携して異分野融合を促進するための相互理解と協力体制が高まっていることは喜ばしい。