エッセイ #23「価値を認識するデバイス」
言説化の取り組み | 2025年9月12日

- 太田 紘史 筑波大学 人文社会系 准教授
2022年採択太田プロジェクト:ヒト脳改変の未来に向けた実験倫理学的ELSI研究方法論の開発
キーワード Ver.2.0:ものごとを決めるにはどんな要因や問題点があるの?
キーワード Ver.2.0:人間らしい生き方ってなに?動物やAIとはどう違う?
倫理学的な問題について結論を導くためには、何らかの価値について自明に真と思われるテーゼを前提とせざるを得ない。しかしそれは誰にとっても自明だろうか?価値に対する認識ほど、個人間や文化間で揺らぐものはない。あるいはそうした揺らぎがなく一貫した仕方で認識される価値というものはあるだろうか?あるとしたらそれはどうやって見つけたらいいだろう。気体の温度や天体の運動を体系的に観察するかのように、価値を体系的に観察する手法はあればよいが、そうした観察のために頼りになるようなデバイスはあるだろうか?
あるかもしれない。というのも、人間はそれ自体が価値に反応するデバイスなので、この人間というデバイスをよく調べてみればよいのである。とくに、デバイスにいろいろな刺激入力を与えてやって、それに応じてどのような反応出力を返すのかをたくさん観察して記録してみればよい。そうすれば、そのデバイスがどのような価値を認識しながら反応しているのかを析出できるはずである。
一例として、私たちがこのアイデアを適用することにしたのは、意識の価値に関する問題である。岩石や植物とは違って、意識を持った存在者は痛みや苦しみの可能性に対して開かれていて、だからこそ配慮に値するというのが、一つのわかりやすい考え方である。また既存の倫理学的議論でも、こうした考え方が支配的である。しかしもしそうだとしたら、痛みや苦しみを含むことはないが意識だけは持っているような存在者、例えば光の明るさを感じとるような視覚経験だけを持つ存在者というのは、配慮に値しないのだろうか?あるいは何らかのテクノロジーによって、意識を持つ生命体を、痛みや苦しみを感じさせないままに合成できるようになったとしたら、そうした意識の価値についてどのように考えればよいのだろうか?
私たちが行なった研究の結果によれば、どうやらデバイスたちは、痛みや苦しみについての考慮を超えるような仕方で、意識の価値を認識している*。さらに、私たちが日本とイギリスに棲息しているデバイスたちを比較してみたところ、こうした認識は少なくとも部分的に、どちらの地域のデバイスにも共有されているようであった。
こうした結果は、既存の倫理学的議論に対して挑戦を突きつけそうである。ここではその理屈について詳述するよりも、そこから得られそうな含意とその範囲について記しておきたい。例えば、こうして析出された価値が大事なのだとしても、別のもっと大事な価値があって、両者が対立する場面では後者のほうが重大だと言われるかもしれない。それはきっとその通りである。しかしそれならそれで、その「もっと大事な価値」を析出する研究が必要になりそうである。また、意識を持つ生命体を合成するようなテクノロジーは、近未来のうちには実現しないと判明するかもしれない。しかしそれならそれで、当該の価値がもたらす倫理的制約に対して、テクノロジーはまだしばらく抵触することがないと安心することができそうである。そもそもデバイスたちは、自分が認識しているはずの価値がどういうものかを自覚したり言語化したりするのが苦手だという傾向性を持つので、そうした自覚や言語化を助けるという基本的なところで、こうした手法が有意義になりそうである。
いま私たちを含めた世界中の様々な研究グループによって、こうした手法に基づく研究が行われている。それらはどれも、テクノロジーと人間の未来をめぐる倫理学的問題を扱いながら、同時に価値の源泉をめぐる根本的な問題に向き合う研究である。テクノロジーの進歩が加速する時代に、人間や価値に焦点を合わせた研究の重要性は、ますます高まっているように思われる。
* Ota, et al. (2025) ‘Moral Intuition Regarding the Possibility of Conscious Human Brain Organoids: An Experimental Ethics Study’, Science and Engineering Ethics, 31(1), 2.’
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