エッセイ #22「「お1人様1点限り」と向き合うとき」
言説化の取り組み | 2025年5月16日

- 若林 魁人 大阪大学 社会技術共創研究センター 特別研究員
2022年採択加納プロジェクト:教育データ利活用EdTech(エドテック)のELSI対応方策の確立とRRI実践
キーワード Ver.2.0:便利さや快適さは公平に与えられている?
「教育データ利活用EdTech(エドテック)のELSI対応方策の確立とRRI実践」プロジェクトの取り組みの一つとして、EdTech(テクノロジーを用いて教育を支援するサービスやツール)の社会実装に伴うELSIとその対応方策のグローバルな動向について各国のステークホルダーへの訪問調査1を行った。その道中で2月のストックホルムを訪れたときのこと。宿泊したホテルのロビーにはシュークリームのようなスイーツが並べられたテーブルがあった。説明書きによるとそれはセムラ(Semla)というカルダモンを練り込んだパンにクリームを挟んだスイーツで、スウェーデンではクリスマスの終わり頃からイースターまでの期間の火曜にセムラを楽しむ文化があるらしい。そして説明書きの最後には、ご自由にお取りしてよい旨に加えて「食べたいだけ食べてよいが、14個食べたアドルフ・フレドリク王は1771年2月12日に消化不良で死んだ」と書き添えられていた。
この「1人1つまで」と規制するわけでも「常識の範囲内で」と倫理観を問うわけでもなくただ寓意的な一文に、私はどことなく意思決定に関する“土地柄”を感じた。
EdTechには、AIによる能力測定や生体データを用いた感情分析など、萌芽的な科学技術も導入されつつある。また教育データの多くは子どもに関するものであり、プライバシー保護や児童・生徒の意思決定についても慎重に議論される必要がある。そのため米国・欧州をはじめとした諸外国ではEdTechの社会実装が進むと同時に、上述のようなELSIへの対応も進められている。日本でも同様のELSIが今後顕在化することが予見されるため、諸外国の先行する事例や取り組みから日本の社会背景に合ったELSI対応方策を早期に検討することが期待される。
本プロジェクトがEdTechの社会実装によってELSIが顕在化したケースを収集・整理したところ、多くのELSIはデータの取得・利用に関する不適切な同意取得や通知がきっかけとなっていた2。特に児童・生徒からの同意取得では、例えばデータの提供をオプトアウト(個人情報や情報配信の利用に対して、個人が拒否する権利を行使すること)する権利が与えられても、成績や進路への影響から実質的には同意せざるを得ない場面があることも論点となる。そのため諸外国の先行ケースでは、同意の実質的な有効性を論点とした議論も行われている。
では、真に価値のある同意・意思決定が行われるには、充分な権利と情報を提供して、その選択による不利益を削減することで充分だろうか。
冒頭で触れた訪問調査で行ったOECD(経済協力開発機構:Organisation for Economic Co-operation and Development)の教育データ利活用に関連する部門へのインタビューでは、児童・生徒や保護者にデータ提供や選択の権利を適切に行使するには、主体的に自分の人生や世界に影響を与える能力や意志の養成、さらにはその能力や意志を有効に活用するためのデータリテラシー教育が必要であるという指摘があった。そのため現在のOECDは、データの生成や共有に関する意思決定の能力までを含む意味でのデータリテラシー教育に取り組んでいる。
データ提供への同意に限らず、意思決定の能力の養成を重視する様子は実際の教育現場でも垣間見ることができた。スウェーデンでは現地の小学校を訪問して実際の授業を見学する機会を得た。そこでは「児童が自ら学習する方法を選択し、その選択に責任を持つことを重視する」という教育方針が語られ、例えば算数の授業では、時計の読み方を勉強するためにデジタルと紙のドリル・時計型のパズルなど複数の教材が用意され、児童が自ら教材を選んで取り組む授業風景が見られた。
このように、自らの意思決定を重視する、それも単に「自らの意志で決めなさい」と野に放つのでなく、その意思決定に安全性を担保しながら選ぶ能力を養成する方針は、予測困難な時代に向き合う一つのあり方として興味深く感じている。
とはいえ、日本でも同様の取り組みが有効であるとは限らない。実践的な負担もさることながら、そもそも人々は自ら選ぶことをどのくらい望んでいるのだろうか。日本では個人情報提供に関するオプトアウトの権利が行使されることが相対的に少ない3など、自分のプライバシーについて自ら意思決定することはそれほど求められていないのかもしれない。そうでなくとも、複雑で情報の溢れる時代には意思決定しないといけないことが多すぎて、選ぶことに疲れているのかもしれない。高校生に聞いた話では、レコメンドアルゴリズム(ユーザーの行動履歴や属性などを分析して、ユーザーに適したコンテンツを表示する仕組み)に提案され続ける動画は自ら選ばなくていい『から』見ていられるらしい。
もちろん、自ら選ぶことを望まれていない『から』、自ら選ばないことが望ましいとは限らない。より良い未来を選ぶための権利・その権利を適切に使うための教育と、意思決定をしない快適さ。その快適さ自体を批判して子どもたちに全ての意思決定と責任を押し付けるのでもなく、ただ子どもたち自身が本当に自ら選ぶべき場面では意思決定ができる社会の在り方を提案することも、教育データ利活用を考える上での大人の責任の一つかもしれない。
私は、セムラに「お1人様1点限り」と書かれていたら迷わず1つだけ食べただろう。そこに「いくつ食べてもよい」と書かれていることで、夕食が食べられなくなるのに2つ食べる選択肢が頭をよぎったのだ。ただ結局は考えていたこととは無関係に、片手がスーツケースで塞がっていたのでそもそも2つも手に取る選択肢は無かった。
- 若林魁人, 佐藤仁, 高橋哲, 加納圭. "教育データEdTechの導入とELSI対応のグローバル動向に関するインタビュー記録." ELSI NOTE 47 (2024): 1-32.
- 若林魁人, 岸本充生. "教育データ EdTech の ELSI (倫理的・法的・社会的課題) を考えるための国内外ケース集." ELSI NOTE 31 (2023): 1-31.
- Orito, Yohko, and Kiyoshi Murata. “Privacy protection in Japan: cultural influence on the universal value”. Electronic proceedings of Ethicomp. (2005).