• 小宮 健 海洋研究開発機構 超先鋭研究開発部門 副主任研究員

2021年度採択小宮プロジェクト:研究者の自治に基づく分子ロボット技術のRRI実践モデルの構築

キーワード Ver.2.0:状況・時代・人によって変わる言葉の意味や価値ってなに?

科学技術によって“よりよい”社会を実現する、科学技術と人・社会との“よりよい” 関係を構築する、そんなとても大切ではあるが捉えどころのない「責任ある研究・イノベーション(RRI)」に取り組もうとするとき、基礎研究者は煩悶することになる。目標設定が曖昧であるのもさることながら、真理を探究する専門職業人としてのミッションには含まれない課題をいかに自ら引き受けて、未来に対する責任を果たすことができるだろうか。研究者である前に社会で生きる一員として、自分たちの研究活動がマイナスの影響をもたらさないよう細心の注意を払うのは当然であるが、自らが関わることのできない未来の社会実装や経済活動にまで思いを馳せて、そこに関しては素人意見に過ぎない自説を述べることが、“よりよい”社会に貢献するとは思われない。専門分野に閉じ籠るのは良くないが、いたずらに専門分野を踏み越えては益体(やくたい)もない。

実用化に向けた技術開発に携わる応用研究者とは異なり、テクノロジー・アセスメントやリスク・ガバナンスにおいても、実感をともなう検討で貢献できる場面は限られる基礎研究者にとって、自らの研究やキャリアへの評価に(少なくとも現状は)プラスにならないRRIを実践する動機をどこに求めるべきか、それは知の共創であろう。RRIの基盤となるのは様々なステークホルダーの間で行う対話である。専門分野のみならず職業としてのミッションすら異なる参加者が、普段活動している現場から対話の場まで出向いて相手の言葉に注意深く耳を傾ける。すると、自分が何かを語るために使っている言葉が、人により全く異なる意味を(まと)っていることに気づかされる。異分野境界における対話では、自分の専門分野でしっかりと定義した意味と異なる意味で相手が用いたからといって、それは相手が間違っているということではない。それぞれの分野がこれまで何を語ってきたか、視点や歴史のちがいが言葉の帯びる意味のちがいとなる。

分野によって意味することが異なる言葉や概念は「境界オブジェクト」と呼ばれ、分野の境界をつないで相互理解を深めるための道具になり得る。境界オブジェクトは専門的な用語には限らない。むしろ誰もが使う一般的な言葉こそが、それぞれの立場や背景を超えた本質的な理解へと進む、より重要な境界オブジェクトとなる可能性を秘めている。たとえば、物質と生命の境界で研究する分子ロボット研究者には「生命とは何か?」「人間とは何か?」といった、壮大な問いを解く糸口を見つけたいという内発的な動機がある。生命や人間の本質的な機能に介入する技術について、倫理やその最低限を実現する法律やそれにもとづく社会のあり方、すなわちELSIを議論する対話の場では、生命や人間についての共通理解を構築することが求められる。生命や人間は誰もが当事者である普遍的なテーマであり、あらゆる分野で様々な思索が巡らされている。研究活動だけでは得られない理解に辿り着けるのであれば、異分野との対話は基礎研究者にとって不可欠なものとなる。

普遍的な言葉を境界オブジェクトとする対話では、個別の学問分野のための定義や理解を超えた認識を共有するために、専門知から総合知への転換とでもいうべき議論が行われる。そこでは専門知が社会に浸透するための平易な言い換えや、大衆化にともなう意味のズレも生じるかもしれないが、むしろ全てのステークホルダーの間で議論を尽くす基盤をつくるべく、壮大な問いを適切に構造化して、言葉に託された意味をお互いが理解して話ができるようにするこころみがなされるはずである。その過程で意味が整理されて、再定義されたり新たに生み出されたりした言葉は、幅広いステークホルダーの間でより実効性のあるRRIの議論を可能にすると同時に、基礎研究者が本質的な問いに立ち向かう際の強力な道具になる。

顔も知らぬものどうしが、それぞれの分野で自分の本分を発揮することで“よりよい”社会を実現する。そのためには個人個人ができる範囲で多様な人々と対話し、一生会うこともない誰かを幸福にするための語りや言葉を紡いでいくことが大切である。専門性や価値観が異なり、互いの境界を踏み越えて交流することのないステークホルダーが自らの動機にしたがって活動する先に、みなが共に生きる“よりよい”未来が創られる。科学研究にRRIが求められるようになり、基礎研究者にとっては益々問いの立て方を問われる時代になった。

科学はきっと、もっと面白くなる。

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