エッセイ #11「気候変動の「止め方」を決めるのは誰か?」
言説化の取り組み | 2024年7月24日
- 江守 正多 東京大学 未来ビジョン研究センター 副センター長/教授
2020年度採択 江守PJ「脱炭素化技術の日本での開発/普及推進戦略におけるELSIの確立」
人間活動に起因する温室効果ガスの増加による気候変動は、いわば文明の病であり、人類が直面する最大の課題の一つである。気候変動が文明の存続にかかわる以上、これを止めることはすべての国にとって利益になる。そして気候変動を止めるための条件は、大まかに言えば、人類が化石燃料に依存しない「次の文明」に移行することであり、その実現にはすべての国の協力が必要である。
1992年に採択された国連気候変動枠組条約の下で、気候変動問題のガバナンスは第一義的には各国の政治指導者と行政官によって国家間プロセスとして交渉され、決定されてきた。一方で、特に近年は条約の締約国会議(COP:Conference of the Parties)の参加者に象徴されるように、ビジネス、市民団体、地方自治体、メディア等の多様な非国家アクターが交渉に影響を与えると同時に、国家間プロセスとは別トラックで対策を動かしてもいる。
とはいえ、国の政府による政策決定(国際交渉でのその国のポジションや、国際的な決定の国内政策への落とし込み)は、その国の国民が直接的に影響を受けるとともに、(その国が民主主義国家であれば)国民が自分の意見を反映しうる最も主要な経路だろう。地球上の多くの個人が、この経路やその他の経路を通じて、気候変動の「止め方」(どんな考え方で、どんなスピードで、どんな手段で、どんな資金を使って、止めるか)についての人類規模の集合的な意思決定に関与しているといえる(通常はその実感を得るのは難しいとしても)。
ここで、気候変動に関係する諸学問の専門家の知見を集約して参照することは、合理的な意思決定がなされるために必要不可欠であり、その役割を果たすのが「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change)である。しかし、気候変動の科学的根拠については疑う余地が無いものの、リスク評価や対策の考え方については専門家の間でも多様な見方が存在する。「専門家」が、気候変動の止め方の唯一の「正解」を社会に提示する立場に無いことは確認しておきたい。
さて、一般に、複雑な社会システムの移行においては、移行によって利益を被る立場(勝者)と不利益を被る立場(敗者)が発生する。極端な敗者が多数発生すれば彼らの抵抗により移行はうまく進まないだろうし、進んだとしても彼らを置き去りにしていくのは本末転倒である。そのため、移行を進めるには様々なレベルでの利害調整や、納得感の醸成、そのための信頼構築などが必要となり、そのプロセスに手間取っているというのが、世界で現在起きていることのようにみえる。
たとえば、2018年にフランスでは燃料税の値上げに端を発して政府への抗議運動「黄色いベスト運動」が起こったし、最近ヨーロッパの多くの国で起きている農民のデモも、主要な抗議対象の一つは気候変動対策としての農業への規制だ。日本においても、2012年に始まった再生可能エネルギー固定価格買取制度の副作用として生じた地方におけるメガソーラーの乱開発に、多くの反対運動が起きている。
政策決定のあり方は各国様々だが、日本の場合は気候変動が選挙の争点にならないこともあり、気候政策はかなり技術的な専門家や官僚の主導で決まっているようにみえる。特に、気候政策と表裏一体であるエネルギー政策は、経済官僚と旧来の産業界の考え方でがっちり固められている印象がある。2011年の福島第一原発事故後に当時の民主党政権で行われたエネルギー・環境に関する選択肢をめぐる「国民的議論」はこれを揺さぶったが、今から振り返ると一時的に生じたさざ波のようであり、大きなうねりにはならなかった。
ELSIプログラムの江守プロジェクトでは、この日本の気候・エネルギー政策を批判的に検討し、従来のエネルギー政策の原則であるS+3E(Safety, Energy security, Economic efficiency, Environment)に、広い意味の「公平・公正」(Equity & Justice)を加えてS+4Eにすべきであるといった主張に到達した。また、従来の政府の審議会の議論が「経済」についての言説に偏重していることを確認し、議論の場や議論の参加者を工夫することで、より多様な観点からの議論を促せる可能性を示した。
このように、気候変動の「止め方」の議論に、従来よりも多様な声を反映させることは、一面では意見の調整をより困難にするかもしれない。しかし、揺り戻しのリスクを避けることで結果的に移行がスムーズに進むかもしれないし、何よりも声を上げられずに不利益を被る「敗者」を減らすことにつながると期待したい。
ただし、議論の仕方を多少変えたとしても、日本の気候政策は外圧に対する官僚的対応の域を大きくは抜け出せないのではないかという懸念が残る。これを乗り越えるには、大多数の国民が気候政策に関心を持たないという日本の現状を変えていく必要があるだろう。
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