2021.08.13

鼎談「働くことの再定義、デジタル時代の家庭と労働」

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昨年から続く新型コロナウイルスの感染拡大により、わたしたちの職場や働き方は一変しました。
一方でこの約1年間は、デジタルトランスフォーメーションや働き方への見直しが一気に進んだ年ともいえるでしょう。さらには自宅にいる時間が増えた分、「家庭」のありかたも再考すべきときにあるのかもしれません。労働経済学を研究する永瀬伸子氏と山本勲氏、ギリシア哲学を専門とする松浦和也氏が、デジタル時代の労働と家庭のあり方について議論しました。

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永瀬伸子
お茶の水女子大学基幹研究院人間科学系 教授。
HITE「AI等テクノロジーと世帯における無償労働の未来:日英比較から」代表。専門は労働経済学、社会保障論。

松浦和也
東洋大学文学部准教授。
HITE「自律機械と市民をつなぐ責任概念の策定」代表。専門はギリシア哲学。

山本勲
慶應義塾大学商学部教授。
HITE「人と新しい技術の協働タスクモデル:労働市場へのインパクト評価」代表。専門は労働経済学。

文・高橋ミレイ

─まずは皆さんそれぞれのご研究と、HITEのプロジェクトについて教えてください。

永瀬伸子(以下、永瀬):女性労働の研究に携わってきた永瀬伸子と申します。私たちのプロジェクト「AI等テクノロジーと世帯における無償労働の未来:日英比較から」は、働き方の未来にまつわる議論が活発にされる一方で、無償労働、つまり家庭内における労働については議論が不足しているという課題意識から始めました。AIやICT、その他テクノロジーの社会実装に伴い、職場環境と同様に、家事や育児、介護といった家庭内の労働もあり方も変わっていくはずです。
日本の女性の多くは、第一子を出産した直後のおよそ7~8割が無職です。アメリカでは1980年代から変化があり、第一子出産後も就業する女性の割合が増え続けていますが、日本では同時期からのデータを比べても実に30年近くにもわたって同じ状況が続いていました。変化があったのは2009年で、第一子出産時点でも正社員の仕事を維持する女性の割合が増え始めました。そして2013年からアベノミクスのスタートを機に出産後も働く女性が一気に増えました。ただし、これは最終学歴が大卒以上の女性に限定した話で、高卒の女性の場合はそれ程上がってはいません。第一子出産後に正社員の仕事を続けられるか否かは、女性の人生に多大な影響をもたらします。そのため私は出産直後から育児期の女性が労働市場の中でどのような状況に置かれているかを研究してきました。その対象には、女性をサポートするさまざまな制度や職場での評価のされ方、周囲や夫の協力などもふくまれます。そのなかでAIやICTの普及は、労働環境の変化のみならず家庭内の仕事をサポートする技術という側面からも非常に影響が大きいと考えています。

松浦和也(以下、松浦):東洋大学の松浦です。私が携わっているプロジェクト「自律機械と市民をつなぐ責任概念の策定」は、歴史的あるいは思想史的な観点から現状を一度見直して、人工物が何かしらのエラーを起こしてしまった場合に誰が責任を負うべきかを考察するというものです。3年半のプロジェクトの中で見えてきたことは、このような物事を語る時に、我々がどれだけ「形式的な思索」に埋没させられているのかということです。つまり、我々はいま言語を使って会話をしていますが、その言語は歴史的な経緯によって形成されてきたものであるはずです。
ところが多くの場合、その歴史的な経緯の部分がすっぽり抜けているため、中身のない空虚な話になってしまいがちです。現状の情報倫理やロボット倫理の領域の論文を見ると、その傾向を強く感じます。これから私たちがやるべきことは、無意識のうちに使ってしまっている形骸化された概念に対して、現状に即した生々しさを吹き込んでいく作業だと考えております。

山本勲(以下、山本):慶應義塾大学の山本です。労働経済学が専門で、さまざまなデータを用いた働き方にまつわる分析をしています。先ほど永瀬先生から、女性就業の問題点についてご指摘いただきましたが、それもふくめて日本の労働環境には、過労死に至るような長時間労働などの課題が多数あると考えています。HITEのプロジェクト「人と新しい技術の協働タスクモデル:労働市場へのインパクト評価」では、AIなどのテクノロジーの導入によって、従来の問題が改善できるかという視点から研究しています。例えばAIが作業を軽減してくれることで仕事のやりがいが向上する、あるいは効率性が高まり労働時間が短くなるなどのポジティブな影響が生じると予想されています。
プロジェクトの柱のひとつは、労働者を毎年追跡調査することで得られるパネルデータの構築です。2004年から続いている日本家計パネル調査では、どのようなテクノロジーを使い、どんなスキルが求められるのか、またはどんな業務やタスクを担っているのかといった質問項目への回答をもとに分析をしています。ほかには、実際にAIを活用している企業やAI系の開発サービスを販売する企業などに対してインタビューを行い、どのような利点と課題があるのかを検証します。

永瀬伸子
永瀬伸子

テレワークは人々を幸福にしたのか?

─永瀬先生の研究である、家庭内労働・無償労働で期待される変化について伺いたいと思います。まずは現状の課題点についてお話しいただけますか。

永瀬:このテーマを研究するにあたり、まず家事労働のタスクを分解していく「タスク分析」という作業からはじめようしました。イギリスの生活時間データでは家事は50種類くらいに分けられるますが、日本の総務省のデータでは23種類くらいに分類されています。しかし、それらのタスクをさらに分解していくと、例えば料理をするというタスクの中にもさまざま作業が含まれていることが分かります。メニューを決める際に、栄養バランスはどうか、いま冷蔵庫の中には何の食材が入っているかなどを考えます。次にそれらを買い物などで調達して、どのような手順で調理して、どのように盛り付けて出すかといった、さまざまなサブタスクが発生します。このような一連の作業において、たとえばUBER Eatsのような宅配サービスや自動調理鍋など、さらには一層の自動化など、どの部分までテクノロジーを活用して補助できる技術が可能か、また人々がそれを利用したいと思うかを考えています。
また現在はこのコロナ禍で家事労働がどのくらい増えたのか、それがテレワークなど新たな働き方にどう影響していくのか、またそれらが個人の幸福感にどう関わるのかに関する調査も行っています。現時点のデータでいうと、まず家事にかける時間は男性・女性ともに増えています。ただ、属性別に見ていくと、最も家事労働の時間が増えたのは専業主婦、次が働く主婦で、男性も増えてはいますが相対的には少ないです。
一方、満足度や幸福感について、有子夫婦の調査結果で興味深かったのは、テレワークをするようになった男性とそうではない男性とを比較すると、仕事の満足度は特に差がなかったものの、生活満足度はテレワークをする男性の方が大きく上がりました。特に親子満足度が向上しているのが特徴的でしたね。類似の結果は正社員女性にもありましたが、男性ほど顕著ではありません。つまり、もう少し家にいられる機会が多くなった分だけ、男性はより幸せになれたということです。また、家事の代替的な手段の利用を最も増やしたのは東京に住んでいる正社員の女性だということも明らかになりました。

山本:コロナ禍における家事労働の変化に関しては、慶應義塾大学でも類似する調査を行いましたが、まったく同じ傾向が見られました。女性も男性も家事に割く時間が増えていますが、やはり女性の方がより顕著に増えていることは確かです。コロナ以前は男性の方が長時間労働をしていたという見方もできますが、リモートワークによって時間に余裕が生まれたいまこそ、役割分担を見直す時期になっていると思います。

松浦和也
松浦和也

高度経済成長期型の働き方を見直すとき

─テレワークが導入されても、ジェンダー格差が依然として高いことが大きな問題として残っていますが、日英比較をした際にはどれほどの差があるのでしょうか。

永瀬:生活時間における家事労働の比較をすると、やはり日本は男女差が大きいです。イギリスの方が男性の家事労働に割く時間が日本よりも長く、男女差が小さいですね。また、高齢期にかけては男性の家事労働が日本と比較してイギリスの方が大幅に増えるというデータが出ています。日本は高度成長期に、経済成長を最優先にした社会構造になったため、父親は仕事を真面目にしてさえいれば良く、ほとんど家にいないのが当然でした。しかし、歴史を遡れば江戸時代は父親が当たり前に育児に関わっていたという記録が宣教師によって残されていますから、現在のような働き方は高度成長期以降にに形成されたものだと思います。

松浦:そう考えるとテレワークの普及によって、父親が家庭に戻ってくるきっかけができたと言えますね。今後は良い方向に変化していくことへの期待が持てます。仕事がさらにデジタル化することによって、江戸時代の職人たちのように自分のコンディションに合わせて仕事をしていくようになっていくのかもしれません。

山本:これまでの日本の企業は従業員だけを見て、その家庭のことを考えずにいました。転居を伴う転勤命令はその最たるものでしたが、おそらくそれも変わってくるでしょう。そういう意味では、新型コロナの影響として、企業が被雇用者本人の状態だけではなく、その人が誰と住んでいるのかも配慮する傾向が生じてきているのだと思います。例えば高齢者と住んでいるのであれば、なおさら感染リスクに晒してはいけないなど。

松浦:労働のあり方を変えるということは、これまでの資本主義をベースとした経済体制をすべて変えようとするのとほぼ等しいと考えていますが、変わらないままではサステナビリティを得られないも事実です。そもそも、せっかくここまで産業構造が発達して豊かになったにもかかわらず、なぜ依然として我々は労働に多くの時間を割き続けなければならないのでしょうか。
ハンナ・アーレントは彼女の著書『人間の条件』で人間の活動力について「活動」と「仕事」と「労働」の三つに分けて考えられるとしました。労働という概念は、産業革命以降の工業化によって分業が高度に発達したことでもたらされたもので、対価として貨幣を得るための手続きです。この考えに基づけば、貨幣が交換されない労働は労働ではないということになりますが、私は近年の傾向となっている、人間のあらゆる活動を「労働」化することを前提に議論が進められることに対して疑問を持っています。家事育児をふくめたあらゆる人間の活動にはすべて対価や貨幣を払うべきだという発想に、我々はあまりにとらわれてしまっています。これ以外の発想にも、十分に敬意を払うべきだと思うのです。
例えば、GDPベースで豊かさを測ることは指標のひとつとして成立していますが、それだけを全面的に支持してはいけないと思います。我々が目指す生き方とはどのようなものかという問題提起をもっと真剣に掲げ、それに合わせた社会政策や社会制度、あるいは労働環境を少しずつ作り直していく方向に進めるべきだと思います。

山本:私もGDPだけを指標にするやり方には限界があると思っています。経済学においても、人々が満足度や効用を大切にする一方で、労働は効用を下げて苦痛を伴う代わりにお金がもらえるものと定義されてきました。しかし、実際に我々は働いていますし、働くことからも喜びを得られることがあります。これまではその部分が十分に評価されてきませんでした。お金を対価としなくても、働くこと自体で幸せになれる働き方の追求は可能なはずですし、人々がそれを重視することで社会がより成熟したものになるはずです。またデジタル化によって、ITスキルの高い人は手間のかかる単純作業を自動化して、より創造的な仕事に専念したり、時間をかけなくても良い成果を出すことができるようになり仕事と生活の質ともに向上するだろうと思います。

山本勲
山本勲

労働に喜びを見出す社会へ

─最後に皆さんから一言ずつ、これからの日本の働き方のビジョンについてお聞きできればと思います。

山本:日本の働き方の利点は多くありますが、現代の社会にそぐわない働き方を続けてきたことによる綻びが出てきているのは事実です。それらの課題も職場内のデジタル化が進むことによって徐々に解決できると考えています。個人の選択の自由度が高まり、自律的に楽しい仕事を多くの人が選択できる社会になればいいと思います。

松浦:適材適所という言葉もありますが、効率性を重視しすぎることの悪影響も考慮すると、私は過度な分業はやめたほうがいいと考えています。我々が教育や社会経験から培ってきたさまざまな能力に対する社会的な価値を認めて適切に評価し、なおかつその中に生きることへの喜びを皆が感じられるような仕組みを社会の中に構築できればと考えています。

永瀬:これまでの日本では、大多数の女性は大体次の3通りの働き方しかできませんでした。派遣や契約社員など非正規の低賃金労働に従事する、主婦になって子どもを育てながらパートなどで低賃金の仕事に従事する、さもなければ家庭との両立で心身ともに疲弊しながら悩みを抱えながら正社員で働き、そうであるにもかかわらず男性よりも低い賃金しか支払われない状況に甘んじる。とはいえ、すでに日本も少子高齢化という大きな課題に直面しているので、このままではいけないという共通認識は広がっています。そしてテクノロジーの活用がこれまでの問題の解決に活かされると良いと思います。例えば子育て期の人をサポートする、高齢期にお少しずつ能力が落ちていく人たちが、できるだけ自立して現役でいられることを助けるなど。だからこそテクノロジーは、そういった人たちにも使いやすいものであって欲しいと思います。

※本記事は、「人と情報のエコシステム(HITE)」領域冊子vol.05に収録されています。
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