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コラム

<8> 科学技術イノベーション政策と経済学

プログラムアドバイザー  若杉 隆平

プログラムアドバイザー  若杉 隆平

「科学技術イノベーション政策のための科学」への取り組みがいよいよ本格化している。政策を掲げる以上は、目標が明確でなければならないし、それを有効に達成するための手段が必要とされる。複雑に拮抗する目標の中でどのような政策目標を設定し、選択するかには高度な政治的判断が求められることが多い。科学として取り組む立ち位置は、それぞれの政策が仮に選択され、実現されたときに生ずる効果や影響を予測・評価し、政策選択を行う際にできる限り合理的な選択が可能となるように環境を整えることにあるだろう。さらに、政策目標が選択されるときには、実現が伴わなければならないので、政策目標をどのような手段や方法によって実施するかが問われることになる。設定された政策目標を有効に達成するための手段に関する研究は、政策のための科学において最も重視される課題である。この課題に関して経済学に期待される役割は小さくない。人的・物的資源の投入なくして科学技術イノベーションを実現することは困難であるが、これらの資源は有限であることを前提としなければならないからである。選択した政策目標を実現するために、有限の資源をどのように効率的に配分し、利用すべきかを示す上で、経済学が積み重ねてきた学術的な蓄積は極めて有効である。ここでは経済学が有する3つの特徴に注目したい。

第1に、経済学は生産者や消費者をはじめとする様々な行動主体が意思決定をするときの動機付け(インセンティブ)を重視し、希少な資源を高い成果を生むように配分することを追求する。インセンティブは何も金銭だけに限定して考える必要はない。イノベーターはもちろんであるが、利潤に一見無頓着に見える科学者においても、インセンティブの重要性は当てはまる。研究に取り組む動機付けを幅広く解釈すべきであろう。それぞれの行動主体が民主的で自由な意思決定をすることを前提にして、適切なインセンティブを与えるようにルールを設定することは、政策目標を効率的に実現する上で重要な手段となる。

たとえば、基礎研究を行う大学に対してどのようなルール(基準)で資金を配分したらより高い研究への動機付けがなされるであろうか、研究者への処遇をどのように設定したら研究が促進されるだろうか、研究成果の実用化においてどのようなルール・規制を設けること(あるいは廃止すること)が研究の実用化への動機付けとなるであろうか、得られる知的財産の保護の範囲と期間をどのように設定したら研究開発に弾みがつくであろうかなどの政策課題に対して、経済学を基礎とした制度の設計や資金の配分方法を示すことができれば、有効な政策手段を示すことになろう。

第2に、経済学は科学技術イノベーションに関わる多様な主体の便益を幅広く捉え、それぞれの費用と便益を比較衡量することを可能とする。科学技術イノベーション政策の影響は直接に対象とされる集団だけでなく、消費者、国民などにも、国の内外を問わず、間接的に幅広く及ぶ。従って、政策のもたらす影響や効果は幅広い観点から予測され、評価されなければならない。整合性のある最適な政策を形成する上で経済学が大きな威力を発揮することが期待される。

科学技術イノベーションのための政策が様々なセクターに対して、短期だけでなく長期においてもどのような結果や影響をもたらすかをマクロ的視点から見通すマクロ経済モデルや国際間の取引を折り込むオープン経済のモデルは、その一例である。科学技術イノベーションに関わる主体の行動をモデルによって描写し、解析的方法によって政策の効果を予測すること、あるいはシミュレーションによって、様々に想定されるケースについて政策効果を予想すること、過去のデータから政策効果に関してどのような法則性が見いだされるかを明らかにし、予測することなど、エビデンスをもたらす技法は次々と開発されてきている。

第3に、経済学には計量分析手法や実験的手法に関して多くの成果が蓄積されている。近年、マクロの統計データだけでなく、企業、家計、個人に関するミクロレベルのデータ、さらには、個々人の取引や行動を追跡する膨大なビッグデータまで、データの利用可能性が拡大している。経済学の分野ではこうしたデータ解析に関する様々な手法が開発されているだけでなく、実験経済学の進展はこれまで自然科学における実験とは縁遠かった社会科学に実験による検証可能性の道を拓きつつある。これらの成果を動員することによってエビデンスをベースとする政策の形成はさらに進展するであろう。

JSTが担う「科学技術イノベーション政策のための科学」における研究開発プログラムには、経済学に基礎を置く様々なプロジェクトが採択されている。ミクロベースでの新たなデータの蓄積、科学的源泉がイノベーションを導くプロセスの分析、電力分野に関する研究開発とイノベーションに関するシミュレーション分析、農業・医療などの規制産業でのイノベーションを実現するための制度設計の分析、経済成長に関するマクロモデルによるシミュレーション分析など、魅力的な課題が数多く取り上げられ、いずれも意欲的に研究開発がなされている。こうした研究開発プロジェクトが科学研究費補助金をはじめとするこれまでの学術支援と異なるのは、政策への適用可能性が要求されている点であり、これはこれまでに見られない新たな挑戦といえるだろう。こうしたプロジェクトの実施を通じて生まれる政策ニーズと学術との相互の関わり合いが、科学技術イノベーション政策の形成に大きな進展をもたらすとともに、経済学の発展への大きな牽引力となることを期待したい。

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