まず石を投げよ
久坂部羊
朝日新聞出版 2008年
表題は聖書のなかの一節「汝らのうち、罪なき者よりまずその女に石を投げよ」に拠っている。他者を批判するものは、その同じ批判をもって自らの行いを反省せよ。医療ミス隠蔽、食品の偽装表示…。科学と社会の接点には、社会的に告発すべき問題がたくさんあるため、このメッセージは科学と社会の相互作用では避けて通れない。この本は医療ミステリー小説であるのだが、現代の科学コミュニケーション、とくに医療コミュニケーションの問題を、医師―患者関係のみならず、医療問題とそれを告発する側の科学ジャーナリズムに対しても提起する。本書の提起する問題は多岐に渡り、それがまた一方向でないところがよい。医療ミスを隠そうとする医師の行為を暴こうとする番組作成者が、逆に自らの報道のプロセスで発生したミスを隠そうと画策する、その場面の描写は秀逸である。ひとつ残念なのは、医師が書き上げた画期的治療法の論文に役立ったという例の患者さんの処置のとき、医師のその患者に抱く感情を吐露しながらも、そのとき「論文に必要なデータがほしいこと」と「臨床医として患者を助けたいこと」との相克が描かれていない点である。わざと触れなかったのかもしれないが。
(藤垣裕子:東京大学大学院総合文化研究科 教授)