成果概要

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脳指標の個人間比較に基づく福祉と主体性の最大化[3] ヒト脳指標による喜びと志の個人間比較技術開発

2025年度までの進捗状況

1. 概要

私たちの住む社会を自由で公正なものにしていくためには、行政が実施する政策の「良さ」を集団・社会レベルで適切に評価する指標が必要です。しかし、そのような指標を構築するには、人びとの「幸せ」を個人間で比較する方法が重要な課題となります。社会選択理論では、個人の選好を社会的意思決定へ統合することの難しさが指摘されています(アローの不可能性定理)。また近年ではGDPに代表される物質的豊かさを超えて、精神的・社会的な豊かさへの関心が高まっています。2022年の国連ハイレベル委員会によるBeyond GDP報告書でも、アマルティア・センのケイパビリティアプローチに基づくwell-beingやagencyが重要な成果要素として位置づけられました。私たちの豊かな「幸せ」は、自由に移動し、自由に選択できることによって育まれ、そのような環境の中で人は自己の居場所を実感し、精神的・社会的に良好な状態になると考えられます。

本研究では、これまで客観的計測が難しかった個々人の主観的幸福を脳活動から推定し、個人間比較可能性を備えた指標の開発を目指します。さらに、食や金銭などによる快楽的幸福だけでなく、自由な選択や行動機会(agency)が保障され、善い人生を送ることで生じるエウダイモニア的幸福にも着目します。得られた脳指標を社会レベルで集約し、公平性・公正性を考慮した社会評価へ応用することで、スマートシティにおけるモビリティ政策評価など、社会全体の幸福を促進する新たな社会技術の創出に貢献します。

幸せを正確に測定・比較できる日常を創る!イラスト

2. これまでの主な成果

(1)「幸せ」を脳指標(脳活動)により個人間で比較可能にする技術開発
  • 数千人規模の多様な人びとのfMRI(機能的磁気共鳴画像)データを用いて、金銭などの報酬がもたらす主観的な「幸せ」が、脳指標(脳活動)により個人間比較可能であることを明らかにしました。金銭に対する欲求と金銭を獲得した際の喜びの脳活動を、異なった社会経済的地位(SES)の人びとの間で比較したところ、経済的に恵まれない人ほど金銭から得られる喜びは大きい一方で、金銭への欲求が小さいという結果が得られました。さらに、金銭などの報酬がもたらす主観的な「幸せ」の脳指標(脳活動)が、前頭葉や大脳基底核を含む広範な脳領域の重みベクトルと脳活動ベクトルとの内積として構築できることを見いだしました。加えて、行動経済学理論にもとづく数理モデル(prospect theory model)により算出された効用(金銭報酬の主観的価値)の個人間比較についても、脳指標(脳活動)により可能であることをfMRIにより確認しました。そして、MEG(脳磁図)により、前頭葉を中心とする脳の広範囲にわたる脳活動のパターンが効用(金銭報酬の主観的価値)に依存して変動するということを、ミリ秒スケールの高時間分解能で明らかにしました。
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このことは、人びとの主観的な「幸せ」を脳指標(脳活動)によりリアルタイムに社会レベルで集約できる可能性を示唆するものです。公共政策の評価に用いられている費用便益分析が前提としている、「人々の一円あたりの価値は等しい」とする仮定に再考を促すものであり、脳指標にもとづく政策評価システムの社会実装に向けた道を切り開くものとして期待されます。

(2)豊かな「幸せ」に関わる脳活動を計測する技術開発
  • MEGにより、幸福感や人生の満足度において重要な要素であると広く認識されている「自分の人生を自分で選び、コントロールしている」という感覚の神経ダイナミクスを強化学習モデルと脳活動との比較検証によりミリ秒スケールの高時間分解能で明らかにしました。ケイパビリティアプローチが重要視するagencyの本質を考えたときに最もシンプルな一形態である自由選択課題を用いて、自由選択時に強制選択時よりも脳活動が増大する(”自由選択プレミアム”)という知見を得ました。このことは、自由な選択の機会が保障されることで生まれる「幸せ」を脳活動により計測することが可能であることを示唆しています。
  • 世界の規則性を活用して一般化を可能にする、高次で抽象的な表現を形成する能力には、海馬の神経細胞集団の抽象的でかつ分離された形式での符号化が重要であることを、ヒトの単一神経細胞活動記録から明らかにしました(Courellis et al. 2024 Nature)。このことは、リアルな現実世界の中で生まれる豊かな「幸せ」が脳内でいかに表現されているのかに示唆を与えるものです。
  • お金や食べ物、人との関わりで生じる「幸せ」や欲求について、世界中のfMRI研究を集約したデータベースと神経伝達物質受容体の遺伝子発現情報を組み合わせて解析し、脳内物質がどのように関わるのか、その仕組みの一端を明らかにしました。

3. 今後の展開

多様な人びとの豊かな「幸せ」を脳指標により定量化し、社会的に集約することに成功すれば、OECDや国連が目指すGDPを補完する有力な幸福度指標になることが期待されます。今後は、より自然な条件下の神経科学的研究開発を行い、現代社会における「幸せ」に重要な「豊かな環境」と「自由な行動」とは何かを科学的に特定していきます。また、それらを再現した豊かな実験環境をVR技術などにより適切に制御し、さまざまな脳活動計測技術を用いて精度の向上を図ることで、正当性を担保した開発を進めていきます。

(松森嘉織好: 一橋大学、松元 まどか: 京都大学、Ralph Adolphs: California Institute of Technology)