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- 金子複雑系生命プロジェクト
研究総括 金子 邦彦
(東京大学 大学院総合文化研究科 教授)
研究期間:2004年11月~2009年10月
生命システムの普遍的性質を定量的レベルで理解するための複雑系生命科学の樹立に努めた。これは個々の要素と全体の間のダイナミックな相互関係として生命システムを捉え、階層的な生命システムの安定性、可塑性を理解するものである。これまで暗黙裡に仮定されていた「生命をいろいろな機械のくみあわせとし、その各機械の因果関係を分子に求めていく」という「分子的」生命観とは相補的な立場であり、個々の分子にはよらない、システムとしての普遍法則を明らかにしてきた。
研究遂行に際しては、生命は進化によりチューンアップされた「非常によく出来た機械」であるという従来の立場にとらわれず、我々の側からいくつかの条件を設定して、生命の基本的複製過程や発生過程がいかにあらわれるかを調べる「構成的生物学」 の立場をとり、生命システムが最低限みたすべき普遍的性質を、理論と実験が協力して抽出した。
具体的には
(A) 人工複製細胞系の構築
――再帰的な増殖が可能な触媒反応系の普遍統計法則
(B) 人工遺伝子ネットワークでの適応
――遺伝子発現の揺らぎと細胞成長の帰結としての普遍的適応
(C) 粘菌を用いた、多細胞組織化の動態
――相互作用力学系による分化、多能性の理解
(D) 大腸菌を用いた進化による、表現型揺らぎと進化の関係
――遺伝子型・表現型の揺らぎの法則、安定性の進化
(E) 異種生物間の共生における可塑性の制御
の5テーマを設定し、またそのために
(F) 定量的測定手法を新たに開発した。
野心的な試みであったが、複製、適応、発生、進化において、生命システムが満たす普遍的論理を発見し、理論的な定式化を行うことが出来た。
構成的生物学の大きな夢である、人工複製系の構築に向けて、多成分からなる自己複製系の条件設定のための手法を確立し、リポソーム内での多段階遺伝子発 現、自己複製を完成させた。またリポソーム内の分子数の少数性を利用し複製効率を高められることを確認し、進化における少数成分の重要性を確認した。これ とともに多成分からなる反応ネットワークの進化的地形を求め、どのような成分比率で反応効率が最大となるかを明らかにした。
一方、理論的には細胞複製系の基盤としての触媒反応ネットワークのシミュレーションを行い、非平衡状態の維持、ボトルネック的状態遷移を見出し、その理 論を構築した。 次にこれらの触媒反応ネットワークからなる細胞が再帰的に複製する際の普遍的統計則を見出し、さらに進進化によりネットワークの構造に埋め込まれることを 示した。これらの法則は実験でも確認された。以上、実験と理論が相俟って複製細胞構築の基盤をつくった。
細胞の適応的振舞いはシグナル伝達系という精巧な仕組みがなくても生じうる普遍的な振舞いであることを遺伝子ネットワークを導入または改変した大腸菌実 験を用いて示し、それが揺らぎと細胞成長という性質だけから説明できることを理論的に明らかにした。これにより、適応が進化により準備されたシグナルネッ トワークが必ずしも必要ではなく、遺伝子発現と細胞成長の階層をつなぐ一般的なしくみの帰結であるという考えを提唱した。
この理論の基盤を与えるために1細胞観測装置とFACSを駆使して、遺伝子発現と細胞成長の統計分布、そして両者のゆらぎの関係を実験的に求め、対応してモデルから細胞の発現量分布と揺らぎの法則を見出し、理論的に説明した。
粘菌細胞内のでのcAMPの測定法の開発に成功し、1細胞内ダイナミクスと多細胞集団での相互作用を同時に計測する複雑系生命科学の手法を確立し、細胞内のcAMP振動をもとにして細胞間コミュンケーションの基盤であるcAMPの波がいかに形成されるかを明らかにした。
理論モデルとも協力して1細胞内のcAMP振動と細胞集団の時空間秩序形成をつなぐことに成功した。 また、体節形成過程の数理モデルを用いて進化シミュレーションを行うことにより、それが振動ダイナミクス型と遺伝子論理回路型に分かれることを見出し、そのしくみを理論的に明らかにした。
また、細胞分化における多能性を遺伝子発現のダイナミクスと結びつける理論を発展させた。特に相互作用により分化多能性を持つような細胞内の遺伝子発現 が遍歴的なダイナミクスを持つことをシミュレーションにより確認し、また最近の実験との整合性も示した。この理論の確立は、多能性の回復の制御にも大きな 意義を持つであろう。
細胞外cAMPに応答する細胞性粘菌。刺激を加え一過的にcAMPが細胞内で上昇している様子。
同じ遺伝子型を持つ個体間での発生ノイズ起因の表現型ゆらぎと遺伝子変異による表現型ゆらぎの間の比例関係が、進化過程を通しても、多くの遺伝子にわ たっても成立することをモデル計算により見出し、分布関数理論により説明し表現型の可塑性の定量的表現を与えた。これにより発生過程でのノイズに対する安 定化が進化的安定性をもたらすことを示した。さらには細胞分化の進化過程を分岐理論によって解析した。
実験においては、大腸菌内でタンパクの蛍光を増加させる人為淘汰をおこない、表現型ゆらぎが増幅する変異体の見出し、可塑性の回復を確認した。さらに耐熱性の大腸菌を進化させ、環境変化をバッファーするような進化が起こっていることを見出した。
粘菌と大腸菌の共生過程における表現型の可塑性の変化の解析とともに、テトラヒメナと大腸菌の共生系を構築した。これは個体間相互作用と各個体のネットワークの協調という、複雑系生物学の1階層上の研究である。その一方でゆらぎによる多種共存の理論を提唱した。
以上のように適応、進化、発生において、揺らぎとダイナミクスを通して異なる階層が結ばれるしくみの解明を進め複雑系生命科学の分野を確立させた。