COVID-19パンデミックにより、世界中が同様の苦難に直面しているという稀有な状況にある現在。過去と、国内・海外の事例を徹底的にアーカイブし、未来のパンデミックに備える知のインフラづくりに取り組む、児玉氏と対話する。

  • 児玉 聡
    京都大学 大学院文学研究科 准教授。RInCAプロジェクト企画調査(2020)「パンデミック対策の国際比較と過去の事例研究を通じたELSIアーカイブ化」代表。専門は倫理学。

忘れ去られていた感染症対策の歴史

COVID-19に人文学の立場から取り組むにあたって、なぜアーカイブに注目したのでしょうか。

日本が今後パンデミックに対してどのような対応を取っていくのかを考える際に、「歴史的な視点」と「海外と比較する視点」が非常に重要ではないかと考えました。感染症への恐れや取り組みは、忘れ去られていたところがあります。2000年代になって新型インフルエンザが発生し、対応をしなければならない局面になりましたが、実際に感染症対策の蓋を開けてみると、やはりいろいろと古かった。検疫もそうですし、保健所の対応もそうです。経験の蓄積を活かせないと、知見を更新することができず、対応が古いままになってしまいます。経験の蓄積という観点で歴史から学ぶところは大きく、視野を広げる点で海外の事例が参考になるところもあります。
今回のCOVID-19に対しては、世界中がほとんど同じ経験をしているわけですから、情報交換をすることが非常に重要なのです。とくに、似た文化圏にあると考えられる韓国や台湾の試みは、法律も含めて細かいところまで見ていくことが重要ではないかと考えています。歴史的事例や海外の事例を調査し、失敗例と成功例を把握した上で、今と、そして未来の対応を考えることが必要だと思います。そうした蓄積と活用を意識した調査や整理を徹底的に行うという研究があまり見られないので、このプロジェクトチームではまず、アーカイブに取り組んでいます。

調査を進めるなかで、日本を見つめてどのような発見がありましたか。

ひとつには、日本の同調圧力に関する研究が挙げられます。心理学の領域になりますが、「日本は同調圧力が強い」という見方は、日本人が再生産している神話的なものである可能性があります。各国のCOVID-19の状況を見るに、必ずしも日本が特異ではないのです。
また、「差別」や「偏見」に関する取り組みは特徴的で、日本国内の条例について調べてみると、新たな発見がありました。おそらく近隣で差別事例があったようなところが取り組んでいるのだろうと思いますが、県レベルから町や村といった小さな単位まで、差別や偏見に関する条例が49 件もありました(2020年12月末時点まとめ)。日本においてはCOVID-19対策の多くが地方自治体に任されているという点は興味深く、今回のパンデミックへの対応に特有なところもあるのではないかと思います。

COVID-19が問う倫理―感染者の自己責任を追及することはなぜ問題か

感染者の自己責任論は、倫理学的にも非常に興味深いところです。自己責任を追及することはなぜダメなのか、という議論があります。犯罪被害者の自己責任を追及することはなぜダメなのか。あるいは、健康を害して病気になった責任を追及することはなぜダメなのか。こうしたテーマは、予防の議論とも関連して、今後大きなテーマになると思っています。予防ができる領域が広がれば広がるほど、適切に予防策を取らなかった責任を問われる領域も広がっていくことになるからです。
たとえば、癌になるかどうかを生活習慣によって変えられる科学的根拠があり、リスクの高い生活習慣(喫煙など)を持っていた人が病気になった場合、その人は責任を問われることになるのでしょうか。「原因がある」から「責任がある」へと言い換えることはできるのでしょうか。同じ問題は、感染症の場合でも生じます。もちろん現代の“常識”としては、「感染者の責任を追及すべきではない」という論調になるでしょう。あるいは、「責任を追及すると感染したことを隠す可能性がある」と帰結主義的な主張をすることもできるかもしれません。しかし、なぜ追及してはいけないのか、ということへの解は得られず、納得しない人もいるでしょう。こうした問題を、哲学者・倫理学者は根本から議論することが求められていると感じています。

平等であることは公平か

もう一つは、平等と公平をどう考えるかという論点です。たとえば、緊急事態宣言下、飲食店の営業時間短縮要請に関して、今はどれだけ大きな店舗に対しても一律で一日6万円の手当てを出すという議論になっています。これはいわば日本的な対応の仕方であって、まず「平等」にしておくことが重要視されています。
しかし、それは本当に「公平」だと言えるのでしょうか。たしかに、一律6万円と決めておくと、それ以上にあれこれ考えたり手続きを複雑化するコストをかけなくて済むので、効率的ではあります。しかし、大きな店舗には規模に応じて、あるいは過去の売上などに基づいて支援金を払う、という対応のほうが公平だと言えるかもしれません。そうした方法を採用すると、たしかに手続きが煩雑になると思いますが、それが本当にできないかどうかは、海外の事例なども参照して考えるべきだと思います。どのようにしたらもっとも公平だと言えるのか。もちろん、平等も公平な仕方のひとつだと思いますが、それよりももっとよい方法がないのかということを広く検討し、市民も含めて議論することが必要ではないでしょうか。

ワクチン接種にみる個人の利益と全体の利益

ワクチンに関して、「接種をしたくない」とか「しばらく様子を見たい」と思っている人がかなりいるという状況は、興味深いところです。人々が、個人と社会全体のことをどのように考え、自分や周りの人のワクチン接種を判断するのか。感染症のリスクとワクチンという予防手段に対するリスクを、人々がどう捉えて行動を選択するのか。こうしたことを深く考えたいと思っています。
「ワクチン接種はリスクよりも利益の方が上回る」と言われていますが、実際に重い副反応が生じた人にとっては、やはり受けない方がよかったということになりえます。それでも、全体の利益を考えると、市民には接種する倫理的義務があるという考えについて議論すべきではないでしょうか。個人の利益と全体の利益の対立をどう考えるのか、という大きな問題です。予防接種には、集団防衛という発想がありますが、日本の場合、特にインフルエンザのワクチンは個人防衛という発想で接種がなされています。「感染して重症化したくない人は受けてください」という、個人の選択に委ねる形になっています。しかし、予防接種の元々の発想は、集団防衛の観点が非常に強い。多くの人々が予防接種を受ければ、集団免疫により、周りを取り囲むバリアができることによって、感染リスクが小さくなる。ここには、他の人を守るという発想、つまり集団全体の利益を守るという価値があるわけです。もちろん、個人の利益のために予防接種を受けるという観点も重要です。私自身も、副反応が生じるのは困ります。しかし、全体の利益を考えて他の人を守るという発想も重要です。どちらも大切な、価値と価値の衝突、まさに倫理的問題なのです。
場合によっては予防接種を強制したり、あるいは接種した人が得をするようなインセンティブを高める方法など、いろいろな選択肢や可能性についてオープンに議論できないものかと考えています。

倫理的視点とは―さまざまな視点からの「すべきこと」を総合的に考える

ワクチンの問題ひとつをとっても、いろいろな選択肢や可能性があります。このとき、倫理的な視点を、政策的な視点や法的な視点といったさまざまな視点のうちの一つとして考えると、なぜ倫理的であるべきなのか、という問題が生じます。あるいは、個人的な自己利益に対して全体の利益を追求するのが倫理的な視点だという形にすると、なぜ個人的な利益よりも全体の利益を追求すべきなのか、という根源的な問いが立ちのぼります。
しかし、私自身は、倫理的な視点は、法や道徳を含むものとして考えています。つまり、「倫理的にこうすべきだ」というのは、「法制度をこのように変えるべきだ」ということも含むと考えます。たとえば、経済と命のどちらが大事かという際に、「命を大事にするのが倫理的な視点だ」とは必ずしも言えません。貧困によって人が死ぬということを考えれば、どちらにしても多くの人が死ぬことになるからです。そこで、総合的に考えて、できるだけ人が死なない選択肢を選ぶべきだ、と考えます。この総合的な見方に基づいて意思決定をすることが重要です。
COVID-19の感染拡大防止において、行動自粛に伴う社会的サンクション(制裁)の是非や、法の支配という形での罰則のあり方などについては、本当はもっと早期に、総合的に議論すべき論点だったと思います。

今後の展望や挑戦したいことを教えてください。

例えば、外出制限をどうやって正当化できるのか。十分な根拠を示して、市民が納得できる形で説明することが重要になると思います。そのためにも、自然科学や法学だけでなく、倫理学や社会科学においても、総合的な視点で、国際的な意見交換をすることが役立つはずです。また、歴史に学ぶ観点も忘れてはいけません。
そこで、私たちのプロジェクトでは、「パンデミックに取り組む応用哲学・倫理学 -- 哲学とELSI研究のためのアーカイブ」というWebサイト(https://www.pandemic-philosophy.com)をつくり、国内外の事例を集積・翻訳して発信しています。今後は、法制度などの情報だけでなく、その背景にある考え方や価値観、倫理的な論点について国際的な議論を交換できるような研究ネットワーク、知のインフラづくりを進めていきたいと考えています。


*本稿は2021年2月10日に行ったインタビューに基づいています。

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