• 水野 祐 シティライツ法律事務所 弁護士 / 九州大学 グローバルイノベーションセンター 客員教授(知的財産法、情報法、スタートアップ・先端技術法務)

RInCAプログラムのアドバイザーを拝任してから2年以上が経過したが、いまだに自らの身の置きどころを心許なく感じている。わたしは弁護士という法律実務家であって、倫理や法哲学を専門とする者ではない。新興科学技術を事業として社会実装するスタートアップや大企業の新規事業を法的に支援したり、イノベーション政策やルール形成などに関する助言・提案を行うことはあるが、それは科学技術やそれに基づく事業の社会実装のサポートである。しかし、ELSI/RRI (Ethical, Legal and Social Implications/Issues; 倫理的・法制度的・社会的課題 / Responsible Research and Innovation; 責任ある研究・イノベーション) の議論で重要なことは、当該科学技術の社会実装を所与の前提とせずに、その科学技術が及ぼし得る社会的な影響を広く、深く、ときには批判的に検討することである。もちろん、RInCAプログラムには社会実装期の科学技術に関するELSI/RRIに焦点をあてたプロジェクトもあり、そこでは社会実装論として法制度の議論が前景化することはある。だが、萌芽期の科学技術については倫理の問題が前景化し、法制度の問題は後景化しがちである。ドイツの法学者イェリネク (Georg Jallinek )による「法は倫理の最低限」という法と倫理の関係に関する基本原則があるが、規範的に倫理が法を包含しているのであれば、萌芽期の科学技術について「L」 (Legal; 法制度) の出番はないのではないか。わたしのような法律実務家の議論は、ELSI/RRIの議論ではなく、社会実装論になってしまっているのではないか。そのような自戒・自省、そして居心地の悪さを感じることになる。このような、科学技術に対して批判的な検証も辞さないELSI/RRIの議論と社会実装論に横たわる溝をわたしは「ELSI/RRIの谷」と呼んでいる。

一方で、この居心地の悪さとは裏腹に、ELSI/RRIの議論において、新しい法制度をつくるべき、という提案に接する機会は多い。このような倫理と法の接近または一致、言い換えれば「倫理の法 (制度) 化」は至るところでみられるが、法を国家権力の強制力を伴うものとして倫理と峻別する議論や、社会倫理と個人倫理とを峻別する議論を前提とすると、倫理の安易な法化は科学技術に潜在する可能性を捨象してしまう懸念がある。もちろん、実定法のすべてが法的強制力を持つものではないが、とくに倫理観・道徳観が多様化している現代社会では、それは誰にとっての倫理なのか、という問いかけとともに、仮に一定の倫理を前提とするとしても安易な「倫理の法化」は余計に避けるべきであろう。法律家は「法をつくる」ことが仕事だと一般的に期待されるわけだが、あえて「法をつくらない」こと、そのためのロジックを積み重ねていくこと、すなわち、安易な「倫理の法化」に我慢強くあらがうこともまた、ELSI/RRIに関わる法律家の役割ではないだろうか。

「ELSI/RRIの谷」を乗り越えるためにわたしが大切だと思うのは、ELSI/RRIを、研究者によるボトムアップ型ルールメイキングとして捉える視点である。研究者の中には、とくに基礎研究になればなるほど、研究に集中したい、社会実装は他の人に任せたいという思いを抱えている研究者が少なくない。だが、残念ながら、科学技術を取り囲む社会環境の進度がそれを許さなくなってきている。良いか悪いかの評価は置くとして、比較的に事業に近いところで科学技術に関する法制度や法政策を眺める立場からみると、EUをはじめとして、ELSI/RRIの議論が、国際競争における戦略的なルール形成と、科学技術またはそれに基づく事業の実装可能性・優位性とにより結びついてきている実感がある。法制度のようなルール形成において、研究者は研究に集中し、政治家や官僚が制度やルールをつくる、という分業の時代はすでに終わり、市民や企業を含む民が公と連携して、アジャイルにルールを共創していく時代に移行しつつある。昨今のルール形成におけるELSI/RRIへの注目の高まりは、このような「ルール共創」の時代の要請が、科学技術の研究開発の分野にも訪れている予兆とみるべきではないだろうか。このことは、同時に、研究者がELSI/RRIを起点としてルール形成に関わっていく不可避と契機の両方の可能性を示しているのではないだろうか。

(2022年9月)
 

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